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ボツネタ御曝台【エピタフ】混沌こそがアタイラの墓碑銘なんで#029



元歌 西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」

もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう


もしも醤油がヒゲタなら
刺身の残りをズケにして
一晩寝かせることだろう




とにかく先輩は、スーパーの〈半額〉が好きなのです

〈10%OFF〉や〈30%OFF〉はもちろん、〈50%OFF〉でもダメなのです

〈半額〉という、あの字面も含めて好きなのですから

たとえ、〈70%OFF〉や〈90%OFF〉があったとしても

いや、〈100%OFF〉の無料よりも、先輩は、断然〈半額〉を選ぶのです

〈半額〉を狙うライバルはたくさんいますから、そう簡単には手に入りません

それでも時々、いや、これはめったに無いことですが

誰もいない惣菜コーナーが、見わたす限り〈半額〉になっていることがあります

そんなとき先輩は、あまりのことに昇天しそうになり、その場にへたり込んでしまいます

そして、買い物カゴにありったけの半額品を詰め込むと、おぼつかない足取りでレジへと向かうのです

……

……そんなことはどうでもイイのです

前回の続きをお話しなければなりません

どこまでお話ししましたっけ?

ああ、そうそう、涙そうそう

キャバクラの仕事終わり、先輩が『えるみたーちゅ♡』グループに呼び出され、大勢のキャバ嬢たちに囲まれてしまった、というところまででした、たしか……




仕事にあぶれたキャバ嬢たちの目は、かなり血走っていました

気の強そうな顔をしたリーダーが、先輩の前に歩み寄ります

そして、先輩の胸ぐらをグッと掴みました

先輩は手を出さず、ただニヤニヤしています

「ラストだよ、これが……どうすんの? ウチらのグループに入んの? 入らないの?」

先輩は、相変わらずニヤニヤしているだけです

「は? もしかして、なめてる?」

リーダーは、先輩の左頬を平手打ちしました

先輩は相変わらずニヤニヤしながら「いち」とつぶやきました

「てめぇ! 調子乗ってんじゃねーぞ!」

今度は、右頬が打たれました

直後に、「に」と先輩はつぶやきました

そして先輩は、「服が伸びるから、その手を離しな」と小さな声でいいました

「あ? お前、自分の置かれてる立場わかってんの?」

そういいながら、リーダーはもう一度先輩の右頬を打ちました

先輩の口が「さん」とつぶやいた瞬間、先輩の表情から笑みが消えました

先輩は、リーダーの爪先を踏むと、両手で軽く相手の胸を押しました

普通だったらバランスを崩すだけなんですが、爪先がしっかり踏まれていたので、リーダーは仰向けに倒れてしまいました

地面で後頭部を打ち呻いているリーダーの上に、先輩はゆっくりと馬乗りになりました

そして、肘の尖った部分をリーダーの喉元にゆっくりと差し込みました

ウググググ、ゲェー! ゲッホ! ゲッホ! ゲッホ!

先輩は立ち上がると、周りを囲んでいるキャバ嬢たちをゆっくりと見わたしました

「帰ってイイか?」

嬢たちは、声を出すことも身動きひとつすることもできませんでした

あまりにも恐ろしかったからです

彼女たちが感じた恐ろしさは、暴力的な恐ろしさではありませんでした

先輩の身のこなしが、あまりにも優しかったからです

それはまるで、愛する者を慈しみながら手にかけているような、悲しみに満ち溢れた行為だったからなのです

……

この時に店を辞めてしまえばよかったのです

……いや、やっぱり、そんなのは後知恵です

……

リーダーを屈服させたこと自体は良いのです

現に、この一件以来、先輩にちょっかいを出すものは誰もいなくなりました

しかし、みんなが見ている前で、リーダーに恥をかかせたことが良くありませんでした

リーダーの復讐心を異常なまでに高めてしまう結果になったからです

……

ある日、先輩のことを密かに慕っている一番年下のキャバ嬢が、すれ違いざまに一枚のメモをわたしてきました

気をつけて! リーダーは復讐しようと企んでいる

不良の男友だちに頼んで、拉致ってやる! といっていたと……

……

実は、アタイも、そのメモを見せてもらいました

先輩とアタイは、それを笑い飛ばしました

そんな脅し文句は、ヤンキーの世界では日常茶判事だからです

それに、過激な脅し文句の内容が実際に実行されるようなことは、まずありませんし……

警察の御厄介にならない程度でケンカをするというのが、暗黙の了解なのです

しかし、不良グループの中に権力者の息子がいるとなると、話は違ってきます

事件を事故にしてくれる親がいるわけですから、犯罪実行へのハードルは自然と下がってしまいます

当然ですが、アタイラはそのことに気づいていなかったのです

……

……

その日、先輩は仕事に向かうため人通りの少ない道を歩いていました

わきに駐車されていた黒塗りのワンボックスカーの横を通り過ぎようとした瞬間、後ろから羽交い絞めにされました

と、同時にクロロホルムのしみ込んだ脱脂綿で鼻と口をふさがれました

そして、意識を失った先輩は、そのままワンボックスカーに引きずり込まれてしまったのです

……

……

……

……深夜の高速道路を黒塗りのワンボックスカーが走っています

何の変哲もない、ありふれた光景です

しかし、次の瞬間、意識朦朧とした一人の女が、走行中の車から投げ捨てられました

そして、女は、後続車二台に立て続けに轢かれてしまったのです





先輩、どうしたんすか? 

一人で出かけたと思ったら、そんなにたくさん買い物してきて

なんすか? これ? 寿司と刺身ばっか……

いくら半額でも、さすがに買いすぎでしょー!

とりあえず今夜は寿司だけ頑張って食べて、刺身の方はズケにして明日食べるしかないっすね

……

ところで、どうしたんですか? こんな高いものばっかり

……

就職祝い?

……

誰の?

……

え? 先輩の?

……

……

……

いや、何でもないっす……

……

いや、別に怒ってないっすよ……

……

……おめでとうございます…………

……

……

先輩は、キャバクラ店『えるみたーちゅ♡』への本入店が決まったといいました

……

アタイは、血の気が引き、倒れそうになるのを必死でこらえました





アタイは、暮居カズヤスに食ってかかりました

……

何で許可したんだよ?!

仕事をしても大丈夫だと、モナドンから許可が出たっていってたぞ! 先輩が!

「まあ、厚化粧してウイッグもつけるっていうし、本名も使わないから……」

「それに、君たちのことを知っている裏社会の人間の95%以上がすでに死亡したらしいんだ」

だから安全だっていうのか?!

お前らが許可を出さなかったら先輩は働かずに済んだのに!

「ウソはつけないよ」

「それに、もしも、僕らが許可を出さなかったら、彼女はこのアジトから出て行っただろう」

「それくらいのことは、わざわざモナドンに訊かなくても、僕でもわかる……」

……

……

「でも、まあ、そんなに焦ることはないよ」

「彼女がキャバクラで働き始めた、というだけだ」

「隣町の系列店で火災が発生するかどうかもわからないし、たとえ焼けてしまったとしても、彼女が実際に抗争のとばっちりを受けるかどうかも、まだわからない……」

……

……

なあ

「ん?」

……

もし……もしも……

事件のことを全部、先輩に打ち明けたら……どうなる?

……

「彼女がこの時間軸に存在できているのは、彼女が事件のことを知らないからだ」

「だから、もし彼女が真相を前もって知ってしまったら、その瞬間、彼女はこの世界から消えて無くなってしまうだろうね……」

……

……やっぱり、そうか……

……

先輩が消えてしまったら、今までの苦労が水の泡だ

「そんなことは無いよ、人生に無駄なことなんて、ひとつも無い」

……

ふん、人生なんてどうでもイイ、アタイは、どうすれば先輩が苦しまないですむか、それが知りたいだけだ

……

「君は、また新しいバグを創り出そうとしているね」

バグ?

アタイの愛はバグなのかよ

「この愛無き世界ではね」

「現代には愛が無いと、散々いってしまったけど、愛はあったらあったで厄介なものさ」

「人は、愛するものを守るために戦場へ行く」

「そして、愛していない人を殺し、自分のことを愛していない人に殺される」

「人が誰かを愛するということは、同時に、愛さない人を創り出すということなんだ」

「それが、僕らの限界、世俗的な愛の限界だ」

「君の先輩を想う気持ちは、いったい何なんだろうね」

「本当の愛を語った先人たちは、世俗を捨てたり、民衆の中にあったとしても、常に天とつながっていたりしたものさ」

「僕らには、そんなこと到底無理に決まっている」

「なら、僕らには何ができるだろうか?」

「いや、君は何をするべきだろうか?」

……

簡単だ! 先輩を守ることだ! 先輩が事件に巻き込まれないようにするだけだ!

「事件に巻き込まれなかったら、それでハッピーエンドなのかい?」

「僕らの人生はハリウッド映画とは違う」

……

……

「その事件を先輩が受け入れていたら、どうする?」

何をいってる!?

……

「確かに不幸な出来事だったかもしれない、でも、それをも含めた自分の人生を、自分の運命を、彼女が受け入れていたらどうする?」

は? いい加減なことをいうんじゃねえ!

てめえ、訊いてきたのか?

前の時間軸に行って先輩に訊いてきたのか!?

「いや、訊いてないよ、これは想像力の問題だ、相手の気持ちを推し量る想像力のね」

……

「彼女は当然苦しんだだろう、暗くて冷たい深海に沈んでいただろう」

「でも、苦しんで苦しんで苦しみぬいた果てに、海の底を蹴って一気に浮上して、雲の切れ間から差し込む美しい太陽の光を見つけていたとしたらどうだろう?」

「とてつもない不幸をあえて受け入れ、人生の全てを肯定していたら……」

「事件の前よりも、空の青さを美しいと感じとることできるようになり、世界と和解したかのような幸福感を手に入れていたとしたらどうだろうか?」

「もし君が、あの事件を無かったことにしてしまったら、彼女の悲しみや葛藤、そして、その苦しみの果てに勝ち取った大切な何かを、全て無駄にしてしまうことになるんじゃないのかい?」

……

……

アタイは……どうすれば先輩が幸せになれるのか……どうすれば苦しまずにすむのか……それだけを願ってるんだ……それだけだ……

……

……





隣町の系列店『ムーラン・ガールズ』で火災が発生したら、すぐにモナドンが教えてくれるよう、暮居カズヤスは手はずを整えてくれました

それでもアタイは、落ち着くことができず、毎朝地方紙が置いてあるコンビニによっては、火災の記事が無いかを確認するのでした

『ムーラン・ガールズ』で火災が発生していないことを確認してからでないと、アタイはその日一日を平常心で過ごすことができなくなっていたのです

……

先輩は毎日が充実しているらしく、とても幸せそうでした

その様子を見るたびに、アタイの心は締めつけられました

そして、上機嫌な先輩に合わせて楽しそうに振る舞うことも、アタイにとってはとても辛いことでした

……

……





そして、ついにその日がやってきました

『ムーラン・ガールズ』で火災が発生したと、モナドンからの速報が入ったのです

未来を知ってしまうということは、なんと恐ろしいことなのでしょう

アタイは恐れ慄きましたが、同時にある種の覚悟のようなものが芽生え始めているのを感じました

アタイの心は、自然と余計なものをそぎ落とす方向に向かっていきました

どうすれば先輩が幸せになるかではなく、どうすれば先輩を救えるかという方向へです

でも、考えないことが良くないことだということも、わかっていました

それゆえに、アタイはもう一人の自分自身に問い詰められるという日々も、同時に送ることになってしまったのです

自分自身が選んだ選択への揺るぎない確信と、それが本当に先輩のためになるのか? という、もう一人の自分からの問いかけ

そんな分裂状態が、アタイを日々追い詰めていきました





その日の二日前、アタイはついに爆発してしまいました

お願いだから、何も訊かずにキャバクラを辞めてほしい! とアタイは先輩に懇願しました

もちろん先輩は、そんな訳のわからない理由で辞めるはずがありません

……

そもそも先輩はなんで働くんですか?

働かなくたって充分暮らしていけるでしょう!?

……

イサオの餌代だ……と先輩はいいました

たまのご馳走だけでも、自分が稼いだ金で買ったモノをあげたいのだと……

……

そんな……そんなことで……

……

アタイと先輩は大きな声で言い争いました

寝ていたイサオがビックリして首をもたげ、目を大きく見開くほどでした

……

それが一昨日のことです

それ以来、先輩とは口をきいていません

イサオも昨日から姿が見えなくなりました

アタイは、一人ぼっちでした

……

そして、明日は、あの忌々しい事件が起きた日なのです

一人ぼっちのアタイの話し相手になってくれるのは、世界で二番目に性格の悪い男、暮居カズヤスだけでした

……

……

……もう、どうすればイイかわからねえんだ……

……

なあ、どうすればイイ?

……

「冷たいと思われるかもしれないけれど、この件だけは君自身が決めるべきだ」

……

人間なんて、所詮は一人ぼっちってことだな……

こんな時にイサオがいてくれたらなぁ~

昨日から姿が見えねえんだけど知らねえか?

……

「知っているといえば知ってるが、知らないといえば知らない……かな」

何だそれ

「ネコは不思議な生き物だからね」

「僕らはみんな、必ずどこかにいなければならない場所的存在だ」

「その点、ネコは場所を選ぶ精度が極めて高い」

「自分がいつ、どこにいるべきかをしっかりと把握している」

「コンピューターのキーボードを打とうとすれば、キーボードや腕の上にちゃんと座るし、久しぶりにピアノでも弾こうと思った途端、鍵盤の上でくつろぎはじめる」

「僕らにできることは、出来る限りネコたちの邪魔をせず、彼らに自由を与えてやることだ」

は? 何をいってるんだ? お前

イサオはどこに行った! てめえ! イサオに何をした!?

情緒不安定なアタイは、思わず暮居の胸ぐらをつかんでしまいました

……

「……何もしていないよ、いや違うな、僕はイサオ君に自由を与えただけさ」

「彼自身が自由に判断できるようにね……」

お前、アタイに隠してることがまだあるだろう!?

……

「隠していたわけじゃないけど、君の判断に著しい影響を及ぼしてしまうと思って、あえて黙っていたんだ」

それが、隠すってことだろうが!

……

「君だって薄々わかっているんだろ?」

「君たちとイサオ君とのめぐり逢いが、決して偶然では無かったことを……」

……

お前、何をいってるんだ!?

……

「たぶん彼は、自分のいるべき場所に向かっているんだと思う」

「あの夜、彼は、あの時間、あの場所にいたんだから……」

……

……

……





暮居カズヤスからイサオの秘密を聞かされた夜、アタイは眠ることが出来ませんでした

それでも、朝方の一瞬だけ落ちるように眠りについたのですが、その時、イサオの夢を見たのです

……

イサオは、あの夜の高速道路にいました

そして、路肩にたたずみながら、救急車からストレッチャーが運び出されるのを見ていました

その夜、イサオは自動車に轢かれて死んでしまう運命だったのです

しかし、一人の女がその自動車に先に轢かれてしまったため、イサオは間一髪命拾いしたのです

……

夢の中のイサオは、救急車へと運ばれていく先輩をジッと見つめていました

その大きく見開いた瞳は、救急警告灯の点滅を受けてキラキラと赤く輝いていました

……

……

……

……

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