ピーナッツ/天理教的なことを語るnote

ピーナッツ/天理教的なことを語るnote

記事一覧

22.天の采配

私の地元の教務支庁には『誠錬寮』という短期の布教実習所(2024年現在は既に閉鎖)が併設されており、地元の教会後継者や布教熱心な布教所の子弟、時々他県からも入寮者がや…

21.かりものの身体で思う存分に

日曜日、末っ子が所属するバスケチームの公式試合を観戦・応援に行きました。 当然ながら6年生中心のチームの中で彼がこの日与えられていた背番号は“11”、5年生だけ…

20.言葉の奥にあるもの

これまで縦なり横なりいくつかの教内報の編集に携わってきた経緯があり、また、いずれのどの誌面でも私がコラムを担当していたこともあって、それに目を触れた方々から時々…

19.“小さな清算“

とある深夜枠の番組で、出演していた医師の口から次のような要旨のことが語られていた。 『普段から(たとえばウォーキング等の)適度な運動をしている肥満体形の人と、全く…

18.日々のメンテナンス

たとえが悪いかもしれないが、私にとって日々の朝夕のおつとめとは「歯磨き」のようなものだと捉えている。 普段どんなに気をつけていても、そして頭ではわかっている筈で…

17.もしも神様の声がきこえたなら

本当の自分は元々悲観的な性分なもので、普段は布教して歩いてはいるけれど、実のところ、天理教の究極的な明るさというか、ポジティブに見えがちな風潮が、自身の根っこの…

16.ここが“最前線”

「あ? テンリキョウ? また来たのか。あんたら次から次からやって来るな。同じ場所に一体何人来るんだ?」 ある日の戸別訪問先でそんな風に呆れ口調で言われました。ど…

15.“ちょっとには弱い”ように思える

ある講社祭が終わってからの直会でのこと。 そのお宅は関係者を集めてはちょっとした人数でおつとめをつとめ、それが終わるとお酒にごちそうにとテーブルいっぱいに料理を…

14.病人さんの枕元で21日間元の理を読んでみたら

二十五歳の頃に通い先としてご縁をいただいたとある老親子の話。 七十代(当時)の母と、統合失調症を患う四十代の息子さん、お二人とも私にとっておさづけをお取り次ぎする…

13.本日の雑念(1)-間違いのない生き方とは-

先日とある神殿講話を拝聴している時、その日の講話を担当していた先生が“間違いのない生き方”というフレーズを頻りに口にしていたのが何だか耳に残った。気にしているう…

12.教えてもらってばっかりの布教回想(2)

ある住宅街の奥まったところに、裏に小さな畑がある年季の入った一軒家にひとりで暮らす九十三歳(執筆当時)のおばあちゃんがいた。ご高齢の為、きっと生活が大変なんだろう…

11.“普遍的な境地”への憧憬

三浦綾子というキリスト教文学の作家に一時期ハマり、彼女の代表的な作品ならある程度は読んでいる。 デビュー作の「氷点」に出会った時は正直おおいに心が揺さぶられたし…

10.とにかく歩きまくって失敗しまくっていた頃の布教回想(1)

私は二十代半ばから三十代後半まで、およそ十年あまりの当時をざっくりまとめると「とりあえず暇さえあれば戸別訪問かおさづけ取り次ぎ通い」的な時間の過ごし方を続けてい…

9.賞味期限ってものがあるんだよね

私は村上春樹という作家の作品が割と好きで、同じ小説でも二度、三度と何周も繰り返して読んでいた時期もありました。毎年ノーベル文学賞候補に挙げられながらも結局逃して…

8.息子の純真

ある月明かりのきれいな夏の夜。 部屋の豆電球を消し、窓をあけて親子四人で布団に寝そべりながら、そんなまばゆい夜空を眺めていた。 おやさまのひながたの道中で語り継が…

7.おぢばでみせていただいた身上の障り

先日、青年会のひのきしん隊入隊の為におぢばに帰った際、詰所に到着して程なく激しい悪寒に襲われました。あれよあれよという間に四十度超の高熱に。インフルエンザに罹患…

22.天の采配

22.天の采配

私の地元の教務支庁には『誠錬寮』という短期の布教実習所(2024年現在は既に閉鎖)が併設されており、地元の教会後継者や布教熱心な布教所の子弟、時々他県からも入寮者がやってきて、6か月間、若干名の志願者が布教寮さながらの共同生活している。

私は布教の家出身歴があり、また誠錬寮所在地域の人間であることから、寮の育成担当者のひとりとして教区から役目を仰せつかっていた。

その日私は、誠錬寮に顔を出すに

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21.かりものの身体で思う存分に

21.かりものの身体で思う存分に

日曜日、末っ子が所属するバスケチームの公式試合を観戦・応援に行きました。

当然ながら6年生中心のチームの中で彼がこの日与えられていた背番号は“11”、5年生だけで見ても3番手。まだ第一線主力とまではいかない立ち位置です。

午前中、当初実力伯仲と予想されていた他校チームに快勝し、続く午後の試合前のウォーミングアップ風景を眺めていると、相手チームは見るからに背の小さい子の姿がやけに目立っています。

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20.言葉の奥にあるもの

20.言葉の奥にあるもの

これまで縦なり横なりいくつかの教内報の編集に携わってきた経緯があり、また、いずれのどの誌面でも私がコラムを担当していたこともあって、それに目を触れた方々から時々お褒めの言葉を賜ることがあった。

「ピーナッツ君は本当に文章がうまいよね」
「文才あるよね」
「いつもいいこと書くよね」

…と。

褒めていただくことそのものは別に悪い気はしない。
だけど、ただ闇雲に“文章がうまい”という安直な表現をさ

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19.“小さな清算“

19.“小さな清算“

とある深夜枠の番組で、出演していた医師の口から次のような要旨のことが語られていた。

『普段から(たとえばウォーキング等の)適度な運動をしている肥満体形の人と、全く何の運動もしていないが一切無駄な贅肉がついていない痩せている人、後々何らかの病気にかかる可能性が高いのは圧倒的に後者の運動しない痩せている人だ』

”痩せてる・太っている”といった多少の体形の個人差よりも、“運動しているかそうでないか”

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18.日々のメンテナンス

18.日々のメンテナンス

たとえが悪いかもしれないが、私にとって日々の朝夕のおつとめとは「歯磨き」のようなものだと捉えている。

普段どんなに気をつけていても、そして頭ではわかっている筈でも、人と交わりながらこの社会で生きている限り、大なり小なりの様々なほこりを積んでしまことはなかなかにして避けがたい。

そんなついつい積んでしまいがちな心のほこりも、朝に夕にとおつとめをつとめることで神様のほうきで払ってもらえるというのだ

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17.もしも神様の声がきこえたなら

17.もしも神様の声がきこえたなら

本当の自分は元々悲観的な性分なもので、普段は布教して歩いてはいるけれど、実のところ、天理教の究極的な明るさというか、ポジティブに見えがちな風潮が、自身の根っこの部分では嚙み合っていないというジレンマを常に抱えながら今日まで生きて来た。

ほのぼの朗らかとしたぬくもりやあたたかみよりも、
“なぜ生きる?”
“どう生きる?”
…という悩みや問い、葛藤といった地底から汲み上げられてくるどこか重たい波動こ

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16.ここが“最前線”

16.ここが“最前線”

「あ? テンリキョウ? また来たのか。あんたら次から次からやって来るな。同じ場所に一体何人来るんだ?」

ある日の戸別訪問先でそんな風に呆れ口調で言われました。どうも短期間のうちに別々の布教者の訪問が重なり、たまたま何度もこのお宅を訪ねて来たようです。
悪くない気がしました。もちろん、先方にとってはいい迷惑でしょうが…。

おぢばから遠隔にあるこの土地でそんな現象を見せられると、少しだけ背中を押さ

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15.“ちょっとには弱い”ように思える

15.“ちょっとには弱い”ように思える

ある講社祭が終わってからの直会でのこと。
そのお宅は関係者を集めてはちょっとした人数でおつとめをつとめ、それが終わるとお酒にごちそうにとテーブルいっぱいに料理を盛りつけた皿が埋め尽くし、それを集まった方々にふるまってワイワイにぎやかにやるのが昔からの習慣になっていた。
昭和の全盛期には七つの店舗を切り盛りする豪快な経営者だった講元さん、その頃にはもうすっかりいいご高齢のおばあちゃんだったのだけれど

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14.病人さんの枕元で21日間元の理を読んでみたら

14.病人さんの枕元で21日間元の理を読んでみたら

二十五歳の頃に通い先としてご縁をいただいたとある老親子の話。
七十代(当時)の母と、統合失調症を患う四十代の息子さん、お二人とも私にとっておさづけをお取り次ぎする対象者だ。

母親はとても個性的な人だった。ラムネばあさんとでも呼ぼうか(ビー玉入りのラムネが好きな方だった)。息子さんはトモさん。
このご家族にまつわる珍エピソードが本当の数多く、親子とも介護施設入居にともなうお別れの日が訪れるまで約十

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13.本日の雑念(1)-間違いのない生き方とは-

13.本日の雑念(1)-間違いのない生き方とは-

先日とある神殿講話を拝聴している時、その日の講話を担当していた先生が“間違いのない生き方”というフレーズを頻りに口にしていたのが何だか耳に残った。気にしているうちに、いつしか講話の内容が耳から遠のいていき、その言葉への問いだけが私を満たしていく。

間違いのない生き方…?

“間違いがない”ってどういう状態…?

いやそもそも、生きていく上で“間違い”とされるものって…一体何を指すの(´ー`)??

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12.教えてもらってばっかりの布教回想(2)

12.教えてもらってばっかりの布教回想(2)

ある住宅街の奥まったところに、裏に小さな畑がある年季の入った一軒家にひとりで暮らす九十三歳(執筆当時)のおばあちゃんがいた。ご高齢の為、きっと生活が大変なんだろうなと想像しながら庭先で雑談を交わしていると、案外そうでもないらしいご様子。

聞くと、彼女には大勢のお子さん(確か七人だったかな?)やその下にお孫さん、更に曾孫さんまで、その多くが市内中にいて、みんなおばあちゃんのことを気にかけて代わる代

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11.“普遍的な境地”への憧憬

11.“普遍的な境地”への憧憬

三浦綾子というキリスト教文学の作家に一時期ハマり、彼女の代表的な作品ならある程度は読んでいる。
デビュー作の「氷点」に出会った時は正直おおいに心が揺さぶられたし、「塩狩峠」なんかは本気で大粒の涙をこぼして読み進めていた。その他もけっこう手に取ったほうなんじゃないかと思う。

三浦は若い頃に脊椎カリエスや肺結核などの病を患い、病床で、とあるプロテスタントの伝道者に導かれ、信仰の門をくぐることとなる。

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10.とにかく歩きまくって失敗しまくっていた頃の布教回想(1)

10.とにかく歩きまくって失敗しまくっていた頃の布教回想(1)

私は二十代半ばから三十代後半まで、およそ十年あまりの当時をざっくりまとめると「とりあえず暇さえあれば戸別訪問かおさづけ取り次ぎ通い」的な時間の過ごし方を続けていました。

通う先がまだそんなに大してなかった頃は月のうち十日~十五日ぐらいはにをいがけに歩き、次第に通えるお宅、おさづけを取り次げる対象、様々なお手伝いをさせてもらったり、車に乗せてお相手の用事を済ます付き添いをしたり、ご年輩の独居生活者

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9.賞味期限ってものがあるんだよね

9.賞味期限ってものがあるんだよね

私は村上春樹という作家の作品が割と好きで、同じ小説でも二度、三度と何周も繰り返して読んでいた時期もありました。毎年ノーベル文学賞候補に挙げられながらも結局逃してしまい、そんな報道を観ていてその度にどこか肩透かしを食っているような気分にもなります。(個人的にはねじまき鳥クロニクルが好きです)

そんな春樹さんなのですが、小説執筆の傍ら、数々の海外文学の翻訳を自ら手がけては日本に送り出す、優れた翻訳家

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8.息子の純真

8.息子の純真

ある月明かりのきれいな夏の夜。
部屋の豆電球を消し、窓をあけて親子四人で布団に寝そべりながら、そんなまばゆい夜空を眺めていた。
おやさまのひながたの道中で語り継がれている、月夜の糸つむぎのエピソードが自然と口をつき、それに興味深く聞き入るこども達。まるでその当時のおやしきの情景が夜空に浮かびあがってくるかのよう。

そうしているうちに、それまで蒸し暑かった部屋は外から入り込む風によって次第に涼しく

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7.おぢばでみせていただいた身上の障り

7.おぢばでみせていただいた身上の障り

先日、青年会のひのきしん隊入隊の為におぢばに帰った際、詰所に到着して程なく激しい悪寒に襲われました。あれよあれよという間に四十度超の高熱に。インフルエンザに罹患していました。

詰所の一室に隔離され、食事を運んでもらい孤独な隔離生活。せっかくのおぢばがえりなのに月次祭にも参拝叶わず、「畳一枚が己の住む世界」を体感する、ありがた~いひとときを過ごすこととなりました。

翌月はじめの百母屋入りも、分会

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