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高2の夏に読んだ三島由紀夫の感触
高2の夏に三島由紀夫を読み漁っていたことをふと思い出した。内容なんてよくわかっちゃいなかった。ただ、生きることが不安で、存在していることが不安で、三島の作品はその不安を紛らわしてくれるような感覚があった。自分程度の頭では追いつかないような発想を三島は描いていた。今でも、内容はよく覚えてはいない。ただ、汗ばむ季節に三島由紀夫の小説のページを繰っていた感覚だけが、この手に残っている。
書けば書くほど増す文筆家への敬意
曲がりなりにもNoteを書き始めて数週間。
誰かに読んでもらう価値のある文章を生み出すことの難しさを、少しずつ覚えていく。書くことが増えるごとに、書いた文字数を重ねていくごとに、その重みを感じていく。
文筆家の人たちってすごいなあ。自分が書いた文章でお金をもらうというのは、相当な覚悟のいることだ。自分の文章を誰かに読んでもらう、自分のために時間を割いてもらう。ましてや、商業化したならば自分
「自分の言葉」を使った仕事をしたいという思い
背景画像は、どこぞの黒板に書いた自筆です。
「自分の言葉」については、上記Noteでも言及しています。
大学までは、いい職に就ければ、安定した収入さえあれば人生はそれでいいと考えてきた。それを掴むことだけに躍起になっていて、自分のやりたいことがどうだとか、自分が何を愛しているだとか、自分が何をしていきたいだとかは深く考えてこなかった。心の奥底では思っていたとしても、蓋をしてきて、レールの
社会人って、なに?〜最果タヒ『きみの言い訳は最高の芸術』収録「いい人とは日記」を読んで〜
「詩人」は詩を紡ぐ人。詩を介して感情を映し出す人。
では、「社会人」ってなに?働いていようが働いていまいが、すべての人は何らかの形で社会に包摂されているはずだ。「社会人」という言葉には、働く人の、もしくは働くことが当たり前だと思っている人の、傲慢さが表れている。
「幸せ」について〜最果タヒ『もぐ∞(もぐのむげんだいじょう)』収録「パフェは自給自足のロマンチック」を読んで〜
「幸せになりたい」という言葉が口をつくことがある。この「幸せ」とは何なのか、そして、幸せに「なる」とはどういった状態なのかを、因数分解してみても面白いかもしれない。
「幸せ」を構成する要素は数多くあるし、どの要素で構成されるか、またそれぞれの比重も人それぞれだろう。おいしいご飯をお腹いっぱい食べられたら幸せだろうか。多くの人と関わっている状態が幸せなのか、一人でも幸せになれるのか。
自分の
思い出せない話は所詮その程度の大事さ
「あれ何だったっけ、何か話そうと思ってたんだけど」というセリフが出てくる時点で、そんなに大事な話ではない。本当に大切なことは、メモをしなくても心の戸棚のよく見えるところにしまってあるから、探さなくてもすぐに見つかる。そう信じて、思いついたことのメモを取らないときもある。そこそこ大事なことだった気がするけれど、数十分経ったら忘れてしまった。まあ、その程度の大事さだったのだろう。また必要な時が来たら、
もっとみるドラマ『いちばんすきな花』2周目第1話
特に好きな作品だったので2周目も視聴してみた。
伏線の張り方が巧みすぎる。1周目では気づかなかった伏線が網の目のように巡らされている。セリフの端々、情景描写の端々からメッセージが肉薄してくる。これだけ秀逸な脚本・演出ができるなんて素晴らしい。
生方さん脚本の次クール月9『海のはじまり』への期待も高まっている今日この頃。『いちばんすきな花』を見返しながら、思索に耽ろうと思う。
復職訓練開始から一週間
復職訓練開始に至る経緯は下記。
復職訓練の第一段階、午前中だけ出勤するプログラムをこなして早一週間。休職前のように職場にいても苦しくなることもないし、しっかりと睡眠を取れている分、頭も冴えている。この良い状態を来週も継続できれば、勤務時間を延ばしていってフルタイムに戻ることもできるだろう。順調に進んでいるからこそ、ここからも慎重に歩みを進めていきたい。
フルタイムの勤務に戻ることがゴールで
人生を横の比較でなく縦の比較で見つめてみようという話
今日のお隣さんや有名人との比較(=横の比較)でなく、昨日の自分、数年前の自分との比較(=縦の比較)で今日を生きていけば気が楽になるよねという話。たしかに隣の芝生は青いし、有名な人と比べればこれまでの自分の道のりが頼りなくて不安になってしまうこともある。そんなときには、過去の自分を顧みることにしている。数年前の自分より数センチでも前に進んでいれば、偉大な進歩と言えるのではないかな。