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散人の作物

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私の執筆した文芸。
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#思い出

死は未だ来らず、あるは生ばかり

死は未だ来らず、あるは生ばかり

高校生になってまだ二ヶ月ほどしか経っていない、大友絢香と一緒に渋谷を歩いているのはなぜだか無性に、今の彼女をカメラに写したかったからに他ならない。

五月下旬の東京は例年より暑さは甚だしく、行き交う男女の、その衣を薄くしている。もちろん、私もまた彼女も例外ではなかった。

「友達は?」

桜丘町の何ら見栄えしないカフェは、休日の為に騒がしい。添え物のジャズもどきも、今日は一段と音量がデカいのではあ

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机上の記

机上の記

巷は連休中にてどこも、またかしこも大盛況。人だかり。テレビなんぞは連日自動車の混雑具合を報道している。私はわざわざ人混みに飛び込む酔狂な真似はしない。一人京都から外れた寂しい陋屋にて日を送っている。専ら読書に費やすその一日は、忙しない浮世から逃亡する唯一の方法と読んでよかろう。

読書をしている。あるいは人は、それのみ聞いた場合、立派な青年像を思い浮かべる矢も知れぬ。弁解させてもらおう。決して立派

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雪の日の光

雪の日の光

「雪が降ってきたな」

私の友人・良純君は曇天の空から降ってきた極めて微小なその粒を認めて言うともなく言った。

「ほんとだ」

この日、前日より寒気甚しければ別段降っても可笑しくもない。そして正午に至るただいまでさへも、白息は白い。或はようやく降った。そう言うべきかも知れない。

東京の街に降雪がある事自体は何ら普通の事ではありはしない。然し、積雪となると話は変わってくる。しばし積雪する事こそあ

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春近し、初恋を

春近し、初恋を

沙汰無きは、無事なる事なり、と宣いしは祖母なり。そう言われる通り、私は祖父母宅を訪れるのは稀になっていった。それはつまり我が郷里に近づき難いからに他ならない。
あの通い慣れた街道を歩む時、或はあの感じ慣れた風を体に受ける時、著しいノスタルジーが私を包囲して、つまらぬセンチメントを喚起させるのだ。
例えば私は、故郷にて何か後ろめたい事をした。そういう訳では決してない。何をするにも何も出来ぬ空虚な街に

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過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

不眠なる私は枕頭に立つ思い出を一晩の伴侶にする他無いという悲しき定め。是多多あり。それは確かに、かつての記憶を思い出し、その地に立たせるのだが、いかにも辛いと言わざるを得ないのは、この浮世に長く止まった性か。それは分からん。どんな思い出が立つのか。それは妄想に近い時もあれば、また忠実なる過去の一時をありありと、その上、明瞭に思い出すこともある。
女を思い出すことが多いのだが。そんな時もあるのさ。や

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上野駅公園口 感傷録

上野駅公園口 感傷録

根津神社の方から緩やかな傾斜を下ると平坦な街道に出る。両サイドには今はもう懐かしくなった個人経営の小さな店が尚も元気よく営業を続けていた。いつも。それはいつもそうである。その街道を歩む時、束の間ではあるものの忘れてしまった本来の街の姿。それを垣間見る。
さらに進んでいくと視界は急に開けてくる。一面の池。そしてその向こうに小高い丘。そう不忍池と上野の山である。いつも人々の楽しげな声が聞こえる。子供の

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