珈琲の時間
珈琲の時間は、特別な時間。
ホッとするためのおまじないみたいな。
それはまだ、私が子どもだった頃からの。
いつも忙しくている母からの「珈琲飲む?」という言葉は、甘美な時間への招待だった。
その頃、母がいれてくれた珈琲は、お砂糖とクリープの入った素朴なインスタントコーヒー。
その味は今でも思い出せる。
母はいつもそんな珈琲の時間に、何かしら父の愚痴を話してた。
そんな時間でも、忙しい母とふたりで話せる時間は、私には大切な時間だった。
甘いミルクコーヒーを飲みながら、私は母の愚痴を聞いていた。
そういうものだと思っていた。
だから、人との会話は、愚痴を聞くもの、というのが私の当たり前になった。
それをつらいとは思わなかった。
話を聞いて、目の前の人が笑顔になってくれるなら、それでよかった。
今思えば、ほんとうは、いつも難しい顔をしていた母に、笑顔でいてほしかったのだと思う。
私は蟹座の月の日に生まれた。蟹座の月は、誰かのお世話をする事で、自分の居場所を作ろうとする。
それは時に、息苦しい生き方になる。オトナになってもお母さんごっこをしているようなものだ。
そして、月に生き甲斐を求めると、人生はおかしなことになりがちだ。
冒険や魂の成長より、セーフティゾーンにとどまることを、月は断固として求める。
オトナになってから、私はブラックのレギュラーコーヒーしか飲まなくなった。
オトナになって、もう何十年も経つのに、母はその嗜好を覚えない。
母の中には、いつまでもミルクコーヒーの記憶があるのかもしれない。
私はもう、子どもの頃のように、従順に母の愚痴を聞けるような人間ではなくなってしまった。
オトナになるって、そういうことなのかな。
今は、自分のために豆を挽き、珈琲を淹れる。
それは、私の心の声に耳を傾ける時間。
子どもの頃に得られなかったものを、自分に与える時間。
月を癒し、明日へと歩いていくための時間。
私が、私のために生きることを、どこまでも肯定するための。
今日のオンガク
ハナレグミ〜家族の風景〜