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「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
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#一度は行きたいあの場所

❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

❨19❩1971.9.20 月 晴 ぶらじる丸19日目:カリフォルニア到着〜ロサンゼルスへ

カリフォルニア州 ロング・ビーチに船は着いた。
少しその景色を見ただけで横になった。寝たのは二時間半。

船友達と港で別れ、荷をすべてつけ、正午走り出す。
まだ港に残っていた人達が見送ってくれた。
桑原さん、上田さん等と後で会う約束をした。

今夜の泊まりをリトル・トーキョー(ロサンゼルスの日本人町)という事だけを皆んなと約束して、夢中で走る。

車右側通行、全ての文字が英語という事が、 “外国へ

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❨43❩1971.10.14 木 晴  ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

❨43❩1971.10.14 木 晴 ユマ砂漠:苦しい1日(Yuma Desert)

なんとか無事夜が明け、ホっと一息。
車の音がちょっとうるさかったかナ。

ノンビリかまえて、踏み出した。
昨日16kmと聞いたので、1時間もこいで朝食にありつけると思ったからだ。

ところが、行っても行っても何にもなく、砂漠だけ・・・

よ~~~く考えてみれば、あれは16kmじゃなく、60kmだった。

あゝ、なんたる事。
陽は高くなり、腹は減り、水もない。
昼近くまで朝めし抜きで走り、11:30

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❨223❩1972.4.11 火 晴  将来の事を考える/ポポ湖(Bolivia:Lago Poopó)

❨223❩1972.4.11 火 晴 将来の事を考える/ポポ湖(Bolivia:Lago Poopó)

まっ青な空。雲は、一っかけらもない。
気持ちの良い天気。

朝飯を取らしてもらい、九時、町を出る。
皆んな親切な連中だったぜ。

さて、この後が大変。すごい砂利のデコボコ道。
3時迄休まず、6時間歩いて走って、一つの町に着いた。
なのにやっと45kmーーーアベマリヤ!
イヤンなる所だぜ。

地図にあるポポ湖は、殆どかれて、水がないようだった。広い所だ。

夕方寄った店で、チャル・パータまでの道程を

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❨224❩1972.4.12 水 晴  夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )

❨224❩1972.4.12 水 晴 夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )

昼、ウワリの町で一本ビールを飲んだ。
その後の苦しい事。
一時間程、河原でひっくりかえって動けず。

さびれた町があちこちに見られた。

砂にタイヤが埋まって走れない所が何箇所もあった。
薄暗くなり、腹が減って、こんな道を走る時程辛い事はない。

夜、やっとの思いで町に着く。
ここから5時間、夜汽車に乗る(13.5ペソ)。
ウイウニの駅が終点。

窓から見る空の星が、美れいだった。
夜汽車っての

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❨232❩1972.4.20 木 晴  400kmの砂漠を乗り切る/アタカマ砂漠(チリ)

❨232❩1972.4.20 木 晴 400kmの砂漠を乗り切る/アタカマ砂漠(チリ)

ちょっとツユがおりたな。寝袋がぬれていた。

5km下って、5km上って、という今日の道、かなりきつかった。 しかしやっと一つ、400kmの砂漠を乗り切った。夢中だった。

4日間砂漠の中、2ヶ所に貧弱なポサダ(休憩所) があっただけである。

今日3時、町に入った。

よく走ったぜ、今日の3時までに400kmだから、一日平均130kmの計算になる。

食った食った。肉と野菜に飢えていた。
ビール

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❨864❩1974.1.10.木.曇→雪/ゼイタクな時間/トルコ→イラン

❨864❩1974.1.10.木.曇→雪/ゼイタクな時間/トルコ→イラン

頭痛が抜けた。
イランに近付くにしたがって、雪が深くなる。

汽車の乗り替えで、午後2時 降りる。
明日まで次の汽車はないという。

軍の連中が、駅へドヤドヤ入って来た。
どれも、坊主頭にキリッとしている。
良いものを見た感じだった。

トルコ人は、信仰心が厚い。ある時間になると、立ったり、うつ伏したりして、空ー一太陽の方角ーーに向かって、何度も礼をする。

南米の人間の気の長さに呆れた俺も、最近

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❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

めまぐるしい旅が続く。九時起床。入国手続きに行く。

パスポート・チェックが厳しい。
パスポート、荷物のチェックの後、再度パスポート、バクシネーション(注射)検査。
天然痘の注射証明がない事で引っかかり、ひとくさりモメたが、懸命に説明し、やっと通れた。
 
満員のミニ・バス(100アフガン)でゴトゴト、タイバドまで140km。途中でラクダをよく見た。
山の遠い、平原の道。雪はグッと少なくなり、寒さ

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❨898❩1974.2.13.水.曇/バーミヤンの石像について/カブール:アフガニスタン

❨898❩1974.2.13.水.曇/バーミヤンの石像について/カブール:アフガニスタン

出発は、明日午後9時と決定。
午前中、明日のバスの事でつぶれ、午後は少し本を読んだ(松本清張「張込み」)。

夜、4人でまたラミーをやった。
2時過ぎまで、熱戦。
後、荷をまとめる。

バーミヤン・・・ 世界最大の石像
残念ながらら俺は、この地を見なかった。
この悲しいシャカの石像を見て、人は何を思うのか?
知っている事は、仏教徒が造ったこの像を、イスラム教徒が破壊したという事実だけである。

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❨901❩1974.2.16.土.晴/インド入国の厳しさに驚く/アムリッツァ:インド

❨901❩1974.2.16.土.晴/インド入国の厳しさに驚く/アムリッツァ:インド

入国の厳しさには驚いた。
一人の日本人と、一人のアメリカ人の女の子が、ビザがなかったので、パキスタンへ戻さ れた。可哀そうに、泣いていた。

特にハッシッうシー眩惑物一のチェックが厳しく、俺も、ボディ・チェックからスボンの中、靴の中まで調べられた。
一人の日本人は、200ルピー(インド紙幣・約20ドル)を見つけられ、没収された。
俺は、ウマく腰に100ルピーを隠し通した。

インドのルピーは、パキ

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❨906❩1974.2.21.木.晴/インドの中で/オールド・デリー:インド

❨906❩1974.2.21.木.晴/インドの中で/オールド・デリー:インド

風邪をひいたらしい。
逆療法に、寝る前バケツで三杯、水をブッかけて寝たが、いっこうに効果なし。頭が痛い。
今朝も、寝起きに冷水をかぶる。

チャイティ(ミルク紅茶)に、生卵2コ入れて飲む。
他、野菜ジュース、フルーツ・ジュースを飲んだ。体がえらい。
夜、チャイを飲んで寝袋へ入ると、汗が出た。これでも少し楽になった。

アルゼンチン人に会った。
片言の日本語を話す、コッケイな男。

<インドの中で>

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❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール

徒々なる一日。

物を金に替えたり、ブラブラ町を歩いたり。

考えてみれば、あの、町を歩いている牛の様ではないか。

この貧しい生活の中にも
子供達の姿は、活々していた。

美食もなく、着飾られる事もなく、
ブランコも運動場も無くても
「自由」と「素朴」な心がスクスク育っていた。

でもやがて、この子達にも、
文明という波が押し寄せて来る。

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。

けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。

遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?

夕方、サッカー場で40分程、補強する。

<想>

土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?

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❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ

朝は、ごく軽い体操で止めた。腹が減る。
朝食 バナナ3本と牛乳1本・お茶一杯。

あと2缶、土産のお茶を買った。
荷を整理したところ、ちょうどバッグ一杯になった。半分以上が土産である。

夕方、レストランでビール一杯を飲み、ホテルを出た。
夜八時に、飛行場行きのバスに乗る。

時間があったので、荷を置いたままチョット外へ出た。

帰ってみると、バスがいないのに驚いた。
あわてた・・・・・

後のバ

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❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

遂に日本の地を踏む。
8時半、発。香港へ40分程止まり、ロビーまで降りる。
夕暮れ近い香港は、まだ明かりもチラホラという感じで、有名な夜景は見られず、残念。

羽田へ着いたのは、6時10分。
灯が空から見えた時、胸が何んとなく、ワクワクした。黄婚の東京には、すでに灯が沢山見え、空は曇っていた。

車輪が止まると、遂に、生きて戻ったと思った。ああ、無事命だけは持って帰れた、そうしみじみ思ったのは、ど

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