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まともは悩みを生む、狂ってる方が毎日が楽しい

学校を卒業して、社会に出て数年働いて生活をして行くと大抵の人はまともな大人になって行くと想います。なぜなら社会一般的にまともとされる人間を理想とするようになって行くからです。

仕事で〇〇先輩みたいになりたい、結婚して家族を持ちたい、家が欲しい、何歳までにこうなると、他人から見られて恥ずかしくない人間になって行こうと

何だかんだ日本は恥の文化ですから、『そんなことしたら〇〇ちゃんに笑われるよ!』など親に言われて、恥をかく=かなり良くないことと植え付けられている

だから自分を恥かしくない人間として形成して行こうとする。それが無理ならばなるべく恥になる情報は他人に隠す、まともであろうとすればするほどに、誰かの価値観基準に引っかかる確率の高い人間になろうと

多くの人が自分を見てどう思うか?他人を軸に行動基準を考えてしまう。

でも、それは本当に幸せなのでしょうか?

人間って大なり小なり何処かおかしな所があるはずで、おかしな所が別に犯罪にならないなら、誰にどう思われようとそこを追求して行く生き方もアリだと想います。

アルバイトでお金貯めて誰に頼まれてもいない南極に単独で行く、頭のおかしい冒険家もいますし、正義感からなのか?大して給料も出ないのに世界各国の義勇兵に命がけで参加している人、おっさんに差し掛かってもアパートに住みながらケガの可能性の高い格闘技の試合に出ている選手など

社会一般的に見れば、とち狂ってる部類に入るかと思います。

将来性、社会的地位、リスク、世間の価値観あらゆる面で考えても世間一般のそれからは外れている。でも自分の中で誰に介入されずに楽しめることが1つある人間というのは強いです。

自分の好きなことが輝いて自分を照らしてくれているからこそ、貧乏でも、孤独でも、苦しくとも、全て昇華して充実に変えることが出来る、未来の喜びを更に強くするエッセンスにすることが出来る。

どんなに恵まれて見えて、社会的に地位が高くとも、誰に介入されることのない自分の中で楽しめることが無いというのは苦しいものです。

特に昨今SNSが普及したせいで、他者と比較する機会が増えたと想います。

しかし、他者比較ではなく、子供のように遊んで気づいたら日が暮れていたみたいに、時間を忘れて夢中なれること

自己完結で夢中になれることというのは、損得勘定も周囲の目も関係なく、度が過ぎる狂った人間に見られることもあるでしょうが、まともを貫いて幸せになれないのなら、狂ってた方が楽しいです。

好きなことを深掘りし続けると常軌を逸している行動に出ることがあり、更に頭がおかしいと思われるでしょうが、そう思われればこっちのものです。

この人は自分たちと別枠で生きているのだと思われれば誰も口をはさんできません。

まともだと思われると他人は面と向かって口をはさんで来ますが、突き抜けてしまえば誰も何も言ってきません。どう転ぼうが人間自己責任の中で生きているので

好きに生きて将来困るのも、誰かの価値基準の中で生きて将来後悔してしまうのも、どっちにしても誰のせいでもない自分のせいです。だからこそ他人にどう思われようが、自分で今を最高にする選択を積み重ねましょう。

自分で決断して思う存分行動した先の未来ならば、そこまで後悔は大きくないと想います。何かに狂うことが出来れば他に夢中になれることを見つけた時に、狂人パワーで何か生み出せると、、抽象的ですが、そう感じます。

という所で今回はこの辺でおわりにします。

皆さん良い一週間を☆またね!('ω')ノ


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