読書しないことで気づけたこと。

去年2023年は大人になってから、たぶん最も読書をしない一年だった。意識的にそうしていたわけではないけど、なんとなく読む機会がなく、読書を必要としていなかった。

でもその分、いろんなことを考えた、考えられていた一年だったのかなと思う。

もともとはたくさん本を読むほうだし、読書は常に生活の一部だった。新卒で出版社に入ったのも本が好きだったからで、編集者になってからは本を読むのが仕事になって毎日むさぼるように本を読んでいた。

だいぶ前にこんなnoteを書いたことがある。

「多読」によって、考える力を失わってきたんじゃないかという記事で、これは『読書について』という本で、ショウペンハウエルという哲学者が指摘していることだ。

「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく」

以前は僕自身、まさに他人にものを考えてもらっていた。多読に時間を費やしながら、いつしか本に頼り、本に答えを求めるようになっていた。あらゆる仕事の答えに近いものは本でインプットできるくらいにも思っていたし、何かしら困難を抱えたら本に頼る、みたいなことも多かった。

それが、『読書について』という本に出合ってからは、読書との向き合い方はだいぶ変わったように思う。

そして、去年の後半から仕事を始めて、それまでにない領域の仕事への関わりも増え、やっぱり読書が必要になって、今年になってまたいろんな本を読んでいる。改めて、本という、そこで得られる学びとか気づきの広さや大きさを実感している。

読書は読むことによってではなく、咀嚼することによって知識になり、その知識が想像力の土壌にもなる。そしてたぶん、それこそが僕にとっては最も大事なことだ。久しぶりに読書をするようになって、あるいは読書をしない期間が長ったことで、改めてそのことに気づけた気がする。

だから、やっぱり読書しつつも、咀嚼すること、考えること、何より想像することをもっともっとやれたらなと思う。

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