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子どもに「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみる。

少し前から、3歳の子どもがお昼ご飯や夜ご飯のお皿を自分で運びたがるようになった。そして案の定、中身をこぼしたりひっくり返したりして、なぜか本人が泣く、というのが日常化していた。

それが最近になり、少しずつ上手に運べるようになってきた。当たり前だけど、子どもは大きくなるにつれて、いろんなことを自分でやりたがるようになる。そして、少しずつできるようになっていく。

でも失敗することが多いうちは結構大変だ。とくに親側の気持ちに余裕がないと、失敗に寛容になれなかったり、つい苛立ってしまったりもする。

どんなことも親である自分でやったほうが、スムーズに事が運ぶのは間違いない。でもそれに甘んじてしまえば、いろんなことを親がやってしまい、子どもが自分でやろうとする機会を奪ってしまったりもする。

アフリカのセネガルで子育てをしていると、日本と比べて子育てに関わる人が多いがゆえか、子どもが自分でやることがとても多いように感じる。

だからか、同じ3歳なのに「こんなことも自分でできるのか!」と驚くことが珍しくない。

それに関連して、以前からなんとなく感じていたことがある。

それは、子どもが通う幼稚園の先生も、他の家のベビーシッターも、子どもに対して「attention(気をつけて)」と言わず、「doucement(ゆっくりね)」という言葉をやたらと使う、ということだ。

少しだけフランス語がわかるようになってきた頃から、彼女らはほとんどの場面で子どもに対して「attention(気をつけて)」という言葉を使わないことに気づいた。

僕はつい「attention(気をつけて)」という意味で「気をつけて(こぼさないようにね)」と言ってしまうけど、「attention(気をつけて)」がふさわしいと感じる場面でも、彼女らは「doucement(ゆっくりね)」と言う。

僕のフランス語の理解や解釈が拙いゆえ間違っている可能性もあるのだけど、フランス語に詳しい人にこの話をしたら「ああ、たしかに!」と言っていたのを信じるとすれば、まったく間違ってもいないのだと思う。

いずれにしても子どもの身からすれば、「気をつけて」という言葉は「こぼさないように」という意味でもあり、プレッシャーに感じるかもしれない。

一方で「ゆっくりね」と言われたら、「ゆっくり運べばいいんだ」と具体的な行動を促す意味もあり、運ぶことの肯定感もある言葉なのかもしれない、と思ったりもする。

もちろん車が来て危ないとか、そういうときには「attention(気をつけて)」が使われる。

でも、子どもが自発的にやろうとしていることに対しては、そもそも止めないし、「doucement(ゆっくりね)」といって見守ることが多い。

そうした使う言葉の違いから、セネガルで暮らす子どもたちは小さいながらすごく自律的だと感じていたことにも合点がいく。おそらく小さいうちから、いろんなことを自分でやることが当たり前なのだろうと思う。

セネガルに来て専業主夫になり、いろんな人の子育てに触れてきた。その経験から、子育ては「いかに手をかけるか」よりも「いかに手を放すか」だと感じるようになった。

「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみることもまた、「いかに手を放すか」の一つだ。

それに気づいてからは、僕も「気をつけて」より「ゆっくりね」と言ってみる子育てを、少しずつだけど心がけている。

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