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「ダメ出し」から「ポジ出し」という発想へ。

この数年、「生きづらさ」について聞く機会が増えた気がする。その中身は多様で、いろんな「生きづらさ」があることが、社会的にも理解されるようになっきた。

一方で、「生きやすさ」とか「生き心地のよさ」について聞く機会は、そんなに多くないように思う。

あくまで感覚的なものだけど、「生きづらさ」に関するコンテンツは多くあっても、「こんな社会は生きやすい(あるいは生きづらさが解消された先にあるもの)」などのコンテンツに出合う機会はとても少ないように感じる。

コンテンツの特性として「生きやすさ」よりも「生きづらさ」のほうが、メディアやSNSというプラットフォームに流動しやすいとはいえ、「生きやすさ」にももっと焦点があてられてもいいんじゃないか、と思うことが多い。

僕が編集者の仕事をしていた頃、何気なく意識していたのは、コンテンツの帰結として、なるべくポジティブな提案や提言をする、ということだった。

ネガティブな側面にフォーカスしがちな物事ほど、あえてポジティブな側面にフォーカスしてみる。そうすることで、これまでにない視点を見出せたら、と考えていた。

それは、10年以上前に読んだ荻上チキさんの『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか――絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想――』という本で出てくる「ポジ出し」という概念に触れた影響が大きい。

「ポジ出し」はその名の通り、「ダメ出し」の対義語で、ポジティブな提案をすることだ。

社会問題を伝えることにおいても、「ダメ出し」は当然ながら必要だし大事だけど、もっと「ポジ出し」もあってもいいんじゃないか――。

そんなふうに考えてきた僕にとって、「ポジ出し」のお手本のように感じていたのが、この本だった。

日本だけでなく海外でも、自殺に関する地域研究は数多くある。そのほとんどが「自殺率の高い地域」が対象で、何が自殺率の高さに結びついているのか、その危険を高める要素について研究されてきた。

それに対して、「自殺率の低い地域」の研究、自殺を予防する要素に関する研究はほぼ手付かずの領域だったという。

そこで、著者の岡檀さんは、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”希少地域」に着目した。この本には、4年にわたってさまざまな角度から現地調査した記録と考察がまとめられている。

はじめてこの本に出合った数年前、内容はもちろんのこと、企画となった着眼点、そのアプローチに感銘を受けた。

たしかに、ある地域の「自殺率の高さ」に理由があるとすれば、ある地域の「自殺率の低さ」にだって理由がある。その理由を解き明かして、自殺対策に提言する試みは、まさに「ポジ出し」だ。

本ではまず、全国で最も自殺率の低い10市区町村を算出。そのうちの9自治体が「島」ながら、唯一「町」だったのが、徳島県南部にある海部町(2006年に合併して現在は海陽町)だった。

著者の岡さんは、その小さな田舎町である海部町に何度も足を運び、インタビューやアンケート、隣接町村との比較を行うことで、自殺希少地域としてのコミュニティ特性を解き明かしていく。

その結論を言えば、海部町には自殺危険因子(病苦・健康問題、生活苦や経済問題など)は他の地域と等しく存在していながら、その影響を緩和する要素が潜在していた。

その要素とは、以下の5つだったという。

① いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
②人物本意主義をつらぬく
③どうせ自分なんて、と考えない
④「病」は市に出せ
⑤ゆるやかにつながる

それぞれの詳細については本を読んでもらうとして、これら5つの要素がコミュニティにおける自殺の危険を緩和する、つまり自殺を予防するための因子だと、この本では結論づけている。

調査結果をもとに著者の岡さんは、自殺対策においては危険因子を軽減する最大限の努力をしつつ、同時に予防因子の強化に注力する必要がある、と主張している。

「いかにしてこの世から自殺を減らすか」という命題には、頭を抱えてしまう人もいるかもしれないが、「どのような世界で生きたいと思うか」という問いかけに対しては、自分なりの答えを必ず出せるはずである。

この本を読んだ当時、日本にこんな町があるのかと驚くと同時に、自殺予防因子とされる5つの要素、その一つ一つに感銘を受けた。

でも最近数年ぶりに改めて読んでみたら、自分のなかで驚くことがなくなってしまっていた。なぜなら、この本で書かれていることは、まさに僕自身が今住んでいるアフリカのセネガルで経験していることだからだ。

海部町で自殺予防因子とされた5つの要素は、セネガルにはごく当たり前のように存在していて、はるか遠い日本から来た僕自身、また家族も、これまで感じたことのなかった生き心地のよさを感じている。

セネガルにはきちんとした統計のないことを差し置いても、自殺は非常に稀で、自殺率も極めて低いと思われる。

その背景には、自殺を罪とするイスラム教徒が国民の9割を占めること以上に、生きづらさを感じることがあまりない社会があるのだと思う。

もちろん貧困をはじめとする社会的困難を抱えている人は数多くいる。でも、それらが自殺を招く危険因子になりづらく、仮になりかけてもそれらを緩和する予防因子がセネガル社会には張り巡らされている。

海部町という自殺希少地域から得られる気づきがこうした1冊の本になっているのと同様に、セネガル社会に身を置くことで得られる気づきも無数にある。

その気づきを言葉にするために、こうしてnoteを書いているわけだけど、セネガルは暮らしやすいとか、子育てがしやすいというと、ともすれば日本に「ダメ出し」しているようにも捉えかねられない。

対比して「ダメ出し」することは簡単だ。でも僕が「ダメ出し」したところで何も始まらないと思うし、僕自身、気づきの態度もそれについて書くことも「ポジ出し」でありたいという気持ちが強い。

だからセネガルに住んでいるからこその視点を生かして、「ポジ出し」の文脈から、これからも生き心地のよさとは何か、それを日本社会にどう還元していけるのかを考えていきたいなと思っている。

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