見出し画像

「多読」によって失われるもの

もともと本が好きだったこともあって、学生時代から人一倍読書をしてきたし、編集者になってからはたくさんの本を読むこと自体が仕事になった。

いま編集の仕事ができていることをはじめ、いわゆる「多読」をしてきて得られたものはたくさんある。

だけど同時に、「多読」によって失ってきたものもある。

読むのが遅いし、読んだことは忘れやすいから、少なくとも膨大な時間を失ってきた。でも、そういう話ではない。

もともと頭の出来が良いとは言えないのもあり、がむしゃらにたくさんの本を読んできたことに比例して、考える力を失ってきた気がしている。

「多読」によって「考える力を失う」という弊害は、『読書について』という本で、ショウペンハウエルという哲学者が指摘していることでもある。

ショウペンハウエルの主張はとてもシンプルで、主には以下のようなことを言っている。

読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失っていく。

本を読んでいるとき、意識しない限りは「考える」という行為をすることはない。ただただ、他人の考えをなぞっているにすぎない。

漫然とした読書を繰り返すことで「考える力」が奪われ、そのうち何でもかんでも本に答えを求めてしまうような時期が自分にはあった。

とはいえ、読書そのものが悪というのではない。本当は「多読」という話でもないのかもしれないし、「読み方」の問題が大きいのかもしれない。

食べ物は食べることによってではなく、消化されることによって栄養になると言われる。

同じように、読書も読むことによってではなく、咀嚼することによって知識になる。

一つの本を丁寧に読み、読んだことについて「考える」時間を持ってみる。まずは、そんなことから始めたいなと思う。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

読んでくださり、ありがとうございます。いただいたサポートはすべて国内の社会問題に取り組むNPO団体への寄付に使わせていただきます。

嬉しいです、ありがとうございます!
237
1988年2月生まれ。2017年まで出版社で『編集会議』をはじめとするメディアや広告・マーケティング専門誌の編集者。2018年より“社会の無関心の打破”を掲げる社会問題に特化したメディア「リディラバジャーナル」記者。さまざまな社会問題の現場を取材している。

コメント7件

「咀嚼」、「考える」事が、
作者と対話するんでしょうね。
勉強になりました…!
どこかで読んだ一説ですが、
 『真の天才は、自分が得た情報を、
  必要な時に、きちんと使える人間』
だそうです。
収集した情報を、分解して、分析して、再構築してしているからこそ、それが出来るんでしょうね。
非常に考えさせられる言葉です。面白いです。
フォローさせていただきます😊
僕もそう思います。

主役は本の内容ではなく、それに対して自分がどう考えるか、ではないか。

だから僕は本を読まなくなりました。
考える対象は本の内容でなくても良いと思ったからです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。