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母のdemonを笑い飛ばそう~言語化とかいろいろ。
半世紀以上生きてやっと気づいたのは「母はコミュニケーションについて非凡な傾向がある」ということ。
母、齢87。
いたって元気。私が何かいうと、基本的に「否定」から入る。
私はそのことにいつもイライラしていて、今思えば私の自己否定癖は母の「否定から入る態度」を自己内在化した結果だと思う。
ある日のこと。
母の、ど演歌カラオケに付き合い、「声がよく出てるね」とか褒めてみたりした挙句。せっかくなら私
ゴッホAlive~マイノリティダマシイ~
ゴッホAliveを見てきた。
なぜかふとゴッホのことを考えてたら、翌日SNSでゴッホAliveの投稿を見かけた。終了3日前の金曜日の夕方。ふと行ってみようと思い立ち。
大雨で警報が出ていて美術館に確認すると、電車が止まったら閉館するかも?と言われつつ。
何となく行った方が良い気がして行ってみた。
警報のおかげで人も比較的少なくて、わりとゆっくり見ることができた。
音楽と映像が駆使されていて、
太陽の時間 月の時間
太陽が沈んでしまうと、途端に色んなことがどうでもよくなってしまう。
何をするのも面倒くさくなってしまって、仕方なく寝床にもぐりこんで朝が来るのを待つ。
そんなふうになったのは、一人暮らしを始めてからかな。
家族のリズムに合わせることがなくなったらこうなったので、ある意味自分にとっては自然なことなのかもしれない。
一般的に占星術では、太陽は能動的に生きる力、公に見せる自分で、月は受動的で無意識な
人生の予告編。ときを経て気づくこと。
2019年夏至、なぜか「行かなくちゃ」と思って、ひとりグラストンベリーに行った。
夏至のグラストンベリートーでは、黒人のひとたちが歓喜の踊りを踊り、歌っていた。
イギリスの歴史ある場所で、黒人のひとたちが賑やかに歌い踊る図は私の想定を遥かに超えていて、トーで静かに瞑想する予定だった私は、面喰って身の置き所に困ったのを覚えている。
踊っていたひとが「楽しんでる?」と声をかけてくれたけど、私は言葉
ウィークネスフォビア~弱さへの嫌悪~
ウィークネスフォビアという言葉があるらしい。
「弱者嫌悪」を意味する男性学研究者の内田雅克氏の造語だとか。
「"弱"に対する嫌悪と、"弱"と判定されてはならないという強迫観念」のことだそう。
「弱さに対する嫌悪」
私にはそんなものはないと思っていたのだけど、意外と深いところに、そんな思いが眠っていたことに、最近気づいた。
街角で BIG ISSUEを買うことは、案外と簡単なことだ。
こ
存在意義とか。ドヤ顔とか。
「存在意義を理解する」
というフレーズがやってきた。
それはどういうこと?と思い、頭の中をリフレインしはじめた。
一日考えて。こんなことを思った。
なんとなく牡羊座的な人たちについて。
牡羊座といえば、スタートダッシュ。
牡羊座といえば、一番のり。
牡羊座といえば、天然のピュアさで突き進む。
たとえば誰かとピクニックしてても、突然気になった岩のうえに登って、あとからついてくる人に対して、ド
家族とか、母とか、心配とか愛とか。
母になったことのない私には、母であることの大変さは想像するしかないので、どうしても偏った見方になってしまうのだけど。
それはそれとして、母という存在は、人によって「子を心配すること」を、いくつになっても自分の存在意義としているようなところもあるのかもしれないな、と。
母を見ていて、どうしても理解しがたい部分を割り切るために、そんなふうに理解してみようとしている。
いつも何かしら食べさせなけれ
双子座満月〜冬至へ。
ここのところ
なかなかハードな星模様が
続いている気がします。
明日は双子座で満月
ひとりで頑張りすぎて
疲弊してしまったとか
心の深いところの
言い分を
聞こえないふりして
過ごしてきてしまったとか
もしそんなことがあるなら
一度自分の中で
リセットしてみるのも
いいかもしれません。
ずいぶんと
気づかぬうちに
無理をしてきた人も
多いのでは?
冬至にむけて
結局のところ
心の深い
G線上のアリアとお葬式と。
バッハの音楽は、何かしら本質的なところへチューニングしてくれる気がする。G線上のアリアを流しっぱなしにして、掃除や洗い物をするのが習慣だ。そんな時間は、心が静かになって、ノイズが消えていく。
ある日のそんな時間。
パートナーが言った言葉に、なんとも言えない感覚を覚えた。
「ゲームの中で、一度死んで再生するときのオンガクみたい。お葬式みたいな」
私はなんと答えたらいいのかわからなくて、へぇ、そう