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「多読」によって失われるもの

もともと本が好きだったこともあって、学生時代から人一倍読書をしてきたし、編集者になってからはたくさんの本を読むこと自体が仕事になった。

いま編集の仕事ができていることをはじめ、いわゆる「多読」をしてきて得られたものはたくさんある。

だけど同時に、「多読」によって失ってきたものもある。

読むのが遅いし、読んだことは忘れやすいから、少なくとも膨大な時間を失ってきた。でも、そういう話ではない。

もともと頭の出来が良いとは言えないのもあり、がむしゃらにたくさんの本を読んできたことに比例して、考える力を失ってきた気がしている。

「多読」によって「考える力を失う」という弊害は、『読書について』という本で、ショウペンハウエルという哲学者が指摘していることでもある。

ショウペンハウエルの主張はとてもシンプルで、主には以下のようなことを言っている。

読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。

本を読んでいるとき、意識しない限りは「考える」という行為をすることはない。ただただ、他人の考えをなぞっているにすぎない。

漫然とした読書を繰り返すことで「考える力」が奪われ、そのうち何でもかんでも本に答えを求めてしまうような時期が自分にはあった。

とはいえ、読書そのものが悪というのではない。本当は「多読」という話でもないのかもしれないし、「読み方」の問題が大きいのかもしれない。

食べ物は食べることによってではなく、消化されることによって栄養になると言われる。

同じように、読書も読むことによってではなく、咀嚼することによって知識になる。

一つの本を丁寧に読み、読んだことについて「考える」時間を持ってみる。まずは、そんなことから始めたいなと思う。

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2017年まで出版社で『編集会議』ほか、広告・マーケティング専門誌の編集者。2018年より“社会の無関心の打破”を掲げる社会問題に特化したメディア「リディ ラバ ジャーナル」記者。心のクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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コメント (14)
このようなことを、考えたことがありませんでした。
「読む=人に考えてもらう」
ショウペンハウエルの名言には、考えさせられるものがありました。読者は大切ですがある段階まで来ると、読むことよりむしろ、書くことのほうが大事になってくるのかもしれません。
読書するという行為を食事に例えて分かりやすかったです。
文章の書き方なども勉強になります。
はじめまして。ショーペンハウアーの著書、耳に痛い(というほどの多読家ではありmせん)ですね。読書は、よく食事に例えられますが、「たくさん」食べることや「早く」食べることが目的なのではないとも言います。せめて、「おいしく」食べたいものと思っています。
確かに、多読で考える力は失うこともあります。  しかし、それはネットでもいえると思います。  私は、野村克也さんの本ばかり一時期読んでました。 するとデータが大事と思えました。  ですが他の、野球の反対意見を言う人の本も読むと、カンも大事と思えました。一度信じても、現実がそ通りにならなかったり、違う意見の人の考えも入ると、この時はノムさんが正しい、でもこの時はあの人の方が正しいと時間はかかりましたがなっていきました。
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