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世界の果てまでさようなら

『唐突だが、僕は今日を持って筆を置く。君に限ってじゃない、何にたいしてもだ。僕はこの手紙を最後に二度と、この指先から、言葉を綴らない。ここに宣言する。
 
僕達は餌食という名の生を襲名し、逃げ場の無い薄氷の上で滑稽に踊り続けている。酢漬けの心臓、捕食者の保存食として。香川さん、僕はそれでも、人間は満足してると思うんだ。何故なら僕たちは『空腹という概念』を教えられてはいないから。
 
規範とは人間の思想に付け足されたものでは無い。生まれ落ちた時から身に纏う肌のようなものだ。剥すことは出来ない。本当に?
 
僕はこの世に必要なものは何一つないと考える。同時に、不必要なものもこの世に一つとしてないのだ。有用無用の概念は何一つとして存在を定義しない。なら何が僕を、君を定義する?
 
それはインスピレーションだ。だがそれは精神の根源から表出する刹那、規範に歪曲されてしまう。僕は限りなく無垢なそれを手にしたいと考えている。神の裁きから決別した世界で、僕はインスピレーションそのものになる。それこそが、真に『僕という名の生』を獲得することだと思う。
 
手紙はこれでおしまいだ。君が何か書き投函したいならすればいい。僕は返事を書かない。二年ほど君とこうして言葉を交わしたが、楽しかった。だが楽しかったという言葉は、本質的に正しくない。真に正しい言葉は魂の切断面に記録されている。その言葉を僕は探しに行く。
 
香川さん、世界の果てからこんにちは
香川さん、世界の果てまでさようなら』
 
 
想い人、内海くんとの文通は何の前触れもなくあっけなく終わった。次に内海くんと会ったのはこの手紙から数か月後。内海くんは血だらけで、私はその姿を写真に収めていた。


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