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#一人旅
❨62❩1971.11.2 火 晴 旅の目的
洗濯をし、シャワーを浴び、日程を再度確認。
2日泊まろうと思ったが、昼に出る。
町をゆっくり走りながら、子供の売っているココの店で休んだりしながら、郊外に出る。
いい町だと思うが、長くとどまる気にはなれない。
そのプランもなかった。
毎日足が棒になるまで走り、食って寝る。
この生活の中から、何が生まれるだろう。
この先1年余日。
もう1ヶ月になろうとしている。
数え切れない程の町や村を経て
❨71❩1971.11.11 木 曇 アカプルコを目指して(Ciudad de México~Ciudad Universitaria~峠の町)
ゆっくりシティーを走り出た。
出がけにマリアから電話をもらい、ドモったスペイン語で、辞書片手に、それでも15分しゃべった。
また別れか·····寂しい。
気立てのいい子だった。
さようならテレサ!また会おうネ。
大学都市(Ciudad Universitaria)を通った時、寄ったくだもの売りの出店で、これまた気のいいオッサンに会い(本売り)、スイカとデッカいウリをおごってもらう。
さて、
❨73❩1971.11.13 土 晴 チエラ・コロラド(Tierra Colorada)
昨日以上に苦しい一日。
長い長い坂を登り、まいったネ。
何度どなった事か!
それにしても坂(山)の多い国だ、メキシコは。
日本以上だ。
上の方に美れいな川が流れていた。
初めて、こんな美れいな水を見た。
さっそく ぎょうずいだ。
キモチのいいこと。最高だったヨ。
アカプルコへ100km地点から、下りとなる。
景色のいい町に出た。
チエラ・コロラドとかいう所だ。
頼んで家の横の小屋にダウ
❨119❩1971.12.29 水 晴 パナマシティ・イン
重い。ペダリングがものすごく重い。
疲れも重なって、少しの坂になると、もう踏めない。
この国の道は総てコンクリートで出来ており、継ぎ目のところが少し開いていて、自転車にとっては、頭に来る。
それにあまり広くないし。
今日は最後の山。峠に挑戦。
押して登っている所を、全く予想しなかったが車が止まった。
キャナル・ゾーンまで乗せてもらう。
やあ、長い坂道。
一日タップリかかるところ、10時前に
❨166❩1972.2.14 月 晴→曇(時々雨) 赤道通過:エクアドル(Ecuador:Ibarra→)
走り終った今、俺はボンヤリ、ローソクの灯を眺めてこの日記を書いている。
日本へ帰りたい。でも帰れない。
夜は一層孤独になる。
慰めてくれるものは何もない。
ただじっとこらえているしかない。
明日を考えることによって、俺はこの暗い夜を耐える。
80kmの山道を越えて来た今日という日を、噛み締めて黙りこくっている。
今日は、赤道を通過した。
何人の人と言葉を かわしただろう。
そしてどれだけ世話に
❨251❩1972.5.9 火 雨→曇 南米南端へ行く為のプランを練る/プエルトモント:チリ(Puerto Montt:Chile)
寒いこと寒いこと、殆ど眠れず。
それに、夜中三度も変な野郎が自転車を狙ってきて起こされた。
全くここの町は、油断もスキもないぜ。
昨日と今日の二日間、南米の南端へ行く為のプランを練った。
計画は二つあり、このプエルト・モンから真横にアルゼンチンへ向かって走るか、又は、船か空で、南端へ行くかである。
船のエージェンシーを回れるだけ回って聞いた。
昼前、港に行き船を探したが、今日はなく、明日入る
❨363❩1972.8.29 火 晴(一時雨) ミュンヘンオリンピック日本体操選手:SUMA54日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
昨日・今日と、オリンピックをテレビで見た。 日本・体操チームの強いこと!
笠松さん・中山先生の顔を、ドイツの体育館の中に見る事が出来た。
二人共、オリンピックの選手、そして団体で優勝!スバラシイ。
加藤、塚原の鉄棒、何んと見事(塚原9.90が出た)。
❨383❩1972.9.18.月.晴/アメリカ人と日本人/リオデジャネイロ9日目(Rio de Janeiro:Brazil)
今朝俺を起こしに来てくれたスージィが、とても愛らしく、あどけない顔で俺を見つめていた。
滞在がのびている。 ディビッドさんに何かと云って引き止められてしまう。
結局、親切に甘んじ、滞在をもう二日延ばす事にした。
アメリカ人と日本人一ー柔と剛
アメリカ人と日本人、パイオニア・スピリットと大和魂。
その相互の接触、そして隔合によって、人間味はますます深まり幅も出来てくると思う。
しかしその場合、
❨390❩1972.9.25.月.晴/北川さんを訪ねる/ミナス·ジェライス→ベロ·ホリゾンテ到着/ブラジル(Brazil)
ベロホリゾンテ着。スゴイ所だ。
道端に、鉱物がころがっている。
道路脇の土も、黒くキラキラ光った鉱物だ。
あちこちで黒い山を掘っているのが見える。
一つの石を拾うと、雲母の塊だった。岩肌がキラキラ輝いて見える。
日本人には羨ましい限りと思う。あの山一つでも日本にあったなら、どんなにそこからスバラシイものが生まれることか。
工場から出来た街らしく、にぎやかで露店が目立つ。熱気と車の排気ガスでム
❨405❩1972.10.10.火.曇/待つ時は、待つ以外に用がなければ、じっと待つのだ。/ポッセ:ブラジル(Posse:Brazil)
2日待った。車はダメだった。
4台の車が来たが、全て満タン。先客がいてダメ。のらりくらりと、半日が終わる。
マンゴが鈴なりになってるのを、石で落として食べる。
近くのほったて小屋には、これまた俺同様、バイヤへ向かう2家族がいて、車を待っている。
長い旅をしているのか、汚れた衣類に鍋まで持っている。
可哀相に、雨が降って来ると小屋の隅っこにかたまっている。ロクな物も食っていない。
焚き火で豆を
❨411❩1972.10.16.月.晴/サルバドール·インー好きなタイプの街・思い付いた未来案/Salvador:Brazil
サルバドール。
古い建物が並ぶ落ち着いた感じの中に、露店が沢山立ち並び、いいムードの街だ。
俺の好きなタイプの街だ。
兎に角、海が美れいだ。
浜は、漁師のヨットが出入りする。そして子供が沢山いて、海水浴客達でにぎやかだ。
砂浜で太陽を一杯浴びながら、あの澄んだ水、美れいな砂のもとで伸び伸びサッカーに夢中になっている子供達は、ほんとうに生きている事の喜びという様なものを感じさせた。
人間も自然も
❨421❩1972.10.26.木.晴/フォルタレザの強盗/フォルタレザ:ブラジル(Mossoro→Fortaleza:Brazil)
フォルタレザ·イン。
日の出と共に、夜の涼しさは吹っ飛んでしまう。じっとしているだけで体力が消耗していく様だ。
一刻も早く、この赤道に近い土地から立ち去りたい。
午前10時、オニ·ブス(バス)に乗る。
フォルタレザまで240km、11コントで座席指定。誠に楽な旅となった。
1時、フォルタレザに着いた。街は割といい感じだ。海辺へ行く。
海岸に沿って、汚ないバラックが並ぶ。
潮の匂いと、その軒先か
❨426❩1972.10.31.火.晴·曇/色々な人種の部落があるところを通る・日記2冊目終了/Teresina→Codo→D·Pedoro→(Brazil)
昼までに、80kmを走った。
二ヶ所小川があり、しばらく泳いだ。というより、 つかっていた。
かなりの坂道だったが、今日は割と良く走った。久々に調子がいい。
CodoとD.Pedoroの入口で昼飯。日記を付ける。頭がボ~~ンとしている。
このところポルトゲスが全く通じず、人間を見ると拒絶反応が起きて来る。
この辺の人間は、イヤな感じだ。ヤケに日本が恋しくなった。
意気込んで地道に走り込んだ
❨488❩1973.1.1.月.晴→曇/元旦のアマゾン河/ベレン:ブラジル
新年明けましておめでとう!
と言いたいところだが、全く新年気分などない。
昨夜のパーティーで飲み過ぎて、頭がガンガン痛い。
雑煮を食ってから、シャワーで酔いをさます。
夕方、河を見に出た。それにしても大きな河だ。
波は静かで、夕焼け雲が新年らしい光をほのぼのと放っていた。
何も祈る事はなかった。ただ、ぼんやりとしていた。
「アマゾン」とは何んと神秘的な存在だったろう。それが目の前を今、流れて