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ゴッホAlive~マイノリティダマシイ~

ゴッホAliveを見てきた。

なぜかふとゴッホのことを考えてたら、翌日SNSでゴッホAliveの投稿を見かけた。終了3日前の金曜日の夕方。ふと行ってみようと思い立ち。

大雨で警報が出ていて美術館に確認すると、電車が止まったら閉館するかも?と言われつつ。
何となく行った方が良い気がして行ってみた。
警報のおかげで人も比較的少なくて、わりとゆっくり見ることができた。

音楽と映像が駆使されていて、自由に写真や動画を撮っていいというのは、とても斬新で面白かった。

生前売れたゴッホの絵は金額にすると総額20万円程度だったとか?
彼が描いた絵の数からすると、まったく絵の具代にもならない金額だろう。
いつも弟のテオにお金を送ってもらって、生き延びてきたゴッホ。

書き残されていることたちが真実であれば
どこまでも自分が表現したいことに忠実に生きて、いつも身の回りにはトラブルがたえず、ほんとうに理解されることがなかった。

そんな彼の思いを想像すると、ほんとうに涙が出そうになった。
今こんなふうにたくさんの人たちが彼の作品を楽しんでいることを
彼は喜んでいるかしら。

展示から帰宅した日の夜。
その彼の思いに心底共振している自分に気づく。
それは根深い「マイノリティダマシイ」

メジャーな世界に魂を売ってなるものか
簡単に理解されてなるものか
認められなくてなんぼだ
真実はコアなんだ

みたいな。

気づいてみたら、その想念のあまりの重さに驚いてしまった。

新しいものは認められない
主流派でないものは嘲笑される

ゴッホの時代はまさにそんな時代だったのかもしれないけれど
そんな時代はもう終わりつつあるんじゃないかと思う。
彼が亡くなってから130年あまり。

主流派がにぎったハンドルが行きつく先が
見えなくなってきた時代。

そろそろ「マイノリティダマシイ」を捨ててもいいんじゃないかと思った。

この時期に開催されたゴッホAliveは、彼の想いに共振する私のようなニンゲンたちに「もういいよ」と言ってくれてるような気がした。

メジャーとかマイナーとか
もうそこにこだわらなくていい。

誰かを批判することもない。
自分を批判することもない。
誰かのせいにすることもない。

時代は変わったのだから
やりたいようにやってみればいい。

理解されてもいいし、されなくてもいい。
短いスパンの短絡的な思考で、自分の生き方をゆがめることなかれ。

そんなメッセージを受け取ったような気がした。

時空を超えて。

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