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雪の日の光

「雪が降ってきたな」

私の友人・良純君は曇天の空から降ってきた極めて微小なその粒を認めて言うともなく言った。

「ほんとだ」

この日、前日より寒気甚しければ別段降っても可笑しくもない。そして正午に至るただいまでさへも、白息は白い。或はようやく降った。そう言うべきかも知れない。


東京の街に降雪がある事自体は何ら普通の事ではありはしない。然し、積雪となると話は変わってくる。しばし積雪する事こそあれ、大いに積もる事は稀なのだ。我が街に多大なる積雪が発生したのはもう十年近くも前のことである。


連日の寒波は遂に、雪を降らせ一日、いや、二日だったかも知れない。純白の牡丹雪が間断なく降り続けていた。父も母も姉も、そしてこの私も仕事やら学校やらに行けずに文字通り非日常的空間を共有した。そして目覚めた朝。窓外は昨日までの曇天模様とは打って変わって青空だ。一日、或は二日青空を見なかった。それだけだのになって新鮮に映るんだ!そう思わざるを得なかった。

急いで階下の玄関に向かい、寝巻きのまま外へ飛び出そうと思った。然し、扉はびくともしなかった。我が宅は押扉である。力一杯でもびくともせぬ。不動な扉に苦戦している時、それを見た背後の父が言った。

「窓からなら出れそうだよ」

私はそれを聞いて、すぐにでも外に出たかったのでリビングの窓に直行した。そして窓を開いた。一面の純白な世界はこの世のものとは思えない。木々の梢、家屋の壁、遠くの山脈。それら全てが白一色。新しい世界に私はいる。そう思った。


そして時、時はめぐる。


あれから、あんな大袈裟な積雪はない。残念というべきであるが、時を経るに天候を楽しむ余裕なんぞなくなってしまった。そんな事をふと思い出した昨年の年始。東京の街に積雪があった。


朝目覚めると、我が宅の庭先のみならず家屋の屋根は純白な化粧を施していた。いつもなら、そう、いつもならこのまま布団に潜って寒さをやり過ごす。だがどうしても、かつての感覚を眼前の景色から喚起された私は厚手の黒いロングコートを着込んで家を出た。


行先はどこでもよかった。美しい雪景色が見られるところならば。電車の車窓はいつもの街であるはずなのに違う。色彩が一変しているからに他ならないのだが、何か、こう別の人生を歩んでいる心持ちになる。そう断言してしまったとて決して大袈裟ではあるまい。


東京の摩天楼を歩いているうちに、太陽光が雪に照り少しづつではあるが溶け始めている。未だに美しい景色にはお目にかかれてはない。決して見つからぬ探し物を探している気分だ。

とにかく出鱈目に街を歩いた。踏切を超え、橋を渡り、坂を登った。そうしてたどり着いた目白駅の程近く。学習院の坂上である。少しばかり疲労を感じ私は立ち止まった。そうして今しがた登った坂道を振り返った。

大都市東京は純白の最中にあって、恨み渦巻く都市空間のはずが僅かなる休息を与えられていたのだ。何によって?それは神という他あるまい。我々人間がいかに進歩しようと決して届かない、遍く存在している神に。その景色。自然が降り注いだ鉄骨の塊達は、いかに権力を恣にしているお上だろうが一笑付すような破壊力があった。これぞ自然の力である。そして並びに、私もいつかはこの肉体が消え去る運命である事を思い出した。


我が庭先の梅花もすでに咲いた。路傍の木々にも桜が綻びつつある。冬椿はすでに見頃を過ぎ、かえり見る人は少なくなった。空き地の雑草にも少なからず名の知れぬ花を咲かせ僅かに香りを漂わせている。

じき春だ。もはや人は冬の一日を忘れるに違いはあるまい。毎年咲く花々を新鮮に喜ぶために。

                (了)

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