#創作大賞2024
現代の性(げんだいのさが)精神障害と禁欲主義、過酷な21世紀を生きる者へ向けて
小さい頃から、私の気持ちを汲み取ってもらえることはなかった。
私は母親というものは、子どもの情緒を汲み取れる力があることでもって母親、というと思っている。
その点において私の気持ちに焦点が当たることは、この22年間19万時間においてほぼなかった。
ご飯とか、洗濯してもらうとか、物質的な援助はあった。それだけでもありがたい、と言えるのだろうか。
しかし私の心に焦点が当たることは、ついぞ無かっ
優秀だけど悪な人、の悪の部分を構成する一つの素因は「さびしさ」
私はかねてより経営者の小野壮彦さんのお話に色々と示唆を受けており、その中でも善悪についてのお話が心に残っています。
小野さんは善と悪が総体として人間の人格に貫いている、というようなことを話されていまして、人間には変わりやすい部分から変わりにくい部分まで断層があり、そのすべての層を善悪が貫いている、と話していました。
分かりづらくなってしまいましたが、人にはポテンシャルと言われる、より下層の評価
[創作]あなたの過去にとって還るの。
「こんばんは。元気にしてるかい?」
「なずなさん、こんばんは。最近色々ありまして、悩むことが多いというか。それで若干困りながらも、なんとか生活しています。」
「おや、何があったんだい?」
「いや、あまり悩むことではないのかもしれないのですが、上司の方からよく指摘をされるんです。それはいつも同じような内容でして、もう少し肩の力を抜いたらどう?ということなんですが..」
「ほうほう」
「私は
【初有料記事】私が留年大学生を名乗るわけ。
こんにちは、留年大学生のAoy(アオイ)です。
今パソコンでノートを書いているのですが、パソコンだと記事の表示のされ方やレイアウトの形が変わって、これはこれで新鮮です。
逆に考えれば、仕事と一緒にブログを書かれている方も多いので、パソコンで記事を見ているという人も多いのではないか?とも思いました。
そうなると記事の書き方や見せ方も変わってくるよな、と言う気がします。とにかく新鮮で面白いです。
40代の愛と取→10代の社会不適合障害.
私は仏教を学んでおりますが、その中に人間が生まれて死ぬまでにどのような行いをし、そしてどのように輪廻するのか、という広い視野でもってお釈迦様が説かれた教えがあります。
私が学んだ仏教の中では、愛と取という概念がありました。
愛は人に対し愛憎がうずまく時代で、恋に落ちたり、あるいは人を憎んだりする時期、
取は「もっともっと」と歯止めが効かなくなり、欲望に支配されたようなもっとも脂が乗った中年の
自己紹介Aoy(アオイ)について.
こんにちは留年高校生のアオイです。
ここでは私のプロフィールを紹介いたします。
ノートを始めた1月から、およそ2ヶ月が経ち、私の活動内容も当初予定していたものとかけ離れてきましたので、今回はそこを埋め合わせる記事にしたいと思います。
一言で説明しますと、新たな活動内容またはそれを含めたプロフィールです。
どうぞよろしくお願いします。
目次はこちらです。
①Aoyの自己紹介まず始めにです
[創作]尊き普通の世界
その男子は、先生との話も深まったことにより、多少の冗談を言ってもいい雰囲気を察知した。
もとより普く議論において最も崇高とされる行為は談笑であり、お互いが心を開け放す"冗談"を言える空気こそが議論としてふさわしい、と男子は知っていたからだ。
「先生、そんなことを言っていますが、実際のところ他者に分別をと言っているその"分別''すらも、結局のとこ生きるための執着ではないのですか?」
男子は若干