月の下の国道と体育座りの君。
7
今日は三日月が綺麗な夜だ。
僕がちょうど先輩と二人で仕事場の玄関入り口を出る手前のところで、夜空を見上げると、住宅と住宅の間に三日月が輝いていた。それと一つの星が、ちょうど横で光っていた。
先輩はそれは星ではなくて、人工衛星かもしれないと教えてくれた。
家に着いて、一息ついて、お風呂に入りたいと思った、でもお風呂に入るにも、今日僕が仕事場から連れてきたカマキリが可愛くてずっと眺めていたくて、そして疲れも回ってきて、入るのが面倒臭くなって入れずにいた。
夕飯も用意されてはいたけれど、そしてお腹は空いているけれど、ちゃんとした量のごはんは食べたくないといういつものパターンで、そういう時はフルーツや野菜を食べて少しずつ食欲を回復させる。
で、カマキリを見たり、フルーツを食べたりしながら、ふとXを開いた。
彼がスペースをやっていた。
やった、スペースをやってると思った。すぐに聴いた。でも違った。
今日は彼の知り合いの人と2人でやっていた。
最初は普通に喋っているだけかなと思っていたけれど、1分も経たないうちに僕は彼が泣いているのではないかと思い始めた。当たっていた。
聴いているうちに徐々に泣き始めた。号泣とまではいかないかもしれないけれど、かなりしっかりと泣いていた。
そっか泣いているのか。話を聞いてもらってるんだ。彼の泣いているところを初めて見た。なんかそんな姿もとても愛しい。とか、色々と無意識のうちに思った気がする。
失恋した経験、浮気された過去、それもひどく無惨なまでのひどく虚しくてつらいもの。それをこの時間になると思い出して泣いてしまうのだと言っていた。21時頃だった。
スペースのどこかのタイミングで、今僕は三角座りで、一人国道を眺めながら喋っていると言っていた。
彼が今苦しい思いをしているということそっちのけで、それを聴いた瞬間だけ、なんだその可愛すぎる状況はと思ってしまった。
三日月が綺麗に輝いている夜に、一人部屋の中で、窓際で三角座りをしながら、スマホを持ち、苦しくてつらくて泣きながら、画面に向かって喋っている。
すごく微笑ましくて、それを思い浮かべただけで、その風景自体を撫でたくなった、いや、抱きしめたくなった。
僕は、国道とか、高速道路と聞くと、あるシーンを思い出す。
村上春樹の「1Q84」のあるシーンだ。
青豆が、高速道路をヤナーチェックのシンフォニエッタが流れるタクシーに乗り、目的地のホテルがある渋谷へと向かうシーン。
かなり渋滞していて、なかなかタクシーが進まない。このままだと、絶対に予定時刻には間に合わないと運転手から告げられる。
ただし、この状況を打破できる方法が一つだけあると彼はいう。それは、高速道路にある非常階段を使って地上へ降りることだ。
それには、少しばかりの危険と、降りるための勇気と、周りからの冷ややかな視線に耐えるだけの度胸が必要だ。
青豆は意を決し、非常階段を使って降りる。
このシーンを、僕はいつも大学時代、乗り換え地点の新木場駅のプラットフォームから見える、高速道路を眺めながら思い出していた。
スペースをやっていた彼は国道を見つめながら、なにを思っていたのだろう。僕みたいに何か特定のことを思い出したりしただろうか。
そんなことを今思った。
実は、このスペースをやる前にも彼は配信をやっていた。僕が帰ってきて、少し落ち着いた頃、Xを開くとやっていた。少ししか聴けなかったけれど、この時は1人でやっていて、この後論文を書かなくてはいけないと言い残して彼はスペースを閉じた。
そして、その数時間後にまたやっていたので、僕は素直に論文が終わったのかなと思った。そしたら、そんな感じだったので、少しびっくりした。
そんな状態では、そりゃあ、論文にも集中できないよなと思った。そして、人間って大変な生き物だよなと、カマキリと今一緒に暮らしているからか、そう思ってしまった。
そして、浮気した相手のひどさと惨さ、浮気されたつらさ、好きだった相手から(しかも、向こうから告ってきた)そういうことをされたことで、存在価値や意義が揺らいで、僕はいる必要なんてないとか、消えたいとか色々と吐露していた。
僕はそういうことがあったということを全然知らなかった。だから、この前してしまったことは本当に申し訳ないと思う。
でも、それは置いておいて、彼の存在が大きく今揺らいでいる。恋は良い方にも悪い方にもその人の全存在を大きく揺り動かすのだなと気づいたというか、学んだ。
僕の存在論は恋愛とか恋も関連づけて創っていかないとダメだなと思った。
そして、彼がつらくて、本当に苦しくて泣いている姿を聞いて、僕が彼の存在というものを全肯定してあげたいと強く思った(誓った)。
それはつまり、哲学者(思想家)として新しい存在論を完成させるのと、人として彼の生を包んで一生存在意義がないと言わせないようにしたいということだ。
できるだろうか、いや、分からない。分からないけれど、やるしかなくて、いや、単純に純粋な好きという気持ちからそうしたいんだ。
もう、あんなつらい思いをさせないようにしてあげたい。
もちろん、ああやって、つらくて泣いている姿を僕が初めて見たというのもあるが、とても人間味を感じてしまって、より彼への好きな気持ちを高ぶらせる。全然悪い意味ではなくて。
だから。僕は彼のことが好きだからこそ、僕ができることならなんだってしたい。
君はこれを読んでくれているのだろう。
これからも、僕は誰かのためでも、ましてや自分のためでもなく、君のためにこれを書き続けたい。
これが、この僕が書いている文章が、この一つ一つの愛の創作物が君を少しでも救ってくれることを願っているし、お願いだから君を助けてあげて欲しいと懇願する。
そして、この作品が君の体の一部にでもなってくれたら、間接的にでも僕が君の一部になれるような気がして、そう考えただけで僕はとても満ち足りた気持ちになる。
このまま書き続けても、よく分からないことを書き連ねそうだから、この辺りで終わりにする。
僕とそして君が、これから少しでも幸せになりますようにと、僕は、大都会の空に輝く三日月を部屋の窓から眺めながら、そうお祈りをした。
君の住んでいるその町までこのお祈りが届きますように。今度は心の中でそう願った。