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ケム川にかかる橋

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Cambridge留学の経験と、その前後の英語学習について。
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#イギリス

「LとR」の発音を身に着けたときの話。

「LとR」の発音を身に着けたときの話。

LとR。多くの日本人が、10年近く英語を学びながら習得できない、2つの音。

「私はできます。」とマウントをとりたいのではない。日本語に無い音を、訓練無しに習得することが土台無理。入試英語で問われる音は、アクセントと、せいぜい母音の区別くらいのものであり、見れば分かる「LとRの違い」に時間を割く親切設計ではない。

2019年初の僕もそうだった。

Cambridge留学を間近に控え、学習ターゲッ

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留学の真の果実は「語学」ではない。

留学の真の果実は「語学」ではない。

12週間のイギリス生活を通じての結論が、「語学を学ぶために留学は必須ではない」というものだった点に特段の戸惑いは無い。地道な予習、実践、復習。それらを一体 "どこで" やるべきか、という問いに対し、「留学」の二文字は致命的な影響を及ぼさない。やはりというか、語学に魔法など無いのだ。この点に驚きはない。まぁ、そうだろうなと。

もちろん、近道になる可能性はとても高い。現に、留学前、ほとんど外国人と

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なぜ「紙」や「ペン」が無くならないのか。

なぜ「紙」や「ペン」が無くならないのか。

何故、紙やペンは無くならないのだろう。

だって、もう不要ではないか。四六時中携帯するスマートフォン上で、ウン万というアプリケーションを操り、世界中のどの知り合いとだって、瞬時に意思疎通できる。一生をかけて書き得るテキストデータを1つのデバイスに保存したって余りある容量も手にした。環境にも優しいし、何より手が疲れない。言うこと無しではないか。

ふと、そんなことを考えたことがある。結論は「我々には

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マダムヴィジニとシェークスピア。

「フランス」という国があまり好きではなかった。

その気持ちが何に由来していたか分からない。恐らく自国や母語への強烈なプライドとか、やたらとフランス産ワインを好んで飲んでいるとかそんな所だろう。全く下らない。フランス人の友人など居た試しがないのだ。バース市街で目にしたジェーン・オースティン像は、随分と気難しそうな面持ちだった。聡明な彼女が物語をしたためたら、どのような仕上がりだったろう。

2週間

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なぜ学習効果は時間に比例しないのか、という話。

なぜ学習効果は時間に比例しないのか、という話。

学生時代、不思議に思っていたことがある。勉強をした後の模試ほど、何故か成績が振るわなかったのだ。勿論、「勉強をしても意味がないから…」という結論を得て、エスケープしたい気持ちはあった。しかし、学習した時は、間違いなく点を伸ばしたい時である。効果を実感できない理不尽さに、学生時代、随分と悩まされたものだ。

イギリスに来てからも、同じような経験をしている。昨日はあんなに頭が冴え、滑らかに話せていたは

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さらば、社会主義。

さらば、社会主義。

「正直言って、経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです。どうやってそういう社会のシステムを作り変えていくか、そういうことだというふうにお互いに理解が進んでいるので。」

4/19の報道と、その報道に対する率直かつ肯定的な「リアクション」に、私は二度驚いた。経団連という、”超”を3つ付けても差し支えのない伝統的大企業の抽象物が、終身雇用の放棄を検討している事実。それを「待ってました。」と

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女の子に生まれていたら。

女の子に生まれていたら。

「女の子に生まれていたら。」と、よく想像したものだった。女の子に生まれていれば、表立って泣いたり、痛がったりすることを許された。スポーツをする必要も、力仕事も不要。大嫌いな人前で、小難しい仕事の提案をする必要もない。勉強ができなくても、適当に結婚し、適当に子供を産み、適当に養ってもらうことができる。最高の人生。女性万歳。そんなことを思っていた。男に生まれた人生の先を思い、日々背筋が寒かった。

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自分の「感覚」も大切にしたい、という話。

定量的な裏付けは重要だ。何の裏付けも無しに、「私はこう思う。」「こうに違いない。」「絶対にこうだ。」と決めつけては、健全なコミュニケーションは図れない。「定量的」とは、「数字の」という意味だ。大抵のエラーは、数字がそっと教えてくれる。バブル崩壊も、サブプライム危機も、数字は躊躇いがちに「実は…」耳打ちしてくれていた。0と1との間で、どのようにそれらを「咀嚼」するか。その判断の誤りだったに過ぎない。

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日本人は「Polite」である。

日本人は「Polite」である。

レッテルや偏見に縛られることは、恥ずべきことではない。誤解を恐れずに言えば、それらは時に物事を整理する有効な手段でさえあると思う。知らないことにレッテルや偏見を代用することで、事物を相対化したり、自分の中の世界のバランスを保ったりすることができる。勿論、一度用いたが最後、「それ」を解消すべく努力を重ねなくてはならない。南米に住む人は時間にルーズなのか、イタリア人はいつでも陽気なのか。アメリカ人はフ

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「宜しくお願いします。」の英訳。

「宜しくお願いします。」の英訳。

午後4時。今時期の外気温は10度そこらだが、教室は決して寒くない。

イギリスの建物には、基本的に「エアコン」というものが備え付けられていない。代わりに、暖房設備(器具ではなく固定式)が充実している。近年は、地球温暖化の影響か、夏場に30度に迫る日も少なくないのだというので、空調設備メーカー方々は虎視眈々といった所だろう。

ブラインド越しに斜陽を浴びながら、ディスカッションの授業を受ける。生徒が

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一本の電話から。

一本の電話から。

Fitzwilliam Museumに陳列された膨大な数の美術品。

そのそれぞれに「Dish」とか「Oil on canvas」といったシンプルな分類と、簡単な説明文が添えられている。

どこかで見聞きした気もするが、如何せん世界史は苦手だ。「ああ、これはあの戦いの時の…」と、没入することは叶わない。それでも、その総体は、素人をも圧倒する何かを孕む。これが無料とは、さすが世界のケンブリッジ大学。

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I wish.

I wish.

当時の僕は、「勉強」というものが心底嫌いだった。勉強とは何のために行い、それが一体どのように有機的に結びついていくのか、イメージできなかったからだ。

例えば、数学。

ある時を境に、両親から宿題の答えやその解釈を得ることが難しくなった。代わりに、塾や習い事に通わせてくれた。

今でも感謝している。間違いなく、当時の日々が鏡に映る「私」を形作ってきた。反面、今振り返っても別段不思議はない。「使わな

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ケム川に架かる橋。

ご無沙汰しております。

2週間ほど前から、語学研修の一環でイギリスに来ています。
期間は3か月程。ホームステイ先での滞在です。

初日から色々あり過ぎてnoteを書きたい所だったのですが、語学学校の課題に取り組んだり、2日目から時差ボケ(Jet lag)と体調不良とでひたすら仮眠をとったりせねばならずで、随分と放置してしまいました。

体調の方も回復してきたので、時間を見つけてまたチラシの裏に書

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