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【アニータ・ムアジャーニ】 「スピリチュアル」な教えに自ら傾倒し"死んだ"私が伝えたいこと(動画・翻訳)〜向こう側で見てきたこと 8

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こちらの記事をご覧いただきましてありがとうございます🍀

個人的に敬愛するアニータ・ムアジャーニ(Anita Moorjani)さんの動画(2021年12月)の翻訳をしたはろ/Halo🍀です。

ステージⅣの末期がんから臨死体験を経て生還し、向こう側の世界とこの世に関わらず、本来の自分で在ること=愛だと「無条件の愛」とワンネスの世界を語り続けるアニータ・ムアジャーニさん。

「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」発刊10周年記念版(原書)発売 アニータ・ムアジャーニ
(日本語翻訳版は2013年初刊)

アニータム・アジャーニ オリジナル動画 
Being "Spiritual" Almost Killed Me - View from the Other Side, Episode 8
2021/12/18 にライブ配信(13分51秒)
Anita Moorjani Official YouTube Channel
【オリジナル動画(英語音声)で聴きたい方はこちらの「オリジナル動画」からどうぞ】

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私たちは、皆、誰もがそもそもスピリチュアル(霊的)な存在です。私たちは完璧な状態で生まれ、いつか完璧な状態に戻るのです。このことを思い出し、これを自覚した場所から人生を送ることが、究極のスピリチュアルな行為なのです。

しかし、私たちはどこかでこの真実から切り離され、「スピリチュアル」であることについても、自分たちの外側に、「スピリチュアル」な人間像というアイデンティティを与えてしまったのです。私達は、「スピリチュアル」な人というと、スピリチュアルな人になるために何らかの試練を乗り越えたり、頑張ったり、苦労したり、また、自己犠牲するような人をイメージするようになってしまいました。

臨死体験をする前は、私自身、非常に「スピルチュアル」でいようと行動していました。私は常に、多くのことを祈り、多くのことを黙想し、より多く奉仕しようと心がけ、そして、私のエゴ(自我)を抑制するありとあらゆることを試みていました。私は、あらゆる宗教の標準からいっても「よい人」と考えられたであろう姿になることを追い求めました。病気になったときも、無理をしてボランティアを続けていましたが、すでに癌で自分が死にそうな体調だったため、正直に言うと、あまり役に立っていたとは言えません。

私は、繊細で傷つきやすく、(当時)疲れ切っており、まずは、自分自身のケアをする必要があったのですが、「スピリチュアルであること」と「カルマを減らすこと」に集中し、自分が自分を生きている人生というところから、完全に切り離されてしまったのです。私は、自分の魂が十分でないと思い込み、より良くなるために「スピリチュアル」である必要があると考えていました。
私が実際に死の淵を超えるまで、スピリチュアル(霊的)であることは自己犠牲をすることではないと理解することができませんでしたが、実は、その正反対であることを悟りました!
スピリチュアル(霊的)な存在であるということは、まず自分自身を思いっきり満たすことです。それは、自分自身を愛と喜びで満たし、それが、自分から流れ出て、自分が接するすべての人に影響を与えるということです。


私たちは、しばしば、豊かさを恥としますが、自分自身が安全で満たされているとわかっていれば、世の中のために良いことをするのはとても簡単で、とても気分が良いものです。かつてボランティアをしていた頃を思い出すと、もし、自分が強く、健康で、愛に満ちていたら、どれほど良いことができただろうかと思い返します。もし、当時の私が、何も間違っていない、不足していない、私の魂はいつも完璧だと知っていて、他の人にアプローチすることができていたのなら。

#nde #death #otherside #spirit #spirituality #soul #cancer #AnitaMoorjani

Anita Moorjani Official YouTube Channel


こんにちは、皆さん、戻ってきました!
二、三週間、ライブ動画の配信をお休みさせていただきましたが、私はセドナから戻ってきました。
セドナで2年ぶりに、私達、アニータ・ムアジャーニチーム全員も一緒に同行してイベントを開催し、心から楽しい時間を過ごしておりました。その名も「Stepping Into Your Power」(4日間のリトリート)というイベントを開催したんです。

南カリフォルニアに戻ってお届けしていますが、今日はとても寒くて、空は灰色、土砂降りの雨です。
南カリフォルニアにいるとは思えない天候、まるでイングランドにいるみたいです。暖炉で暖をとっているのですが、今日はとても暖かい居心地のいい服装で、紅茶をいただいていて、それで、ちょっと皆様の前でお話をしようと思っています。

今日は、私の心の奥底で大切にしてきているある話題について、なぜそのテーマを大切にしてきているかの理由も含めてご説明したいと思います。
それは、「スピリチュアルであろうとすることが私を死にまで追いやった」というテーマです。
おそらく、視聴者の皆さんは、どうしてそんなことを、私が心の中で大切にしてきたか不思議に思っていることでしょうね。

実は、私は人々から、時々、最近でも、今でも、こう言われたり、こう言われることがあります。
「うーん、あなたは、もっとスピリチュアルになるべきです」とか「あなたの写真を見ると、あまりにも楽しそうなことだけやっているように見える」とか「あなたはただ楽しいことだけやっているようですよね」とか「毎回、違った服を着て、買い物を楽しんだり、好きなところに行ってばかりいる」とか「せっかく臨死体験までして、この世に生きているのなら、そんなに物質的なこと、俗世間的なことにあまり没頭しない方がいい、もっとスピリチュアルになるべきですよ」
そんな風に言われることがあります。

私自身は、人々がそう声をかけてくださるのはありがたいことなんです。
こういうことは、私にいつもお話しする話題やテーマのアイディアをくださるから。そういう意味でも、皆さんのコメント、フィードバックなどあらゆるご意見や感想を聞くのが好きですし、ありがたいと思っています。

今日、私があなたにお伝えしたいのは、臨死体験をする前の私は、極度に「スピリチュアル」にハマっていた人間でした。極度にスピリチュアルな人でした。それは、どういう意味かというと、「スピリチュアル」になるために常に努力しなければならないと、私は心底「スピリチュアル」を信じている人でした。これは、私が癌と診断される、あるいは何らかの病気と診断されるよりもずっと以前、物心ついた頃からのことです。あらゆるいろいろなスピリチュアルな教えと出会っては、いつもそれを信じていました。もっと瞑想しなければならないとか、もっと祈らなければならないとか。かつての私は、もっとその時の自分よりも、奉仕をしなければならない、ヒンディ語で言う、セヴァseva(奉仕)をしなければならないと信じていました。

そうやって、いつも何をするにも、もっとその時の自分よりもよりスピリチュアルになるために行動していました。
かつての私は、エゴ(自我)は悪いものであると信じており、もっとスピリチュアルになるために、常にエゴを抑えていました。
何か自分のために力を尽くしたい、自分は注目されたいという欲求が出てくる度に、あーそれは、私のエゴだ。それは、私のエゴだ、エゴは悪いものだ、と自分のエゴを抑えつけようとしていました。
常に、受け取るより与える方がいいに決まっていると信じていました。
だから、私は自分自身を与えて、与えて、自分自身を与え続けても、どうしても、受け取ると言うことが全くできませんでした。

そして、私は、ガンと診断されました。

今日、そうして末期癌からの臨死体験の後、私は、その原因の多くに気づきました。それは、私自身が抑圧されていたからだと、自分が自分であることを許せなかったからだと思います。
癌を闘い、克服しようとしている最中ですら、私は受け取るより与える方がいいと信じていました。

ガンにかかったのにも関わらず、私の苦悩は癒されることはありませんでした。何をするにも、何を考えるにも、何を感じるにも、自分のエゴを抑圧し、「ドアマット」(外側の世界や他人に対して自分を差し出し、自己犠牲をしてしまうエンパスの人の傾向)になり、自分で自分自身をそこにはいないような、目に見えない存在に追いやっていました。

死が私に真実を教えてくれたのです。
というのも、癌になりながらも、私はそれまで以上に心配し怖れていました。私の病気を通して、私を助けてくれようとしている、私を助けたいと思ってくださっている人々のことを心配するようになりました。「いえいえ、大丈夫、私に助けはいらないです、私は大丈夫です。」と思っていました。
その当時、私は、受け取るのは悪いことだと常に感じていたからです。過去のネガティブなカルマをすべてクリアにしなければならないとも思っていましたし、いわゆる「スピリチュアルな人たち」に言われることもありましたし、そう言ってくる人々もいると思います。
「ガンになったのは、あなたの悪いカルマのせいだ。」
「悪いカルマを取り除くために、もっと奉仕しなければならない。」

私は、常にありとあらゆる種類のヒーリングを試していました。
どんな治療法もヒーリングもうまくいかなかったので、だからこそ、人々に「それはあなたのカルマに違いない。あなたのカルマのせいだ。」「もっと奉仕の精神を持って、もっとチャリティー団体に参加し寄与し、過去のカルマをすべて清算する必要があります。」と言われたら、それを信じた私は、さらに奉仕活動に参加して、さらに祈りを続け、さらに瞑想に没頭し続けました。そうやって私は死ぬまで、そうしていました。

そして、死の淵を渡り、向こう側の世界に行った時(ようやく初めて)
私は、「ああ、なんということだろう!そのような行為ありとあらゆるすべてをやっていたからこそ、私は抑圧され、憂鬱で、不幸せで、受け取ることができず、自分が自分であることを受け入れたり許すことができず、自分が見えない存在になってしまうほどまでエゴを押し殺して、私の魂が輝くことを許すことをせず、だからこそ、ガンという病気になり、死んでしまった」と気づいたのです。
こうやって死んだのは、私がそれまで抱いていた「スピリチュアリティとは、こうあるべきだ」という信念・思い込みのせいだと気づいたのです。

そうして、向こう側に渡った時、私たちというのは、皆もともとスピリチュアル(霊的)な存在で、誰一人として、スピリチュアルな存在になれないことはありえないと確信しました。
なぜなら、私たちはスピリチュアリティ(霊性)そのものであり、私たちは霊(スピリット)から生まれ、霊(スピリット)に還っていくのです。
だから、あなたが誰であろうと、あなたはスピリチュアル(霊的)な存在なのです。

知っていただきたいのは、自分がスピリットであり、スピリチュアル(霊的)な存在であることを自覚し、自分のスピリットとつながり続けることです。私たちの霊は、私の霊は、私たちの霊は、今、ここに、この時期に、この肉体の中にいることを選んだのです。
私の霊は、この肉体に戻ってくることを選びました。この肉体での物理的人生を生き、経験し、全うし、それを完全に受け入れること、それが、今、私のやろうとしていることです。
だから、私には、自分自身であること、本来の自分であることは、スピリチュアル(霊的)な存在であることと同じです。

なぜなら、あなたはそもそも完璧な状態で生まれてくるからです。
だから、本当の問題というのは、私たちは、そもそもスピリチュアル(霊的)な存在として生まれてきたのに、何年か経つと、私たちはスピリチュアル(霊的)な存在であるという認識が危ぶまれ、侵食され始めるのです。

そうすると、自分の道から外れてしまい、自分に関するあらゆる信念・思い込みを蓄積することになります。そして、時には、自分が抱いたスピリチュアルな信念・思い込みによってさえ、実際には、自分を無力に感じ、自分は劣っている、自分には何か足りないと信じ込ませ、自分はスピリチュアルではないと信じ込ませてしまうことがあることに気づいていないのです。

しかし、もしも、あなたが、いつも「もっとこうしなければいけない」「もっとこうすべきだ」「もっとこうあらねばならない」というメッセージ、「もっと奉仕しなければならない」「もっと与えるべきで、受け取るべきでない」「もっとこうしなければならない」「もっと瞑想しなければならない」こういったいわゆるスピリチュアルの教えのようなものを常に聞いているとしたら、実際何が起こっているかと、あなたは、「私はこのままではダメなんだ」、「私はスピリチュアルな存在ではないから、よりスピリチュアルな存在になるために努力しなければならない」と、自分に信じ込ませていることになるのです。
それは、とんでもないデタラメです。

あなたというのは、この身体を通して入ってきたあなたの魂です。
この身体を通して入ってきている、神の一面であり、宇宙の一面なのです。
あなたは、この、宇宙の一面が、その肉体を通して、物質的な世界を経験することを選択し、その肉体に入って存在している、霊的な存在なのです。


私はよく、人々に、スピリチュアルになるために、もっと行動する、もっと学ぶ、もっとスピリチュアルになる、のではないと言っています。
(私達は)生まれながらにしてスピリチュアル(霊的)なのです。

すでに霊的な存在としてこの世に生まれてきて、この段階で必要なことは、実は、ほどいて元に戻していく(undo)ことなんです。

私は、この話をする時、ミケランジェロの例えが好きで、よくこのミケランジェロの例え話をお話しすることがあります。
聞いたことがあるかもしれませんが、ミケランジェロというのは、素晴らしい芸術家であり、彫刻家です。石や大理石の塊からとてつもなく美しい天使の像を造った彫刻家です。

ある日、ある人がミケランジェロに尋ねました
「どうやって、この石の塊から、このような素晴らしい像を造ることができるんですか?設計図も何もないようですが。」
それに対するミケランジェロの答えは、「天使というのは、その大理石の塊の中にすでに存在しているんだ」でした。
「私は、その大理石の塊の中にある、天使を自由に解放するまで、周りを削り取るだけなのだ」と答えました。
そう、基本的に、彼がやっていることは天使の一部でないものを削り取ることで、天使を自由にしているだけなのです。

これは、あなたご自身がどんな存在であるかに気づいていただく、素晴らしい例えだと思っています。

あなたは、そもそもがスピリチュアル(霊的)な存在です。こちらの世界に来たとき、私たちというのは、自分自身についての信念や思い込みをすべて取り入れる、例えば、自分はダメな人間だという思い込み、エゴは悪いもので、私は自分を抑圧しなければならないという思い込み、私は、かつては、このような教えをたくさん取り入れ、受け入れて、エゴを抑圧していたことに(臨死体験後)気づきました。(臨死体験をする前)当時、私は、受け取るより与える方が良いと信じていました。言い換えると、自分自身という電池を完全に枯渇するまで、再充電することができませんでした。悪いカルマが蓄積されていると信じていました。カルマを減らすことばかりに気をとられていて、自分の人生を完全に受け入れることもできていませんでした。自分が誰であるかを受け入れることができなかったのです。

だから、この話をするのは、見てくださっているあなたが、私と同じ過ちを犯さないようにするためです。

スピリチュアルであることは、自分自身であることを意味します。
自分自身であるということです。あなたが楽しくて幸せだと感じているとき、自分の魂が表現されているとき、それは、スピリチュアルであるということです。

私は時々、瞑想することもあれば、自分のスピリット(霊)と話すこともあります。瞑想はあちらの世界のスピリットに耳を傾けることであり、祈ることはスピリットと話すことです。そうやってスピリットと話をしている時もあれば、スピリットの声を聞いている時もあります。
ですが、時々、気分転換に、自分の気分がよくなるから、靴を買いに出かけることもあります。靴を買い物すると、私の気分が上がります。
私にとって、靴を買ったり、チョコレートを食べたりすることは、瞑想するのと同じくらい、私自身になれる、スピリチュアルになれるんです。

だから、あなたが、何をするにしても、愛がある限りは、スピリチュアルでなくなることはないんです。
自分の魂と霊性を受け入れることができるのであれば、自分の魂を受け入れ、この魂が自分を思いっきり表現するためにこの世界に来たのだということを受け入れているのであれば、どんなことをしても、スピリチュアルでなくなることはありません。

なぜなら、あなたは、完璧なものとして生まれてきて、死んだら、また完璧に戻っていく、完璧さに還っていくのです。

自分が不完全だという思い込みこそが、自分を縛り付けているものであり、
常に自分を今よりもっと磨く必要がある、努力しなくてはならないと思い込みこそが、それがあなたが「自分には何かしら問題があるのだ」というメッセージを植え付けてしまいます。

でも、そんなはずはないんです。
なぜなら、あなたの魂はいつも完璧だからです。
ただ、あなたの魂を輝かせて、あなたの魂がこの世界に来ているあなたであることを許し、最大限、あなた自身があなたらしくあることを許しましょう。

ご覧いただき、聴いてくださり、ありがとう。そしてもちろん、来週も、またお届けします。

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ここから、私たちはセドナのイベントの写真をたくさん投稿する予定です。
2022年には、もっと多くのライブイベントができるようになると心から願っています。新年にこそは、世界がもっと開放されて、物事がうまくいくように、もっともっと直接お顔を合わせることができるようになることを願っています。ご視聴ありがとうございました。

それから、セドナの皆さま、素敵な皆様から、贈り物をいただきましたので、今日ご紹介した美しいティーカップもそうですが、美しいティーカップ、美しいガネーシャなど、たくさんの贈り物をありがとうございました。
また、お会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました。
このイベントに参加された皆さん、ありがとうございました。
また、本日ご視聴いただいた皆様、本当にありがとうございました。
今日はありがとうございました。みなさんを心から愛しています。
またお会いしましょう。

#SensitiveIsTheNewStrong #sensoryoverload #AnitaMoorjani #empath

Posted by Anita Moorjani on Monday, January 30, 2023

外側の世界というのは、騒がしく、要求も多くなっています。ですから、私たち自身の力を尊重するため、まず最初のステップは、いかに効果的に過剰な言葉の数々に対処するかです。私たちの持つ内なるガイダンスシステムを妨害してくるものを特定し、対処する必要があります。
そのためには、外の世界の音量を下げて、自分たちの内側で起こっていることに耳を傾けるようにする必要があります。

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