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長期より短期な視点で考える子育て。

家族でセネガルに移り住んでから、2年が経った。妻の仕事の任期は2年だったから、当初の予定では先月ごろに帰国するはずだった。

それが、セネガルの子育て環境や暮らし心地、妻のキャリアの観点からも、もう少しセネガルで暮らせたらという話になり、運良く任期を延長することもできて、少なくともあと2年はセネガルに住むことになった。

延長が決まったことを受けて、僕も新しく仕事を始めた。

それまでも主にセネガルのことを伝える書き仕事や話す仕事をいくつかさせてもらっていたけど、3ヶ月前ほどから日本のNPOでセネガルからフルリモートで働かせてもらっている。

そして共働きになったことにより、ついにベビーシッターを雇うことになった(セネガルではベビーシッターではなく「nounou」という)。

セネガル、またアフリカではベビーシッターを雇うのはわりと一般的だ。うちは僕が専業主夫だったからこれまで必要としていなかったけど、周りには専業主婦や主夫で雇っている人もいる。

ベビーシッターの採用にあたり、いろんな人から紹介してもらったり、子どもの友人家族をつたってアプローチしたりと、なんだかんだ10人ほどにインタビュー(面談)をさせてもらった。

会社員時代の採用活動でも感じていたけど、人を選ぶ、というのは本当に難しい。選ぶ、ということは、当然ながら、選ばない、ということでもある。今回は10人ほどの中からたった1人を選ぶから、なおさら難しかった。

10人もいれば、いろんな人がいた。魅力的な人もいれば、そうは感じられない人、あるいは魅力的すぎると感じる人もいた。ただいろんな人と会ったことで、発見というか、自分たちの考えに気づけることが多かった。

一つは、子どもにはいろんな大人に関わって育ってもらえたら、ということ。いまでも十分いろんな大人が周りにいて関わってくれているし、そのみんながやさしい。

でもやさしい大人だけに囲まれるより、親以外から、また親とは違う角度からも怒られたりバシッと言ってくれる人がいたらいいなと思った。

だからやさしさの塊みたいな人は少し違うかなと感じたし、家庭や親によって子育て方針が違うように子育てのあり方も多様だからこそ、母親でも父親でもないけど親のように接してくれる人がよかった。

もう一つは、単純によく笑う人がいいな、ということだ。フランス語の勉強を上手に教えてくれるとか料理が上手とか保育士の資格を持っているとか、いろんな魅力を持つ人がいた。

でもそうした合理的な側面よりも、ただただ楽しく子どもと過ごしてくれたら、という側面を重視していたように思う。子どもには笑顔がたくさんある環境で育ってほしい。

結果的には、喜怒哀楽がわかりやすく感情表現豊かな、とても良い人に巡り合うことができた。

妻の仕事はたまに1週間の出張などもあって僕がワンオペになることもあり、再三周囲から聞いていた「ベビーシッターを雇えること」もセネガルの子育て環境の良さだと、身をもって感じている。

それだけでなく、フランス語に触れる機会がさらに増えたことで、子どもたちのフランス語での会話力も一気に向上したように思う。いまでは兄妹のけんかがたまにフランス語で行われていたりもする。

今回のベビーシッター探しは、改めて自分の子育てを省みる機会にもなった。今回のことに限らず気づけたのは、大体の場合、僕は子育てを長期ではなく短期的な視点で考えている、ということだ。

たとえば、うちのような駐在家族の場合、セネガルはフランス語圏だから、子どもの将来、つまり長期的な目線から、英語教育をしているインターナショナルスクールの小学校に通うのを選ぶ家庭は少なくない。

セネガルの日常では英語はほとんど通じない。一方で、子どもの将来を考えたらフランス語よりも英語ができたほうが圧倒的に世界は広がるし、長期でみれば合理的な選択だ。

だけど、うちは学校や家庭だけでなく、セネガルでの生活、セネガルの人たちとの関わりの中でいろんなことを感じたり学んだりしてほしいから、フランス語の小学校に通わせることに迷いはなかった。

それにセネガルにいる外国人駐在家族のなかで習い事をしている子どもは結構いて、子どものうちからいろんな苦手を克服させたり、得意なことを伸ばそうとしたりしている。日本でも同様のことを聞く。

でもうちは習い事はほぼしていなくて、子どもの将来のことなんて、良くも悪くも何も考えられていない。

自分の人生は短期よりむしろ中長期的な視点で考えることが多いのに、子どものことはほとんど短期な視点でしか考えられていない。いま子どもたちが楽しそうならそれでいい、くらいに思っている。

それでいいのかどうかはわからないけど、子どもは「育てる」よりも「(勝手に)育っていく」ものだとも思うから、親があれこれ先回りして考えすぎてもな、とも思う。

短期か長期かなんて、結局はバランスでしかない。でも多くのセネガル人の生き方は「今」にしかフォーカスされていなくて、そんな暮らしぶりに触れていると、もっと短期な視点で考えてもいいかも、くらいに今は思っている。

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