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上野駅公園口 感傷録

人知れず朽ちも果つべき身一つの
いまがいとほし涙拭わず

長谷川利行

根津神社の方から緩やかな傾斜を下ると平坦な街道に出る。両サイドには今はもう懐かしくなった個人経営の小さな店が尚も元気よく営業を続けていた。いつも。それはいつもそうである。その街道を歩む時、束の間ではあるものの忘れてしまった本来の街の姿。それを垣間見る。
さらに進んでいくと視界は急に開けてくる。一面の池。そしてその向こうに小高い丘。そう不忍池と上野の山である。いつも人々の楽しげな声が聞こえる。子供のの笑い声、カップルの軽快な足取り。或いは、ホームレスの自由な寝姿。色々な人間がそこでの時間を楽しんでいる様に見えるのだ。中には黄昏て(そう私の様に)水面を眺めるだけの奴もいるが。然し、どうだい。それだってやりたくてやってるんだ。蓮が浮かぶその水面に癒されているのだ。
時として名の知らぬ水鳥は水面を揺蕩っている。そして唐突に飛び立つ。私はその行方を追う。すると辺りはビルディングが立ち並ぶ都会である。そんな事を改めて思うのだ。大都会の真ん中にぽっかりと空いた様に不忍の池は横たわっているのだ。
弁天さまがある。それは周知の事実だが京都を模している。改めて記すまでもないが西が比叡山ならこちは東叡山だ。そして弁天さまも不忍池さえも琵琶湖に見立てられているのだ。ミニチュア琵琶湖。箱庭の様に。私は別段、仏教徒ではありはしないが真っ赤な弁天さまを拝する際は賽銭箱にお金を投げて願掛けをするのだ。
(幸せな日々が来ます様に)
なんて祈る時もある。幸せ?それはなんだろうか。私には分からない。或いは立ち止まって幸せについて試作を巡らせる事が出来る、この余裕が幸せのなのかもしれない。
その後は大抵、上野の山を登る。大体、私は歩きすぎた。私の中で上野は終着点であるからここいらに来る頃には疲労を感じている。もう一丁頑張るか、そう言った具合に登山(!)をするのだ。
花園神社横の傾斜は中々にキツい。一日中歩いた足には優しくはない。足取りは遅く。ノロノロまさしく亀だ。大体、私の頭に過ぎるのは「ああ、精養軒で美味い飯でもくいてぇな」であるのだが残念ながら我が財布にそれほどの余裕はありはしない。腹をすかせながらコンクリのまるで学校の様な建物を羨まし気に眺めるに止まる。
ソメイヨシノが陸続と。と書いては見たのだが果たして樹木に詳らかではない私にとってそれがソメイヨシノなのか否か判然ならない。然しただ一つわかるのはここが桜の名所だという事だ。江戸時代の昔より春になればどこからともなく人々が相集い正しく会話に花を咲かせるのだ。私は?そんな中には参加したことはない。「けっ、桜如き。なんだい。あんなもなぁ、毎年同じじゃねぇか」と背を向けるのが常だ。故に十九年の生命を鑑みても花見なりしものを参加した事もなければ当然、催した事もないのだ。だが、本心から言えば、率直に言えば私とて打ち混じって談笑したく思う。如何せん意固地だからそれが出来ないのだ。全く私の元来の性格というものをもどかしく思うのだ。
正面に現れる東京国立博物館がある。ここは我が愛する森鴎外が館長をやっていた事もあるそうな。それを知ってより一層の敬意を払ったものだった。それを左折する。すると左手にはコルビジェ設計の西洋美術館、右手には東京文化会館が。これらは私にとって馴染み深いところだ。数々の名画と出会い、数々の素晴らしいバレエを見た。それも幸いにも一等席で。あの時感じた興奮はそこの前を通る度、往年に抱いた興奮は再度煮えたぎるのだ。
さて、目の前にはとうとう上野駅が見えてきた。いや、待て。入り口が違うぞ。そう。そうなのだ。
上野公園口が変わったのはいつだったか。ここ二、三年の事であると思う。私は新たな駅舎を見て驚嘆した。もちろん前々から白い幕が貼られていたから普請中である事は理解していた。然しその変化は余りにも唐突で驚く事を禁じ得なかったのだ。
何、東京に住む私だ。街の変化に一々気にしていたら神経症になっちまう。渋谷なんぞは一週間行かなかったら全く店が様変わりしている有り様だ。だからそんな事は慣れている。
然し、上野駅。殊に旧公園口には拭難い思い出があったのだ。
元恋人。というのは不思議な響きだ。それが相手から関係を立たれたとなればその語彙はよりミステリアスな雰囲気を漂う。果たしてあの日々を幻想だったのか。果たしてあの優しさは単なる白昼夢に過ぎなかったのか。そう思わざるを得ないのだ。
私の元恋人―それを仮に林氏としよう―林氏は私の愛した恋人である。それはもちろん恋人になった人間を愛さない奴はいないだろう。が、林氏はマジで身を焦がす程、愛した女なのだ。愛というのはあの様な事を言うの今だに回顧しても強く思う。
惚気話になる前に本題に戻ると林氏と恋人となるきっかけが旧公演口だったのだ。それは高校一年生の時であった。ある意味で私が最も美しかった頃だ。いち早く到着した私はコンクリのお世辞にも綺麗とは言えない公園口の柱に寄りかかり彼女は京浜東北線を用いてくるからそちらの方を注視していた。だがただじっとみている様では彼女を待ち構えていたみたいでスタイリッシュではない。私はさも余裕気一杯に文庫本を読むフリをした。その時、読んでいた本は覚えいている。新潮文庫、森鴎外『青年』(平成二十九年四月二十日九十六刷)だ。どのシーンを読んでいたのか記憶は朧気だが確か小泉純一と大村とが精養軒を訪う場面を態々選んだ覚えがある。だが実情、私は彼女が来るのが待ちきれなくって読書どころではなかった。彼女の姿を人混みに認めた時、ようやく安心して活字が活字として脳裏に飛び込んできたのだ。
美しい彼女と、そこから上野公園を楽しんだ。私の拙い上野公園の含蓄も披露しつつ。
その日はそのまま秋葉原駅まで歩いた。駅にて彼女は帰る素振りを見せなかった。彼女が乗るべき電車が来てもそれには乗らなかった。彼女は告白を待っていたのだ。
「僕たち付き合おうか?」
そう言って我々の交際が始まった。二ヶ月しか持たなかったが。
然しその二ヶ月は確実に私の記憶の中で拭いされない程貴重なものなのだ。
そんなこんなで上野公園旧公園口には思い出が満々とあるのだ。不器用な私に愛を教えてくれた彼女との思い出が。

そして今。見慣れた駅舎どころか彼女さへ私の元から去った。もうそれらとは二度と会う事は無い。悲しい?否。そんな事はない。と言ったら嘘になる。だがこうしてかつての彼女との記憶を思い出すと言う営みは荒んだ痛々しい我が心に束の間ながらも尊い慰みを与えてくれたのだ。
そして今。私はその傷と共に生きている。別段、胸を晴れるわけではないが生きて生活を続けている。そして彼女もこの茫漠たる空の下、生き続けている。その営みが願わくば幸福である事を祈るのみだ。

結局人生は皆、一人ぼっちなのだ。涙よ流れよ。そして我が乾いた心を潤してくれ。
それで良い。それで良いのだ。私は私の人生を不器用ながらも歩んで行こう。これから出会う人達とかけがえのない、尊い思い出を創りながら。
そう正しく彼が言う通りなのだ。

いまがいとほし涙拭わず

風はそっと私に吹いた。
明日も私は生きている。

               (了)


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