見出し画像

一本の電話から。

Fitzwilliam Museumに陳列された膨大な数の美術品。

そのそれぞれに「Dish」とか「Oil on canvas」といったシンプルな分類と、簡単な説明文が添えられている。

どこかで見聞きした気もするが、如何せん世界史は苦手だ。「ああ、これはあの戦いの時の…」と、没入することは叶わない。それでも、その総体は、素人をも圧倒する何かを孕む。これが無料とは、さすが世界のケンブリッジ大学。知を呼び込むヒントは、案外とこういう所にあるのだろうか。

テンポよく美術品の前を通り過ぎつつ、何気なくディスプレイに目を落とせば「Hi」とぎこちないメッセージが届いている。日本との時差は今日から8時間に縮まったが、8も9も実際大差はない。要するにこちらは夕方、向こうは夜中である。少し時間を置いて、私も「Hi」と返す。旧友からのメッセージだ。意図は凡そ3つに絞られる。

こういう間接的なコミュニケーションを面倒くさいと切り捨てる向きもあるけれど、私は案外と好きな方だ。現実の面倒くささに比べれば、大抵のことは面倒くさくなくなってしまう。この矛盾を説明するのは幾分難しい。

「できれば今から話したいんだ。迷惑でなければね。」

5分程おいて、そんなような内容の英文を受領する。そのような時は、いつでも「ASAP」が心情だ。人が回りくどく接する時には、決まってその人にとって大事な何かがあって、話を聞いたり、問い詰めたりして欲しい時なのだ。そして人の話を聞くこともまた、案外と好きな方だ。

「語学留学は順調?」

そのあまり流暢ではない話しぶりと内容から、全てを理解した。

「全然だよ。正直、日常会話もままならないね。今日も喫茶店でお茶をしたんだけど、紅茶の種類を聞かれていることにしばらく気付けなかったよ。会話のスピードが早すぎてさ。云々。」

彼の前では、いつも飾る必要がない。彼もまた、私の前では飾る必要がない。こうして無事に、海外における自分達の非力さや小さな挫折を共有する所となった。唯でさえ肌寒いイギリスの夕暮れ時、私のコートは少し暗い地下室の、施錠されたロッカーの中だ。

それでも、会話は終わらない。発音がどうだ、イントネーションがああだ、語源がこうだ、云々。一頻り話し、日本時間が0:00を回った頃、彼は笑いながら話していた。

「この年だけど、俺は英語と、中国語にも挑戦してみようと思ってさ。」
「良いじゃない。大変だけど、伊能忠敬より20年早いよ。」
「そうだね。」

今日は日曜日だが、サザエさんの笑い声は未だ届かない。代わりに届いたその弱音と決意は、語学研修のカリキュラムに組み込まれているようでもあって、少し可笑しかった。美術館の壁面は、いつの間にか夕日に照らされ、庭全体が柔らかい光に包まれていた。

17:00の閉館直前に自転車に乗り、静かにこぐ。西から東へ強い風がふく。朝の通学にはいつも骨が折れるのだが、明日は問題ないだろう。それ以降は、明日の自分がどうあれたか否か、それ次第だ。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)