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あなたは一人だ。誰よりも気高い。【魔法使いの哲学#7】【発達障害、不登校、マイノリティー、生きづらさ、孤独について】

ずっと以前から、大人の発達障害や不登校、マイノリティーや生きづらさ、その手の当事者問題にアプローチしたいと考え続けてきた。僕自身、少なからず他人事ではない。しかし自分の行う活動では「福祉」「支援」などの言葉を使いたくないなと思った。その道で素晴らしいご活動をされている方はきっとたくさんいらっしゃるのだろう。けれど、それらのワードが使われていると、なんというか「弱者感」が増す。「福祉」「支援」などの単語によって、庇護する側と庇護される側という関係性の構造が必要以上に際立ってしまうように個人的には感じる。どんな言葉も一歩間違えれば呪いになる。言葉が孕む微妙なニュアンスや心理作用に対しては、常に意識的でなければいけないと思っている。

誰だって別に「弱者」として生きていきたいわけではないと思う。むしろ逆だ。カッコよく生きていたい。美しく生きていたい。堂々と生きていたい。マイノリティーは決して「可哀想な人たち」ではない。憐れみは要らない。生き方を示せ。障害とか健常とかグレーゾーンとか、学校に行くとか行かないとか、他人に理解されるとかされないとか、そんなことは本当は大した問題じゃない。本当に大した問題は、自分が自分の人生に納得して死ねるかどうかだ。その人生を終える時「やりきった!」と言えるかどうかだ。ここに於いて、当事者は「僕たち全員」だ。

発達障害、不登校、マイノリティー、生きづらさ。おそらくこれら当事者問題の共通テーマは「孤独感」だ。そしてこれもまた、彼らに限った話ではない。何度も言うが、当事者は「僕たち全員」だ。これまでに路上で2000人以上の老若男女から悩み事を聞いてきたので知っている。人は誰しも多かれ少なかれ孤独を抱えて生きている。楽しそうに見えるあの人も、友達が多そうに見えるあの人も、みんなどこかで孤独を抱えて生きている。自分の孤独を見ずに誤魔化して生きている人、孤独をみんなにバレないように隠して生きている人、孤独を上手に味方につけている人などがいるだけだ。逆説的な言い方になるが、「誰もが一人を生きている」。産まれてくるときも死ぬときも僕らは全員一人だ。全人類が根源的には一人なのだから、逆に、“何を今さら寂しいことがあるだろうか”と思う。

「これからはコミュニティの時代!」みたいなことが近年まことしやかに語られる。だからどうした、と僕は思う。コミュニティの時代になればなるほどに、どのコミュニティにも馴染めない人の孤独感はますます強くなる。ひとつになろうとすればするほどに、一致団結しようとすればするほどに、ひとつになりきれない人、ひとつになんかなりたくない人の居場所はどんどんなくなっていく。どこに行っても誰と会っても疎外感を感じてしまう。ここなら自分も馴染めるかも? と思ったコミュニティに行ってみても全然そうではなかった時、ネットでみんなが言っていることにまったく共感できなかった時、「ああ、私は本当に一人だな」と(ある種の清々しささえ感じながら)つくづく思う。けれど、きっと同じように感じている人は他にもいるはずだ。そういう人に寄り添って生きていたい。あなたは本当に一人だ。「自分の一人さ」に向き合える時点であなたはすでに強い。コミュニティなんて入らなくていい。他人の理解を期待しなくていい。そんな気高い魂に向かって、「あなたは一人じゃないよ」なんて腑抜けた台詞はとてもじゃないが失礼すぎて吐けない。正直、てめえに俺の何がわかんだよ、となる(僕なら思う)。あなたは一人だ。誰よりも気高い。なので「僕も一人だ。よろしくな」と言いたい。そしてとりあえず年に何回か「元気?」と手を振れるくらいの関係に、あなたとなりたいんだよ。

次回、10/30㈰更新。
「癒やされるために、荒波の海に飛び込むんだよ」。

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