見出し画像

21.かりものの身体で思う存分に

日曜日、末っ子が所属するバスケチームの公式試合を観戦・応援に行きました。

当然ながら6年生中心のチームの中で彼がこの日与えられていた背番号は“11”、5年生だけで見ても3番手。まだ第一線主力とまではいかない立ち位置です。

午前中、当初実力伯仲と予想されていた他校チームに快勝し、続く午後の試合前のウォーミングアップ風景を眺めていると、相手チームは見るからに背の小さい子の姿がやけに目立っています。
きっと、前年主力が卒業し今年は平均年齢の低いチームだったのでしょう。片や息子チームは一応、地区大会の優勝候補。この時点でほとんどの誰の目から見ても勝敗はほぼ明白でした。

試合が始まり第1クオーター(試合時間6分)が終わると、得失点は24-2。既に予想通りの圧勝ムード。ただいつもと様子が違うのは、息子チームのオーダーが珍しく6年生ばかりで固めていたことです。
その理由は第2クオーターが始まった時に明らかとなります。

コートに登場したのは5年生・4年生。それは現時点で予想される1年後のベストメンバーでした。息子の姿も見られます。既に来季を見据え、接戦になり得ないであろう今回の試合でそれを想定し場数を踏ませる算段でこの布陣を敷いたようです。確実に試合を取りこぼさないように先ずは序盤で大量に得点を貯金し、以降は6年生にベンチを温めさせたまま試合は進みました。

これで相手チームとの年齢的なアドバンテージはほぼ埋まり、条件互角の対決となりました。むしろ後ろめたさが消え、こちらも素直に応援する気持ちが芽生えてきます。

いつもどのクオーターにも必ず6年生の誰かが入り芯となって試合を運んできた中、そういう柱がいなくなったことで、息子達チームのリズムは途端にちぐはぐになり、粗さが目立つようになりました。傍から観ているとハラハラします。
しかし相手チームにも未熟さが随所に見られ、双方にポロポロとミスが続く展開が続きました。

私はなにか、両チームどちらの5年生・4年生にも等しく(がんばれー!)という、無言の声援を送りたい気持ちが強くなっていきました。
一度リードした点差は埋まることなく、それどころか息子チームは粗を見せつつも、それでも更にその差を広げていきます。

勝敗は決して覆らない。

だけど、この試合はコート内を駆け回る彼等全員にとって、そういったことを超え、既に別の意味を帯びだしているように私には感じていました。

彼等ひとりひとりの懸命さが私の胸を打ち、静かに揺さぶってきます。

がんばれ。

だけど、それは「たくさん点をとれ」でも「勝利に貢献しろ」でもない。そんな上辺の活躍に“がんばった”なんて風に評価の基準を与えたくはない。

それぞれひとりひとりの持てる力を振り絞って、まだ十分にできなくても、上手に立ち回れなくてもいい、自らにとっての未知の領域を目指してそこから逃げずに、

“挑戦しろ”

“立ち向かっていけ”


かりものの身体に感謝して

粗削りな両チーム選手達の激しい応酬を眼前に、“生きている”“生かされている”ということの意味を改めて考えさせられていました。

“いまはまだちゃんとできないことに挑戦する”
“難しいと思うことと対峙する”
“体験する”
“経験する”
“感じる”
“味わう”

そうやって各々の目の前の試練から逃げずに向かっていく様は、“生きている”そのものを今まさにリアルタイムで体現し続けているようにさえ感じられました。否が応でも胸が熱くなります。

“私たちが借りているこの身体に感謝する”ということは、即ち、こども達がああやって互いに全力でぶつかりながら何かを体験、経験、感じ、味わうことそれ自体が、やがて感謝の念へと結びついていく為の必要なステップを踏んでいる営みだと私には思えていました。

少なくとも、こども達は今まさに、かりものの身体で瞬間瞬間を、懸命に生きている。


試合が終わる頃、ダブルスコアで息子達は勝利します。
終盤になると両チーム、更により年齢の若い子達を投入し合い、最後の最後までお互いに切磋琢磨を繰り返していました。
相手のチームの子達や保護者の皆さんにとっては残念な結果ではありましたが、どこかさわやかさの残る、後味の良い試合でした。
きっと、両チームとも次の代の子達にとっても収穫があった時間になったのではないでしょうか。

顔を真っ赤にし、汗だくで戻って来る息子に向かって声をかけました。

よぉ、がんばったじゃん。


湧き上がってきた熱情にほだされ、そのいつまでも冷めやらん余韻を未だ胸に抱え込んだまま、この情動をよすがに言葉を紡いでみようと思いました。

【2024.6.23】


ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた(^O^)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?