見出し画像

16.ここが“最前線”

「あ? テンリキョウ? また来たのか。あんたら次から次からやって来るな。同じ場所に一体何人来るんだ?」

ある日の戸別訪問先でそんな風に呆れ口調で言われました。どうも短期間のうちに別々の布教者の訪問が重なり、たまたま何度もこのお宅を訪ねて来たようです。
悪くない気がしました。もちろん、先方にとってはいい迷惑でしょうが…。

おぢばから遠隔にあるこの土地でそんな現象を見せられると、少しだけ背中を押され励まされた気分にもなります。 

最初の頃は訪問先でのそういった迷惑そうな反応に罪悪感を抱き、インターホンを押すことに躊躇することも多々ありましたが、この頃はもうそういったことは何ら気にしないようになってきました。

何故なら“人に迷惑をかけない”を前提にしてしまうと、一切何もできなくなってしまうからです。
私たちは既に自覚の有無に関わらず、常に誰かのお世話になっていたり、大小の迷惑をかけながらでないと人間が密集するこの社会では生きていくことができなくなっています。
“誰にも迷惑をかけていない“つもりで生きているのなら、それは幻想であり、“知らず知らず誰かに迷惑をかけているのだ”という自覚が薄いだけ、むしろ厄介な考え方をしているのかもしれません。

戸別訪問を繰り返していくうちに段々気づいていったのですが、本当の意味で困窮している、悩みの谷底から抜け出せないでいる、難病に苦しみあえいでいる、そういう人ほど、他者に救けを求める声をあげられず、ひっそり隠れるようにして生きている傾向が見られます。
あるいは周囲や近親と摩擦を起こし、関わり合いを避け疎まれる、そんな人間性に問題を抱える人ほど、人々が暮らす何気ない場所で、そこから浮くようにして孤立し生きています。
そういった人達と出会う為には、地道に一軒一軒声をかけて歩いて発見していくことが、結局のところ確実な近道であるように感じています。
数百軒に一軒あるかないかという、そういう方のもとに行きつく為に、申し訳ないけれど、それほど困っていない方々には突然の戸別訪問というほんのちょっとの迷惑を被っていただくぐらい、大目に見てもらえたらと割り切る覚悟が必要なのかもしれません。それすらも迷惑だ、というのなら、そんな人がむしろ薄情なのです。

「お前らがこうやって来ることに困っている」
「お前らが迷惑だ」
「お前らまわって歩くのをやめろ」

何百回そう罵倒されたことでしょう。
言われたらすぐに謙虚に頭を下げます。
特に論争もしません。すぐに退散します。

だけど、本心ではそれに屈していません。そういうことを言って頭ごなしに叱り飛ばしてくる人は、前述の“本当の意味で困窮している”他者への救済に対し、何ら無関心だからです。苦しんでたすけてほしいと本気で願いながら声を出せないでいる遠い誰かのことは、別にどうなってもかまわないと思っているのかもしれません。
ならば、それらの言を真に受ける必要はない。


そんなある時、とあるアパートを訪問時、右の腰から足にかけてビリビリと電流が走るような痛みで、座ったり立ったりに難儀しているという中年女性と出会いました。

痛みが少しでも和らぐように、私達の教えのやり方で祈らせて下さい。

そう伝えると、簡単に受け入れて下さるその女性。
玄関先でおさづけを取り次ぎ終えると、

「あなたの手はあたたかくて気持ちいいね」

と言ってもらいました。
このまま三日間通わせてもらうことを承諾いただき、実行する。

約束通り三日間おさづけを継続し、終わってから更に三日後、四度目の訪問時に経過をうかがうと、病んでいたところの痛みはきれいになくなっていた。激痛から解放され、女性はとても感謝していました。

結局その後、いっときは通うものの彼女との縁は切れていってしまいます。これは私にとっていつものパターンなのです。
気にせず、また次へ次へと向かっていきます。

私の住む街は、おぢばからは遠い。
この“道の中心”であるおぢばと、布教の道中に出会った人達とを繋げていこうとする上で、この距離の遠さが高いハードルとなって私達の行く手を妨げてきたことは本当に数知れない。
いつでも神殿に足を運ぶことができたのにも関わらず、どこか漫然と過ごしていた天理での数年間の生活を経て地元教会に戻り、以来何度も痛切に感じています。

だけど、それでも志を胸に抱いて歩き続ける限り、たとえ中心を離れどれだけ遠隔にあろうとも、いつだってここが“道の最前線”。
そしてそれは、そういう覚悟を引き受けようとするなら、きっと誰にとってもそうなり得ることだ。

もちろんそれは、あなたにとっても。

“道の最前線”。

そう思わずにはいられない。

【2012.過日】


教祖百三十年祭の諭達発布を目前に控え、まだどこか鼻息の荒さが目立つ当時の自分自身を垣間見る思いです。

現在の教祖百四十年祭活動に比べ、やはりどこかうっすらとした空気感の違いを、文字の行間から感じたりもします。この十年の間に大きな時代の節目を味わってきたからなのかもしれません。

“ここが最前線”“俺は歩兵なんだ”という気概が、当時のピーナッツを前へ前へと突き動かしていたようにもうかがえます。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
それではまた(^^)/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?