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2023年末。

2023年、子どもたちは6歳と4歳になり、僕は35歳になった。

振り返ってみると、とても充実した1年だった。2022年もそう書いたけど、それ以上だったかもしれない。何年後かに振り返ったとき、大切な思い出になっているはずのことが、たくさんあった。

子どもができてから音楽を聴く機会はほとんどなくなってしまったのだけど、2023年はなぜか、折に触れてMr.Childrenの『HERO』を聞いていた。

学生時代から数えきれないほど聞いている曲、なのに何度聞いても心を揺さぶられる。子どもができてからは、子どもと親である自分の関係が自然と投影されている。

最近は映画を観る機会もめっぽう少なくなったけど、2023年に見てよかったのは『アバウト・タイム』だ。

「私は人生において誇れるものは多くないが、心から誇れるのは、彼の父親であることだ」

というセリフがあって、そんなこと、いつか思ってみたいし、いつか言ってみたい。誇れるのは子ども、ではなくて、子どもの父である自分自身。そう思えるような、父であり、親になりたい。そして、そんなふうな子育てができたらなと思う。

慌ただしい日常では忘れがちだけど、子育てはあっという間に終わってしまう儚い時間だ。1年前の写真や動画を見返すと、子どもは子どもなりに1年分、立派に成長している。もう6年も子育てをしてきたのだと思うと、時間の経過は残酷なほど早い。

子育てで最も大事なのは、シンプルに「良い親子関係を築くこと」だと聞く。だから親として、子どもがどんなに大きくなっても、つまずいたり転んだりしたとき、そっと手を差し伸べられて、その手をちゃんと握ってもらえるような、そんな親子関係を築いていけたらと思う。

僕自身は、丸2年の専業主夫生活を経て、新しく仕事を始めた。

いま暮らしているアフリカのセネガルからフルリモートかつ時短でできることが条件な上、やりたいことも明確だった。ただ運良くいまの仕事に縁をいただけて、図らずも社会人になってからずっとやりたいと思ってきた仕事に就くことができた。

改めて思うのは、こうして仕事ができていることも、セネガルで心地よく子育てができていることも、いまとても充実した1年だったと振り返られていることも、そのほとんどが「たまたま」という偶然の上に成り立っていることだ。

運やタイミング、縁、巡り合わせなどが、「たまたま」うまくいっているだけ。その「たまたま」で享受できている現状を自分なりに精一杯生きているつもりだけど、「精一杯生きていると思える」ことだって、育ってきた環境や経験してきたこと、そのすべての偶然の上にある。

12月24日の夜中にサンタさんが来ることを、うちの子どもたちはもはや当たり前に感じている。でもセネガルに限らず日本の中にもサンタさんがこない子どももいて、プレゼントがもらえることは「たまたま」そういう家庭に生まれたから、ということでしかない。

サンタさんが本当にいるかどうかにかかわらず、やっぱり不条理だ。ただそんな不条理が世の中にあふれていることは、35年も生きていれば嫌でもわかる。同時に、そんな現実を大きく変えることはできなくても、自分自身が微力でも無力ではないことは、35年生きればわかっているつもりだ。

だから僕にできるのは、いまの自分の状況を「たまたま」だとちゃんと認識して、自分の近くにいる人にはできるだけやさしくしたり手を差し伸べたりしつつ、遠くにいて困っている人には想像力をめぐらせること(そして、たとえばこの寄付をするなど)だと思っている。

2024年も、こうして書くことで考えながら、自分ができることをコツコツとやっていければなと思う。

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