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「専業主夫」に対する違和感、に対する違和感。

先月、日本に一時国していたとき、古くからの友達に「お前さ、いつまで専業主夫してんの?」と言われた。専業主夫であることを、なんとなく蔑むようなニュアンスで。

そんなふうに言われることに少しムッとしてしまったのと、いつまでというのは自分でもわからないこともあって、「うーん、どうだろうなあ」みたいな曖昧な返答しかできなかった。

そうしてはっきりと違和感を表明されることはそうそうないにしても、自分が専業主夫であることに違和感を持たれているなと感じることは、日本に帰るたび、たまにある。

専業主夫であることを「羨ましい」と言われることも少なくない。僕自身は専業主夫を羨ましいと思ったことはなかったけど、自分がなってみて、たしかに仕事で感じていた種類のストレスを感じる機会は減ったし、子どもと濃密な時間を過ごせていいなと思うことは多い。

子育てがすごく大変とか、家事諸々が向かないとか、仕事やキャリアへの喪失感とか、主夫になって社会的な孤立を感じるようになったとか、そんな苦悩があれば反論していただろうなと思う。

でも今はそうじゃなくて、環境に恵まれていることもあり、どれもそれなりに楽しめている。だから苦労よりも心地よく感じることのほうが多い。経済的な心配はあれど、専業主夫として心地よく過ごせていることは、とても恵まれているのだと思う。

とはいえ、人から「いいなあ」と羨ましがられたり、違和感を持たれたりすることには、なんとなく違和感を覚えてしまう。

独身時代、平日は深夜まで、土日も嬉々として仕事をしてしまうくらいに、仕事が大好きだった。その当時からすると、「働き盛り」なんて言われる30代半ばに、自分が専業主夫になるなんて夢にも思わなかった。

専業主夫になった経緯は以下に書いたとおりで、不可抗力的なものであって望んでなったものではなかった。

ただもう2年近く暮らしているアフリカのセネガルでは、男性で専業主夫をしている人は意外と少なくない。セネガルにいる外国人家庭でも、女性が働き手で男性が主夫だったりするし、日本人の専業主夫もそれなりにいるから、とくに珍しがられることもない。

日本だと、職業を言う機会があって「専業主夫」と言えば、「ああ、奥さんが働かれているんですか」みたいな反応をされる。たぶん逆だったら「ああ、旦那さんが働かれているんですか」とは言われないのに。

僕も専業主夫にならなければ、そういう反応をしてしまっていたかもしれない。だからそこは仕方ないのかなと思う。

でも、専業主夫がマイノリティとは言えない環境に身を置けば、仕方ないと感じてしまうことにこそ、古びた常識が自分の中に底通しているのかもしれないと、気づかされる。

自分とは無縁と思っていた専業主夫になってみたら、見える世界は大きく変わった。それによって、格段に世界が広がった。

まったくできなかった料理もそれなりにできるようになり、魚市場で魚を買って捌いて刺身にできるようになり、収納グッズにも多少詳しくなったり、掃除スキルも上がったり、それまで無縁だったママ友パパ友もできた。

そしてたぶん、子どもにとっても良い意味での常識をつくれていると思う。うちはセネガルに来る前までは妻が専業主婦をしていて、セネガルに来てからは僕が専業主夫だから、子どもにとっては子育ての主体が母親だったり、父親だったりする。

僕は共働き家庭に育ったけど、子育て主体は母親で他の家庭を見てもそれが当たり前だと思っていた。でも、うちの子どもたちはまた違う光景を見て育っている。

今のところ、5歳と3歳の子どもたちは「なんでうちはお母さんがお仕事していて、お父さんが家にいるの?」なんて疑問を持つ余地はないくらい、多様な家族に囲まれている。そのこと自体が、子育てにおいても結構いいことなんじゃないかと思う。

「お前さ、いつまで専業主夫してんの?」

そう言われた冒頭のやりとりには続きがあって、曖昧な返答しかできなかった僕に対して、彼は「専業主夫って楽で本当いいよなあ」とやや意地悪な口調で被せてきた。

そこまで言われると、「いや、専業主夫だってやることは色々あってさ」と反論しかけた僕をたしなめながら、「専業主夫も大変だよな、俺にはできないと思う」と言ってくれる別の友達もそこにはいた。

2人とも専業主夫の経験はない。だからたぶん、想像力の問題なのだと思う。

専業主夫に望んでそうなる人もいれば、そうじゃない人もいる。専業主夫であることを謳歌している人もいれば、苦悩や葛藤を抱えている人もいる。仕事をしているほうが大変と思う人もいれば、(子どもがいれば)四六時中子どもと向き合う専業主夫のほうが大変だと思う人もいる。

いずれにせよ、専業主夫は専業主夫なりの喜怒哀楽があるし、それは他の仕事とそう変わらない。少なくとも専業主夫/主婦は「キャリアの空白期間」なんかじゃなくて、一つのキャリアとして認められたなと思う。

僕にとって専業主夫でいる今は、とても尊いものだ。何より子どもと過ごす時間の長さ、濃さが一番大きい。5歳と3歳という時期の子どもが育っていくのをこんなにも間近で見れることは、人生の何物にも変え難い。

とはいえ、セネガルに来た当初の専業主夫にならざるを得なかった事情も解除され、「働きたい」と思う気持ちが少しずつ大きくなっている。家計的なこともあり、ずっと専業主夫ではいることはできない。

そう思うと、「専業主夫」であることに違和感を持たれようがどう思われようが、このかけがえのない今や自分をちゃんと肯定できる親でありたいなと思う。

・・なんてことを、このnoteを読んだことで改めて感じた。


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