鈴木洋平|Yohei Suzuki

編集者&NPO職員。以前は雑誌出版社やWebメディアで仕事をしていて、2021年からセ…

鈴木洋平|Yohei Suzuki

編集者&NPO職員。以前は雑誌出版社やWebメディアで仕事をしていて、2021年からセネガル在住になり、専業主夫を経て、2023年より日本のNPOにフルリモートで勤務。NPOの中で、編集者としてコミュニケーションデザインの仕事をしています。

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ある雑誌のコンテンツ戦略を1万字で語ってみる。

編集者になって2年目の夏、いきなり『編集会議』という雑誌を任されることになった。 雑誌名の通り、同業である編集者や編集者を目指す人向けの雑誌をつくることは、最初から最後まで恐縮でしかなかった。 それでも、僕がつくっていた2015〜2017年の3年間、季刊誌だから春と秋とで合計5冊を刊行し、販売売上は担当以前よりも3倍以上、トータル300%アップした。 ささやかだけど、出版、とりわけ雑誌不況下における快進撃(と言ってみたい)。 このnoteでは、その裏側でやっていたこと

    • セネガルでの学校・幼稚園に見る多様性

      6月は、アフリカ・セネガルのカレンダーだと学年末にあたり、子どもたちが通う小学校や幼稚園では1年のサイクルが終わる。6月終盤には、毎年恒例のそれぞれの学年での歌や踊りの発表会があった。 ふだんは送り迎えをするだけで、そこから見える景色しか知らない。でも、発表会のような機会では、子どもが教室内でどんなふうに過ごしているのかが垣間見えたりもする。 うちの子どもは、6歳と4歳。6歳の子どもは人生の3分の1、4歳の子は人生の半分以上をセネガルで過ごしてきた。セネガルで暮らして3年

      • 日本は1年に1ヶ月暮らすくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

        アフリカ・セネガルに暮らして3年近く。それまでの30年以上、日本でしか暮らしたことなくて、海外に住みたいという願望もなかった。でも、妻の仕事の都合でいきなりセネガルに住むことになった。 それから3年近くが経ち、3年前からすると、まったくもって想像しなかった展開になっている。 もともと妻の仕事の都合というは、2年の期間限定のはずだった。自分のキャリアや子どもの教育のこともあるし、何より日本しか知らなかった自分は、海外生活もてっきり2年限定のものだと思っていた。 それがセネ

        • なぜ「死にたい」は“メディア”になるのか? コミュニケーションとして捉える「死にたい」の意味

          なぜ「死にたい」は、現代社会において、とりわけ強力なコミュニケーションの媒体となりうるのか――。 そんな問いを出発点とする本『「死にたい」とつぶやく――座間9人殺人事件と親密圏の社会学』を読んだ。久しぶりに貪るように読みふけってしまう本だった。 この本は、SNSにあふれかえる「死にたい」の声にどう向き合うかを考える本でもあり、自殺念慮を抱えたある2人の対話から始まる。そこで「死にたい」という言葉が、「死にたい」と言動する人同士のコミュニケーションを媒介していること、その“

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        ある雑誌のコンテンツ戦略を1万字で語ってみる。

          読書しないことで気づけたこと。

          去年2023年は大人になってから、たぶん最も読書をしない一年だった。意識的にそうしていたわけではないけど、なんとなく読む機会がなく、読書を必要としていなかった。 でもその分、いろんなことを考えた、考えられていた一年だったのかなと思う。 もともとはたくさん本を読むほうだし、読書は常に生活の一部だった。新卒で出版社に入ったのも本が好きだったからで、編集者になってからは本を読むのが仕事になって毎日むさぼるように本を読んでいた。 だいぶ前にこんなnoteを書いたことがある。

          読書しないことで気づけたこと。

          アフリカ|セネガル🇸🇳という、「助け合い」社会に生きる。

          アフリカにあるセネガルで暮らす日本人と話していると、セネガルの良いところとして「助け合い」をあげる人が多い。 何のデータか忘れてしまったけど、アフリカ社会について日本人が語るとき、最も象徴的なことに「助け合い」があがっていたデータを見たこともある。 実際に、セネガルないしアフリカで生活をすれば、「助け合い」がいかに社会に深く根付いているかを実感する機会には事欠かないはずだ。そんな「助け合い」のある社会の前提には、人と人との「つながり」がある。そのことについては以前note

          アフリカ|セネガル🇸🇳という、「助け合い」社会に生きる。

          海外生活(アフリカ)の主夫が、日本で買ってよかったもの|2024年

          丸2年にわたって専業主夫を経験したからか、それまで無頓着だった日々の暮らしを豊かにするための消費に興味を持つようになった。 アフリカにあるセネガルで暮らしていると、現地で製造されたものはやはり安い。一方で、日本人が求めるような日用品は輸入品であるものも多く、そうすると物価はそれなりに高くなる。 だから、ふだんはなるべく、以下の本のような「あるものでまかなう」という生活をしつつ、セネガルで買えないものは、1年に1回、日本に帰国したときにまとめ買いしている。 そして、海外生

          海外生活(アフリカ)の主夫が、日本で買ってよかったもの|2024年

          2023年末。

          2023年、子どもたちは6歳と4歳になり、僕は35歳になった。 振り返ってみると、とても充実した1年だった。2022年もそう書いたけど、それ以上だったかもしれない。何年後かに振り返ったとき、大切な思い出になっているはずのことが、たくさんあった。 子どもができてから音楽を聴く機会はほとんどなくなってしまったのだけど、2023年はなぜか、折に触れてMr.Childrenの『HERO』を聞いていた。 学生時代から数えきれないほど聞いている曲、なのに何度聞いても心を揺さぶられる

          アフリカから日本の子どもの「窓」になってみる。

          その写真は「窓」か、「鏡」か――。 写真について語るとき、そんな問いが発せられることがあるという。 これはアメリカ人の写真家であるジョン・シャーカフスキーが提唱していた概念で、「窓」は写真を通して外の世界を探究することを指し、「鏡」は写真を自己表現の手段として用いること、だそうだ。 「窓」は、わかりやすい。実際に写真を見る側からすれば、その多くは「窓」とも言え、「窓」の向こう側に自分の知らない外の世界、あるいは知っているはずの世界の違う側面、また視点から見ることができる

          アフリカから日本の子どもの「窓」になってみる。

          長期より短期な視点で考える子育て。

          家族でセネガルに移り住んでから、2年が経った。妻の仕事の任期は2年だったから、当初の予定では先月ごろに帰国するはずだった。 それが、セネガルの子育て環境や暮らし心地、妻のキャリアの観点からも、もう少しセネガルで暮らせたらという話になり、運良く任期を延長することもできて、少なくともあと2年はセネガルに住むことになった。 延長が決まったことを受けて、僕も新しく仕事を始めた。 それまでも主にセネガルのことを伝える書き仕事や話す仕事をいくつかさせてもらっていたけど、3ヶ月前ほど

          長期より短期な視点で考える子育て。

          子どもに「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみる。

          少し前から、3歳の子どもがお昼ご飯や夜ご飯のお皿を自分で運びたがるようになった。そして案の定、中身をこぼしたりひっくり返したりして、なぜか本人が泣く、というのが日常化していた。 それが最近になり、少しずつ上手に運べるようになってきた。当たり前だけど、子どもは大きくなるにつれて、いろんなことを自分でやりたがるようになる。そして、少しずつできるようになっていく。 でも失敗することが多いうちは結構大変だ。とくに親側の気持ちに余裕がないと、失敗に寛容になれなかったり、つい苛立って

          子どもに「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみる。

          「ダメ出し」から「ポジ出し」という発想へ。

          この数年、「生きづらさ」について聞く機会が増えた気がする。その中身は多様で、いろんな「生きづらさ」があることが、社会的にも理解されるようになっきた。 一方で、「生きやすさ」とか「生き心地のよさ」について聞く機会は、そんなに多くないように思う。 あくまで感覚的なものだけど、「生きづらさ」に関するコンテンツは多くあっても、「こんな社会は生きやすい(あるいは生きづらさが解消された先にあるもの)」などのコンテンツに出合う機会はとても少ないように感じる。 コンテンツの特性として「

          「ダメ出し」から「ポジ出し」という発想へ。

          何気ない日常と、地続きにあるもの。

          最近読んだ『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』という本の中に、こんな一節があった。この本が出版された2010年当時、日本国内の自殺者は3万人に上っていた。 それが10年以上の歳月をかけて少しずつ年間自殺者数は減少傾向になり、この数年は2万人台前半を推移、2022年は2万1881人だった。 自殺の多くが「追い込まれた末の死」であり、個人の問題ではなく社会の問題だという認識は、ここ数年でそれなりに理解が進んだ。 日本社会で「生きづらさ」を抱えている人が多くいることも

          何気ない日常と、地続きにあるもの。

          セネガル最大の行事「タバスキ」に参加してみた。

          アフリカ最西端にあるセネガルに暮らして2年近く。 妻の仕事の都合に加え、暮らし心地や子育てのしやすさという観点から、当初の予定を延長して、少なくとももう2年はセネガルにいることになった。 そのセネガルでの年間最大行事と言えば、「Tabaski(タバスキ)」だ。 セネガルは人口の9割以上をイスラム教徒が占める国で、タバスキはそのイスラム教徒にとって最大のお祭り。日本語訳で「犠牲祭」とされる行事が、昨日あった。 タバスキの主役は、羊だ。 タバスキは、アラーの神に羊を捧げ

          セネガル最大の行事「タバスキ」に参加してみた。

          「専業主夫」に対する違和感、に対する違和感。

          先月、日本に一時国していたとき、古くからの友達に「お前さ、いつまで専業主夫してんの?」と言われた。専業主夫であることを、なんとなく蔑むようなニュアンスで。 そんなふうに言われることに少しムッとしてしまったのと、いつまでというのは自分でもわからないこともあって、「うーん、どうだろうなあ」みたいな曖昧な返答しかできなかった。 そうしてはっきりと違和感を表明されることはそうそうないにしても、自分が専業主夫であることに違和感を持たれているなと感じることは、日本に帰るたび、たまにあ

          「専業主夫」に対する違和感、に対する違和感。

          アフリカで感じる「子育ての心地よさ」の正体は、「つながり」だと気づかせてくれた本。

          「ほら、ほら、どんどん食べな」 たぶん、そんなようなことを言っていた。近くでパンの露店を営んでいるおばあさんが、物乞いをしていた子どもたちに、その日に余ったらしきパンをあげていた。 現地語だから何と言っているかわからない。子どもたちはとくにお礼を言うこともなく、その場に座って無表情でパンをほうばっている。 そんな光景が、西アフリカに位置するセネガルには当たり前のように存在する。そのおばあさんが特別やさしいとか、そういうわけではない。やさしさというより、つながりとしてある

          アフリカで感じる「子育ての心地よさ」の正体は、「つながり」だと気づかせてくれた本。