勉強と幸せ〜勉強して得られる地位って、代替可能なんじゃないか?〜

 学生生活を終えてからというものの、勉強になんだか身が入らない。
 業務上必要な知識を入れたり、興味関心のある分野の資格検定に向けて勉強したりすることもあるのだけれど、筆がどうにも進まない。

 きっと、勉強したことに対しての対価にそこまで満足できていないからだろう。勉強することで、収入が上がる蓋然性が高くなるのはわかる。頭ではわかっている。それでも、心がついてこない。

  周囲から「勉強しなさい」とか言われたきたわけではないけれど、自分の将来が明るくなることを信じて、ペンを握ってきた生涯だった。高校受験でも、大学受験でも、学べば学ぶほどに、レベルが上がれば上がるほどに、幸せになることを信じてペンを握ってきた。
 ただ、そこまで幸せが比例しているのを感じない。どちらかといえば、勉強に打ち込むことで削ぎ落とされてしまった感受性や表現力もある気がして、今はそちらの方が惜しい気がしている。

 勉強して、知識をつけて仕事をするというのは、ともすれば勉強すれば誰でも代替可能な仕事に就いているだけのような感覚がして、あまり居心地のよいものではない。今ついている職場の椅子も、すぐに誰でも置き換われそうな気がする。現に、休職しても職場は問題なく回っていた。

 自分の中で、「幸せ」の基準を打ち立てられていないのも問題なのだろう。そうとも考えられるし、まだ現状に満足していない、まだギラつけるという証左かもしれない。

 今まで試したことのないことをやってみよう。今まで考えもつかなかったようなことに挑戦してみよう。幼い頃に持っていた感受性を取り戻してみよう。代替されることが嫌なのであれば、誰にも置き換わることのできない「自分」を見つけて、打ち立てよう。そうすることで、胸を張って生きられるはずだから。


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