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うつの記録

理解不能なこと、それを人は才能とか言う。

劣等的自己不全感、劣等感、激しい恥を感じるのは違う。

逆成功の現実世界に入ってしまえば大丈夫な気がするよ

本当の夢と希望を届ける。

1歳、1歳と積み重ねて行く。

事故の世界からしか、安定の世界に出られないまである(少なくともわたしの場合は)

進んできた道の違い。それを圧倒的大差と言う。

優しく、親密で、喜びで、至福の日々が来る。

私はこのメモを80年間続けていきたいと思っているし、お友との会話を30年間続けていきたいと思ってるし、彼女との優しさを7年間積み重ねたいと思っている。

21歳、まだまだこれからよ。と信じたい。

日々は大変だと見る。

この世の謎が解けぬ。

ただただただただ、何もせず、何もせず、経験を積み重ねる。経験を積み重ねて30年40年50年と経つだけ。

50歳まで有名にはならない。

祝い事のように生きる。

欲のままに生きる人、治安の良くない人、自己愛の恋愛の人、考えてない人、の理解をこれからも続ける。

彼女は鋭く、記憶力がいい。昔からそうだったのを思い出した。

私にとっては会食も戦だった。

私が全く敵わない敵を、見つけるのもいい経験だろう。

明日の楽しみが何もないな。

火曜日の体育もたぶん授業説明だからなぁ。まあゴールデンウィークに入るしいっかぁ。

世界は悲惨で、みんな悲しい。私は努力で生き抜いたけど、みんながみんなそうできるわけではない。私は進んで親を悪く思おうとは思わない。素直に喜んじゃうから。もちろん腹が立ったことはしっかり言う。それは法と言う正しさでもって反抗させてもらう。だけど、じゃあそれ以上何かしたいかと言ったら、私は何かしたいとは思わない。あくまで教える、のだ。多分きっと本当の大人とはこういう人のことを言う。それを親に伝えてやるのだ。私の心には布施が入ってきてしまい、それゆえ神に守られ、有り難みと共に幸せに生きて行くだろう。その変わらない幸せを、神と菩薩に守られる安心感に上乗せしながら、人々の心に轟かせていくのだ。これから生まれていく物語は、予定調和であり、人々の心に花を咲かせていく道筋でもある。

病を治すには、少なくとも10年以上の経験が必要だと思う。

なんで私が神が仏みたいか分かるか、親が神か仏みたいにあれ(名誉)と望んだからだ。

最初からそうだよ

もうこの子は私の手に負えない、何を今更、最初からそうだよ。本来子どもというのは独立しているものだ。1人の人として独立しているもの。だからこそ1人の人として尊重されるべきものだ。私は最初から独りだった。なのにそれを自分の子どもだと勘違いする親がいた。つまり自己愛。自分の手によって子ども生き様をコントロールできると勘違いする親だ。そういう親の元で育つ子どもは、決まって不幸になる定めがある。親も一人の人間だからしょうがない、許したってくれやと言われるかもしれないが、子どもの私にとってはひとたまりもなかった。親が子どもに怒る。その怒りのエネルギーはその怒りとして放たれたエネルギーのままの質量で子どもの胸の内に溜まる。これはどうにも紛がれない事実である。だからもし子どもの気持ちに焦点が当たらず、怒られる経験が1万回を超えてくるとしたら、それは必ず近い将来子どもの鬼気なる反逆となって返ってくることになる。それくらい子育てというものは本来大切なもので、故に価値のあるものである。だがそれを分からぬ親が多い。子どもが子どもを育てているような親。でもそれは、一つの見方からすればその親も大きな不足を受けて育ってきたのである。つまり親の親から愛情、親なる愛情がかけられなかった。そうやって先代また先代と育児の歴史を辿っていくと、"大人の悲しみ・大人の弱さ"というものがずーっと降り積もってきたことが分かる。つまり要は今子どもにかけられてる悲惨な運命は、世の中の大人の歴代の悲しみの遺産であることが大きいのだ。だから私は常々、「大人の人に優しくできない、大人が自分のことばかり優先するという大人の弱さを、子どもが精神的うつ病という形で受け継いでいるんだと思います。」と言っているのだ。私は必ずこの悲しみに蹴りをつける。歴代から歴代のこの悲しみの遺産をここで終わらせる。それには命を懸けなければいけないことは明白だが、あいにく私は生まれ落ちた日から命を懸けているのだ。今更始まったことではないのだ。だからもうすぐ夜明けが近い。この世の中の夜明けは近い。そして明るい日の光が、必ず近いうちにこの日本に射すだろう。

エリクソンと経典を頭に収えた。だからもう大丈夫だ。それを抱えて10年生きる。そうすりゃもう大丈夫だ。

面白いものでな、そんなすぐには恵まれんねん。それは一念ではないと言ってるのとはちゃうよ。それはちゃうけど、努力ってのはなかなか芽を出さない時もあるっていう話やねん。

初夏はきれいだ。

なんだか、学校に行くことなんて、バカバカしく思えてきた。

いかに手を抜くか、ということばかりを考えている。おそらくそれが私にとっての正しい目的に向かうための努力なのだ。

賞賛とは違うところから出る、かけ離れた努力の積み重ねに、感嘆や感動があるということを後に知った。
シンプルに嬉しかった。

彼の社会システムがなるのをこのままみさせてもらう。

積み重ねられた努力は、魔法になると思うのよ。

授業は聞かないに越したことはない。

五逆・謗法のもの。

縁に恵まれる。縁を生かす。

彼が伝えたかったのは、手を抜くというのも一つの立派な努力だということ。

目標と目的の混合。

苦しみの究みにある張り詰めの先の心の世界、それは仏縁なのだろうか。 

2023年5月1日

仮、を何度も何度も思う。

断じて言うが、名誉の果てに行くために仕事をしてはならないと思う。

名誉の上に生きてしまえば、長年の経験の末に何が培われると言うのか。

ただこの名誉の破壊性も、一旦名誉を経験してみないと分からないものだろうか。

大事なのは名誉によって破壊されたら、いかにそれはもう打ち切って、大事な道に進むかどうかだ。それはつまり反省。反省が大事。

長年虚像を追っていた。それは名誉。

彼の20年後と彼の1年後がなんとなく分かる気がする。

努力型、向上心は高いが一気に家庭が崩壊する可能性あり

休むことも、また努力。目的に向かう上においては。

自分が自分が、注目されたい注目されたい。これは気をつけなければいけない。

お友に仏法を伝えた先にどうなると思うか、多分何も変わらないと思う。弥陀の本願。(仮)

私が有名になるのは死後でいい。なんなら有名にならなくてもいい。

この話は絶対売れるぞ。

人の耐えられなさ、の因果律も知りたいと思う。

コーヒーもやめて、動画もやめて、夜食もやめて、ストレスもやめる。

私は終始、劣等生だ。

ああ、この人は全部分かってんだな。

法制、規則。それが警察。

汚いものを見ると心が荒む。

見ざる、聞かざる、言わざる。

4年経てば知り合いがいない。それはとても嬉しいことである。

主権が自分にある。

うつ病は、事故的自己。

私に必要なのは頑張ることでも努力でもなく、自分を整えることにあった。整えることこそ、目的に向かう上においての本当の努力であった。休んだり、上手く手を抜くことだ。

仕事をする、その仕事をするためにはそのための母体が必要である。

仕事をする、母体が必要。

お前のそういうところだぞなんて、何をどう考えてその発言をしているのか。甚だ疑問である。

いつでも帰って来れる実家というのは、努力をし抜いた人にしか提供できないかもしれない。

死ぬ気でやって、死ぬ気でやって、それでもまったく報われなくて、もうやめようかという日を何度もくぐり抜けて、それでも諦めずに続けてきた人が、本当の夢と希望を見つけるんじゃないのかなあ。

犯罪は懈怠から生まれる。
犯罪は苦しみの極みから生まれる。

スーツ着る。
奨学金読む。

長いこと嫌いなヤツと接してっと、途中で面白くなってくる。因窮屈最悪 中忍耐度中 果度外円笑

父性には父性で返す。これは私の手に負えない。

大体どんな相手にしても、現実に戻してくれるから嬉しい。

2023年5月2日

彼女の誕生日、お祝いしてもらったらお返しする。

私が知りたいのは、親子間の因果関係だ。

私は笑わない。私は笑わない。なぜなら父が笑わないから。

私の父はいつも不満そうな顔だった。

父は嘲笑する。

1人の子供、とびきりのモンスターということ。

私の死ねという想いは変わらないぞ。

私がどこまでもすごいのは、私の父がどこまでも不満足だったからだ。

個人の遺産を子どもに背負わすな。

私がお前をどこまでも論破できるのは、私に布施が入ってきているからだ。

反抗期をこの歳まで引きずるなよぉ。

そんなね、この歳にまでなって自己愛を加速させられてるなんてね、ほんとうにありがたいことだよ。

自己愛のことばかりを考えて生きてられる状態なんてね、この大変な世の中で本当にありがたいことだよ。それに気づけよ。

父は人前で全力でふざけられない人。

鬼に始まり、鬼に終わる。

そこの輪廻から解脱せよ。

アダルトチルドレンは未来の夢や希望を膨らますというよりどちらかというと過去と向き合う人生です。

未だに本気で私が悪かったと思う、いかに謙虚であるかよ。

それ故に私は神に守られる。

親鸞学徒は天地の神々や菩薩に守られる。

圧倒的に足りなかったものは、いつまで経っても足りないものだろう。

25歳までに私は終着をつける。

私の父は私の夢と希望を無に帰させて、迫害をし続けてくる親だ。それが期待で、自己愛だ。概して、何もない者である。

生理現象が地獄行きですか。

自己陶酔と破壊衝動を兼ね備えた、自己愛を加速させた1人の子供。それが私の父親。

十分に機能不全と呼べる。

子どもが不登校、自殺未遂、うつ。

うつを治すのには、よ〜く話を聞いてあげることが優先だ。それをバカにした目で怒りを表すのは、何も分かっていないということだ。

子供に立派になってほしいんだったら、子どもの気持ちを汲み取ってやれ。

この世は地獄である。でもそれを乗り越えなければいけない。

子どもがナメた態度を取るのは、親がナメた態度を子どもにとっているからである。何をナメてるか、人生で大切なことをナメているのである。

何もなかったかのように思ってしまうことが、これ一つアダルトチルドレンの象徴。

おかしいことはおかしいと言っていい。

問題は3年後、お金的な支援を断ち切ると言われた時に、もう大丈夫だと言える強烈な地盤を確保していること。

素で桐生一馬が出来る。

悪も恨みも受け止めた先に、善があるんじゃないのかなあ。喜びという安定。

彼と友達、私はこの手で勝ち取ったのだ。

この実家から離れられた時多分解放された喜びで泣く。

要は子育ては、仏道修行なのだ。

夢と希望を知れたなら、親と子供の因果関係も分かるはずだ。エリクソンは親密な人にしか分からない。

嵐は過ぎ去るものだということは、嵐しか知らないものには響かない。だから嵐は過ぎ去るということを臨時体験させなければならない。

安心しきっている者の一声は、不安定の者の胸を貫く。

親を、母体で見る。

精神的母体を開発しろ。それが努力だ。あるいは努力をそこまで高めろ。

死ねって思うのは、傷ついたからでしょ。

概して言えないが、虫を殺めて全気詰めするのと、虫を殺めても自由があるのとでは後者の方がいい気がする。これは一体何だろう。

優しさが極まれば、あちらの世界の音が聞こえる。

布施が純粋なとこまで高まると喜びが出てくる。

たぶんそこに時間軸は関係ない。

父親の話は本質的に私の耳には一切入らない。

じゃあそういうのをやめてほしいと願うんだったら、子どもの小さいうちから子どもの気持ちに気づいてやれよ。汲み取ってやれや。

あなたの話は一切私の耳には入らない。

母の話でさえも私の耳には入らない。

小さい頃に容量にいっぱいあれしろこれしろと詰め込めすぎだ。

心の自由がなかった。
17歳全気 強迫性障害 19歳仏道修行 
比較競争社会の産物 名誉の成れの果て 人間の深淵

俺は俺である。私は父ではない。

とりあえず忍耐する。

牢獄。

いきなりぶっ放しても分からんだろうな。

プライドを捨てるとはな、こうやるんだ。見てろ。

今は肉体的と精神的の潮流が自分のエリアに来ているが、いずれこの能力も盛者必衰、消えてなくなっていくものである。すごいと思うのは今だから。貫く真理はそれである。

少なくともこの親子間の因果律はねじ曲がっている。

すべては因縁。

先輩というものを知る。

仕事は業務的内容をその業務的内容通りに完遂しながら、他人と心を通わせて行い続けることにある。他人と心を通わせ続けること、これが最も大事なことである。

価値がないと言われたから法になってやった。

仕事で圧倒的に努力した後に言おう、仕事できるために生きてるのではないと。

かっこいいを追いかけたらかっこいいになる日はない。

努力なんて自分だけでやってるのがいいの。

父が70歳になる日を待っている。

技術が1割・友情が9割。

菅原小春さんのダンスは親密性の熱狂の上にある。

要はダンスも全ての熱狂は、親密性というものから来るように思う。

自分のパーソナリティを表現しているー
1人として違いがありそれがいい。
自分の特徴を知るということが、自分を肯定的に表現するための最初のステップ。

パーソナリティを表現するという、親密性の精神が美しい。

だって役場くらいでしょ〜(笑)。彼女 ここの大事な意味

僕はおかしくないよなということを見つけている。

喧嘩など、どちらか一方が怒りで抑え込めば、もう一方は憎しみを溜めているだけだ。それが喧嘩だ。

恨みが少しあっても、それを上回る生産性が何個と、それに向かえる仲間がいれば、その人は夢と希望を手にするだろう。

かすかに法のようなものがあるなと気がついている状態の人が、この世の成功者になっているのではないか。

常に真実と共にある人は信心決定した人。

要は法との密接度により人生が変わるといえないか。

自分のことなしに、人のことを考えようとするんだけど、人のことを考えてるとどうしてもやっぱ自分のことをどうにかしなければいけないことに気づく。

あくまで問題は、自分にあるのだ。

あんまり詰めすぎるなよ。

なにが価値になるか分かんねえ。

父には、反応しないことである。何かを言われても何かをされても、黙ったまま今まで通りだ。

荒野行動、No2くらいがいいな。

どんな成果を身につけても、生が跳ねれば全てなくなる。だが、自分が思ったという行為だけは、持って帰っていけるだろうかー。

本当の人に出会うと、本質まで辿り着くと、たぶんどこまでもあったかい。

第一流の人の奥の中でその実力を支えているのは、たぶんどこまでいってもあったかい種。

好きじゃないものを見たいとは思わないよ。

2023年5月3日

有象無象を超えろ。人間だから一時期は有象無象に反応してしまうこともあるが、だが一度やったら、すぐ見切りをつけてあとはぶち抜け。

私は全てを許します、学校で。
謙虚に控えめに、老子のように。

父親がハッとするという確証がついたときだけ私は怒る。

他人のことああだこうだ言ってても、目の前の彼女の気持ちを汲み取ることはとても難しいことでしょ。

それと同じよ。

受験なんかでね、命を落とす必要ないのよ。

ただこれは本当に命を張り詰めている人にはきかない。そういう人には安心感を臨時体験させなきゃいけない。

一つ一つ受け取って、一つ一つ受け取って、それをずっと続けて、それの総決算をするんだ。

たとえ全環境が揃わなくても、自分のエリアでやれるだけのことを尽くす、その方が意外と全環境以上の力が発揮されたりするんだね。そしてそういうことを続けていくうちに、全環境の方から近づいてきてくれるんだ。要は常に、努力を尽くすことなのだよ。

たとえまた苦難がやってこようと、それを乗り越えていく。乗り越えていくことに喜びがある。なぜなら忍耐は全ての道を通すから。

じゃあさ、じゃあさ、その欲を全て無くして行った先に、要は抑えつけた先に、残るのは何?たぶん、"うつ"しか待ってないと思うよ。

答え合わせができる日がくるよ、きっと。

私のこの反抗期は、父と接していてどうしても感じさせられるもので話しているから確かなもの。

お金があることによって、精神的余裕が保たれる。彼女

わしも一般人ですからな、そんな見栄えは整えられませんわ。

健全な肌の状態で、友達に会えたことなど、ない。

肌荒れも治り、歯もホワイトニングし、髪型を整え、スポーツに出向き、肉体も整え、大学の授業に向かう。

高揚感に似た心の浮き立ちはよくないものだな。おかげで捻挫した。とりわけ"成果"はよくない。たぶん一つもよくない。

友達との繋がりの中で野球をする。因果律の中で野球をする。チーム、とりわけ価値を感じで野球をする。

着々と力を蓄えておく。まるで桜のように。

1週間、桜を見れたよ。

ずれた対処法だが、成果を打ち切ったことによる安定。要は人間の深淵を打ち切って貫いた結果。

地獄と極楽を知っている人が本当の先生。

人間の深淵を知りながら、なおかつ本当の夢と希望も知っている人が本当の先生。

成果は一つもよくない。

実学をせよ。

副交感神経で努力の種は蒔ける。

一流の人がみんな口を揃えて言う。
 "僕にはこれしかないんで"と。

人生の過酷さと人生の訓練を思えば、慢心はしてられないのだ。ここにつよく戒めたい。

なぜ俺は生きているのだ。

10年20年かけて、うつを克服するのも立派な行為。

ちゃんとした身体づくりをしたいなら、ちゃんとした生活をしたいなら、ちゃんと料理しないとダメだ。

一番助けてほしいときに、誰もいてくれはしなかった。

誰も助けてはくれないよ。

こんなに苦しんだんだから、もうやめてくれって思っても、さらなる苦しみがやってくることって人生にはあるんだよ。しょうがないんだよ。

肌荒れが8年続いている。

まるで燃やせないゴミを無理やり燃やしたような日々を過ごした。

いつだって共に、不全感があった。(劣等、罪悪)

李徴にもその親がいるわけで。

俺が死ねと思うのは、どこまでも苦しみを与えてくるこの運命に対してだ。

運命を嫌い、運命を殺す。

誰にも手を出しやしないよ。今までも、これからも。

このまま2年といこうか。

その次は3年。

その次は4年だ。

恨みを抱えながらも、それを表に出さない、これも忍耐

俺の努力が物語る。

無意識的に父性で返す。

本当のときは遠慮はしない。

世界平和とか、実のところどうでもいいんですよね。だって私は最初から平和じゃなかったから。

皮膚科に感動する予感がするんだ。
え、そんなことで?

皮膚科にも歯科にも眼科にも感動する予感がするんだ。

2023年5月4日

父から期待に関してごめんねと言われたことは一瞬の一度くらいしかない。

宝を害した。お前の実績はそれだ。

子どもの胸の内に秘める悲しみに、ちっとも一寸とも気づかない親がいる。概してそれは親ではない。そういうものを"子供"と言う。

要は子供に育てられたんですよ。
それが現代です。

エリクソンは精神年齢を開発する。

父親はエネルギーパンパイアです。

私の父親は私の前ではいっつも怒っている。

早よ死ねと思う。

萎縮してる脳でこれだけやってんだ。
脳が正常に機能しなくなること2回。

いつか必ず時と運命が君に味方する日がくる。

親がよくなってもらいたいと思って叱っているのなら、あんなに心が凍りつくような気持ちにはならない。

私のことを思ってくれているのだとしたら、私は精神病なんかにはならない。なぜなら精神病というのは思ってもらえなかったことの蓄積であるから。

概して親のお前のためを思って言っているのだということは、すべて"こうあれ"というお前の自己愛なのである。

父のこうで、私のこうじゃない。

死ねばいいと思う。
早よ死ねと。

常に身体が緊張していた。常に肩が凝っていた。

心の自由がなかった。

不幸の代名詞みたいな人生。

「父親を殺そうかと思ったけど、その時一瞬で父を殺そうとすれば父は必ず僕を殺しにくるだろうということが分かりました。」これを言ったら佐々木正美先生は泣いて悲しんでくれるということが分かった。

ここでこいつを殺して人生台無しにするか、あと10ヶ月耐えて70年の自由を手にするか。

概して何もない者。

こんなやつのために私の尊い人生を無駄にする気はさらさらなかった。

彼女と同じになれた。

父親にエリクソンを伝える。25年後。

父は"一般人"だ。

なぜかってね、"俺はよくやっている"とガンと思い込んでいるから。

父は世代性に生きれない。

阿弥陀仏の真似をする。

父親はアルコール中毒ではないが、自己中毒である。

友が現実に戻してくれる。

諦観の先に、親の過剰不足が浮き上がってきた。

こんなに辛いのかと、びっくりするだろう。

自立力がちっともない自分だった。それが今、色々な手続きを通して、"やれる"ということを知れるかもしれないと思い始めている。要は自分にワクワクする、こんな夢と希望はかつてない。

手続きを通して、やれるを証明する。

え、こんなことで?というくらいに因を突き詰めていく

節制と有り難みは相関関係にあり、節制を生むのは自律心であり、自律心を生むのは基本的信頼である。

不登校、躁鬱、強迫性障害、うつ病。

私は罪悪を植え付けられた者に悲哀を感じてしまうというこの謎を解き明かしたい。

母には無理。父にはもっと無理。
なぜなら父親が母親を支えてあげる役割だから。

母が「何を考えているんだろうね」と父のことを言う。

どういう夫婦関係なのだ。

基本的信頼 自律性 積極性 勤勉性 アイデンティティ 親密性 世代性 統合

六度万行から最も遠く、エリクソンから最も遠い。だけどその最も遠いのを、もっとも近くまで近づける最上の法も、六度万行でありエリクソンとも言える。

究極の二択。

なんでこんなに現実が苦しいのか分かった、基本的信頼が乏しいからだ。

みんな死ぬにはまだ早い。

友達との繋がりの中で野球をする。そうすれば元気になる。

自分は夢を語るとか、そういうの以前にいるのよ。父さん。

一年半続いているというのも、本当の人間関係が親子関係ですよということに合致する。

もう一度この人生は無理ですね。

眠りに眠った秘めに秘めた記憶が無尽蔵にある。

わしに必要なのは安心感。

わしの成果は不安心の詰め。

あまりにも辛い現実を、いつまでも恨む気持ちも、抱えて生きてるよ。

機能不全家族。

他人の問題をとやかく言うつもりはない、自分のことで手いっぱいだもん。

誰がどうやっても、辛かったの。これは紛れもない事実なんだ。

考えてみれば、私の父と母が人生について語り合うなんてことを一度も見たことないよな。

因果律が捻じ曲がっているよ。

これはもう、私の手には負えない。

嬉しかったです。何が嬉しかったかって、今日のこの私の成果を見て、親がもう「この子は私のコントロール外にいる」と実感してくれることが何よりも嬉しかったです。

私は闇深です。

一生の不自由か、70年の自由か。

いくら身体も身なりも自分の思うようにコントロールしても、その人の思想の自由だけは誰にも妨げられないのよ。

子どもが"思う"ということ。これは誰にも邪魔できない。

機能不全の私ができたんだ、みんなにもできるさ。

このメモは20年先の未来を予言しながら、それをしっかり胸に秘めるためのもの。

私が誰に対しても平等に接するのはね、小学生時代から病院に至るまで、混沌の中で学んだ。

彼が活気で話してくれるその親密さが、私はずっとほしかった未来なのだ。あまりにもオープンすぎて、そのオープンさに最初は困惑した。

彼女のときもそうだった。

愛を知らない私に、愛を形から知らせてくれた。

まったくもって、人の親密度合が分からない。
人の顕微鏡階位がわからない。

彼女からプロですねって言われたことの意味はデカい。

親のことは私はもう慣れているから何度も書くのだが、その他のことに関しては、書かない方がいいこともある。例えば、彼女に対する導きなどとか。

だってなぜなら、世界は深い心の通い合いだからだ。
上下ではないのだよ。

父親がいることによって、進歩発展が阻害されていっている。

ものごとは因果の道理、父に味方はいないよ。

私には大勢の味方がいる。

それを止めたいんだよね、父は。

親鸞聖人の全気を見る。

私が評価されるのは韜晦。
でも韜晦してもいいという因果律。故に俗諦門の王。

未来に託して書いておくが、彼女が言う「何回言ってもはて?って感じだったね」これの意味をしっかり受け取れ。

種々の問題が起きるのは、自分が未熟だからである。

淡々と大切なことがわかっている人、これが優しさ。

だって全気詰めしなきゃ、許してくれないもん。

そもそも人間が、全気修行自責の書を書いてる時点で何かおかしいのだ。

彼の部分を受け継ぐ。

自分のことばかり話したがる。これではまるで、父と同じではないか。これじゃ語れん、これじゃ生きてけん。

親が、本気でやらないと許してくれなかった。

凄い勢いで積み重なっているよ。

そりゃあ努力できるよ〜 努力なんて簡単だよ〜

このメモは一言でいえば狂気である。

自分が自殺するくらい苦しいから、他人が自殺するのではないかと思う。

自立機能が失われること、これが全気だ。

私はちょっと歪曲しすぎているのではないか?

君ならできる。必ず。必ずだ。

トラウマを抱えながら生きている。だから私は頑張っているし、本当のことを思ってもいいんだよ。

やっぱり人に大切なのは優しさ。

慈悲を持っておられるのが仏様。

このメモは全気で、トラウマで、悲哀である。

不登校、躁鬱病、強迫性障害、鬱病、離人症。

でも自分が病気なんだって自覚がない。

本当にかわいそうな子はね、自分のことをかわいそうだって思えない子のことなの。

私が布施を実践していくことによって、自明的に父親の過ちが浮き彫りになってくることと思う。

武田友紀さん、佐々木正美さん。

役割を認識する。思ってもいい、思わなくていい、を知る。

私が心が安定した暁には、必ずこの深い宝石の心をメモに取って、万人の対処法にするぞ。

努力は簡単。

救われた暁には、必ず救う人も。

まだ生きていていいなら、大業でもって、人生を度すべきを伝えよう。

霊夢。

父をぶん殴ってもいいんだよ。それを求めてた。

抽象的概念と語彙と自分の説明はもうどうにあがいても身についたもの。

佐々木正美さんに自利利他を道理したものとす。

誰よりもつよく、やさしく、生きたね。

親鸞学徒は天地の神々や菩薩に守られる。

ゆっくり生きていてもいいんだ、と知ること。

父さんはね、息子に対する期待がつよすぎ。これはよくないことですよ。

彼女私の気持ちに全然気づいてくれないなって思ってない?

↑これは相当疲れたときに出るやつ

なるべくココヨワリョータさん、佐々木正美先生になるように話してるつもりだけれど。

秘めて眠るその記憶が、蘇って納得できるときまでは、生きてみてもいい。

要は「基本的にどんなことも思っていいんだよ」か
      「そんなこと思ったらダメです!」か、の違いなのだと思う。

2年後が楽しみだな。

みんな軽い気持ちで考えすぎなんだよ。

今、辛いです。

その差異って無機質なものではないだろうか。なんだけど、人間の私たちが知ると感動するもの。それが法か。

仕事をすることでどれだけ心を保てているか。

子どもの優越感と劣等感を刺激してはいけない。

彼は事故の結果なのである。

世間のひまに見取られて、世間の結果に追われ酔うのも、また一つの経験である。

夢と希望を持って、心が愉快にはずむときがある。

人生が整ってきた。22歳 24歳

コーヒーやめる。おいしくないし。

私の哲学は役には立たない。仏教の話もするひまがない。だけど私は、いつかこれが役に立つときがくるんじゃないかって、思っているんだ。

安定を知らない私に、安定が入る。

強烈な恨みも持ってるし、本当の夢と希望も持ってるんだ。

苦渋を感じるということがおかしいよね。

生きれない、ということよ。それが未発達の惨禍。

深く考えすぎるのもよくない。気がつくとこちらがやられている。

心は軽く、いつだって愉快でなければならない。

高校生という社会的役割に守られている。

俺はこいつよりやらねば、と思う時はつかれている。

誰〜にも気づかれないで、誰〜にも見えないとこで、一番大事な人が消え入るように動いてる。

有名など、カメラと環境があるかどうかの違いである。

助かる要素は、現実にたくさんある。

仏教を聞かせてもらいながら、この世の中で生きていく岐路についている。私はどうしていったらいいのだろう。

ああヤダヤダ、有名なんて。

それ全部、思ってもいいことだよ。受け入れられた先にしか、喜びはない。

ここまでいったら、ペースダウン。

一番助けてほしいときに、誰もいてくれはしなかった。

心の奥底に自己陶酔と破壊衝動を秘めた、1人の幼稚な子供が私の父親。

信心決定する。必ず。

私は必ず幸せな生活を送るぞ。菩提の決心。

個人経営でやっていく。メディアには出ない。いつでも帰ってこれる実家を立た住む。

私はほどほどのラインで手をとめるのだ。

苦しみは避けられなかったし、なんなら死んでいてもおかしくはなかった。

私はなぜ生きた。私はなぜ生きている。

苦渋と苦患を味わったのだから、もう自分に優しくしていい。自分の欲のために生きていい。それで自利利他が分かる。だから、分からない。人と逆だから。

自分がデッカい何か大きなものに守られている安心感がなければ、世の現実に飛び出していくことはできないだろう。

奨学金もやりたくないならやらなくてよい。

私は何の価値にもならない、人からの見られ方や演技、演舞や名誉を8年間追い続けた者です。

人間の深淵を見る。

私は比較競争社会の産物。

接客業、いいなと思う。心を通わせる。人とうまくやる。

そりゃあ話はいくらでも出てくるよ、8年の成果をかけたし、脳の限界まで動画を見漁ったし。

そう、私はずっと「周りはやさしくしてくれなかった」という事実がほしかった。これだけ。でももうこれを認識できた今、事は転じた。「やさしくしてくれなかった」「恨みを恨みとしてくれなかった」「反抗をさせてもらえなかった」これが分かった今、私は一歩大人となる。その踏み出した一歩は、この世界と宇宙に光り輝き、全人類の道標となるだろう。

これもただメモだよ〜

私が私の人生を守るために、死ねと思う事は大切である

2年後が楽しみだな。

親から離脱するために野球をした。

地獄に堕ちても悔いはない。どうせ最初から地獄に堕ちる定めだ。ならば私は私を認めてやる。そうすることで不思議と私の生きる業界が変わる。

自分が撒いてる種が、どれも間違いだと言われる気持ちが分かるか。

紙700枚 メモ1年半 

「そうさ、私はすごいのさ」悲しそうな顔で言う。

非繊細の権化みたいなやつだからな...。

イケメンイケメンとことさらに言われるのは、後にその人の優越感を刺激することとなる。

こうなったら、何をやっても駄目だ。

2023年5月5日

なぜこんなに地獄を感じて生きねばならないのだ。
すべてが自殺級だ。

相対的に苦しみを感じやすいほう。

未来が詰んでて、それをなんとか変えたくて。

親がクソであればクソであるほど、私の憧れた人と同じになれる。

普通の人は何かを頑張ろうとした時に、頑張るスイッチの前にいくつもの襖やドアや壁があって、それをなんとかくぐり抜けて頑張るスイッチを押すんだけど、私の場合は頑張るスイッチのとこに何もないんだよね。

苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、苦しい。もう飽きたぜ‼︎

過去8年間は夢と希望がなかった。8年間楽しいと感じたことがなかった。もし努力が楽しいと思うことなんなら、私は努力ではない何かを、ずっと撒き続けていた。

楽しいと思ったことが、13歳になったあたりからなくなってしまった。

20歳で老年期。なんとまあ、こんなに悲しいことがあるだろうか。

苦しみまぎれの友達との喜びが、いつか本当の喜びとなりますように。

そうだよな、こんなことを言ってたってどうにもならないよな。

もうしょうがないねん。私が私の業で生まれたからには。と、分かった時が本当の幸せになった時かね。

自分勝手に生きていい。それくらいでちょうどいい。

過去は変えられない。他人も変えられない。ならせめて、自分のことだけはしっかりやりたい。

生きてられなかったかもしれないことも、また事実。

世界にはこんなに楽しいものがあるじゃないか。

生きる意味がわかっていなくても、苦痛が少ない状態はある。少なくとも私よりはみんな平和な人が多い。

父と話すと、私が私として生きれないんだ。胸が詰まる。それがとてもとても嫌だ。

どうしても親で嫌な思いになったら、心の中で南無阿弥陀仏を何度も唱えよ。南無阿弥陀仏を大学に出てまた聴聞させていただくまで、唱え続けるのだ。

なんでこのメモが始まったのかも、分かっていない。

父に関して何も言わず、何も思わず。

このメモを何も思わず、ケロッとしていることが一番。

怖い、暗い、うつ病。孤独、現実感消失。

情緒的に安定してきまして。

動画を見て成果を追うんじゃなくて、自分だけの、本当に自分のための動画を見てもいい。

家にいる時くらい、自分のために過ごしていい。

考えてしまうのはしょうがないけど、できるだけ考えないようにすること。どっちにしろやってくる未来なのだから。

攻撃心で自分を改める時もあっても、それしか知らない人にはしょうがないことだよね。

ひどいうつのときは、デジャブが何度も起こる。

因果関係が分かりませんわ。

あまり考えないようにしよう。

未来への絶望、親への恨み、出かけなきゃいけない予定、コーヒーの離脱症状、薬の副作用

このメモが役に立った試しはない。

私がかつてから頭にあるイメージは、オタクで1位と言う立場で、立場もないと言っても過言ではないのだけど、ずっと苦しみを抱えながら、小さく小さく生きてきて、それで自分の問題の克服がしたくて、それの専門になるような立場から、いつだって苦しみの元に降りていける人のことだと思ってるんだ。世の成果とか名誉とかとはかけ離れたところにいるけれど、それでもちゃんと生きてんだっていうポジションの人のことなんだ。

弱い自分を認めて、竹のようにしなやかに生きよ。

学習能力がないなりにも、しっかり進んでいるんだよ。

仏様の慈悲に包まれる。

頭の中で一つも成果を追わなくていい。要は何もしない

本当に賢い人は、最初から諦めの要素が多いんだろうな。

賢い人は弱い自分を受け入れているんだと思う。

さて次はどんな病理がやってくる?
大変な時期が来て、それを乗り越え乗り越え生きていく。

武田友紀さんは好きだけど、泉谷閑示さんはなんか深淵すぎてあまり好きじゃない。

明日が来るのが怖くて、怖くて怖くて仕方ないときもある。

いくらどんなに今が幸せになっても、その時は死んでしまうかもしれないくらい辛かったっていうことは揺るぎない事実じゃないですか。

誰も死にたくて死んでないな。

1人で考え続けていくと危ない。

君がうつになったからといって、君の想った夢と希望が全部嘘だったということにはならないよ。

どんなに恥や苦しみに追い詰められていたとしても、そのわずかほんの一瞬に助かる縁手がかりがありやしないか。

僕は彼女と彼女ではない女の子が、種々様々に親しき中に礼儀ありで、素直な心にのっとって、お互い語り合うと言うのが幸せな世界だと思うのよね。

たとえ自分の分身のような彼女に会っても、それに引きずられないという生き方が、本当の愛で多様性で親密性だと思う。

さすがに昨日うつだった身、今日も少しは引きずっている。

たとえ地獄に堕ちる定めだとしても、生まれ落ちた人生の中で、できるだけのことをやり、がんばれるだけのことをがんばった。自分がやれる限り、やさしく、つよく、生き抜いた。

じぶんががんばっていなかったときなんて、ない。

2023年5月6日

なんせ歯車の部品が多く、噛み合うのに時間がかかる。しかしそれはどれもが高級品。

解決する因は、プレッシャーではないのだ。

私のうつ病はいつだって予想外。

「まさかこんな苦しみが襲うなんて」そのように数十回思っていることに気づいた。

弱い自分で、強く生きる。

さてこの一週間はどうなりますかな。

自殺する人は、最後に自分を傷つける、という悲哀の元に落ちていくだろう。

早く寝よう。

乗り越えられてよかった。

父親と買い物が嫌で自殺しそうになった。

恨みはよくないな。恨みはよくないな。

恨みに思っちゃうこともきっとこれからだってあるだろうが、できるだけ考えないようにはしたい。

1人で考えすぎるのはよくない。

彼女と話すことによって助かっている。

私は生きた。なぜ生きた。あんなに、苦しかったのに。

私は死ぬ気はさらさらないぞ。死ぬくらい苦しくなってしまう弱い自分だが。弱い自分であることを認めよう。弱い自分であることを認めて、その弱い自分で竹のようにしなやかに生きよう。

私の本当の夢と希望という慈悲をこのメモに詰めておくのだ。

悲しい話をしているはずなのに、それを何も言わず受け入れてくれる彼女がいる。

母と父が悲しむぞ。いや、母と父が悲しんでくれなかったのだ。

夢と希望を胸に抱いて、情緒的に安定しながら、愉快な心で毎日を生きる日々が、必ず近いはずなんだ。

辛ければ、全力で逃げるのだ。
本当に辛いならば、全力で逃げて逃げて、逃げに逃げて生き延びれ。そうすりゃあ暖かな日差しをもう一度この目にすることができるだろう。

必要なことだけやっていればいい。

頑張りすぎた人には、頑張って解決する、しか道が見えなくなってしまいがちである。

連休は怖い。

恐怖政治は悲劇を生む。

2回目のうつになった時は、1回目のうつの時に比べてその時の状況、立場、考え方も違ったものだったでしょ。それに今回は躁にはならなかった。だからちゃんと進んでいるんだよ。うつになったからといって、全てが間違っていたというわけではない。

できないと思ったら、できない。
できると思ったら、できる。

死ぬにはまだまだ早い。

ちゃんと君の蒔いた種はすごいよ。ちゃんとすごい。因果の道理だよ。

死のうと思ってないだけ丸儲けよ。

気を撒き続けると、どっかの部分で負債になる。

辛くなったら、周りの人を頼れ。

うつの苦しみは、まったく解決策皆無に見えること。
自立機能が失われること。

案外社会の方が楽なのかもしれないね。

"努力の頭"に取り憑かれるとき、負債になってると感ぜよ。

本当に重要なことを一つ、やる。

世界を追うのは、自分を無視しているから。

自殺するくらいだったことはしっかり反省しなければいけないことである。

ここまでにしておこう、が大事。

私は初めのうちに、人生の遺産を経験できたのかもしれない。

世界は広いというが、それは欲の広さではないのか?

昨日のうつは、気が強いからうつになった部分もある。

誰にも見られず認められない、当たり前のこと。

私は成果が出てはいけない人間か。褒められ頂点に登ったら、調子に乗って何をしでかすか分からない。

20歳、この尊い人生を投げ出すわけにはいかない。

さあ次はどんな病理が来るのかな。

苦及を何度も乗り越えていくぞ。

平和で穏やかな日々のために。

1人で過ごしたいと思ってもいい。

一日単位でなら、乗り切れそうだ。

やばいな、これをごまかすと踊れない。

私は欲目じゃないとこを説いてるから、それは変わらない価値なんだ。

自分のアイデンティティは何かといつも考える。

多分 弱く・価値にならず・人目につかないこれが私のアイデンティティ。

こんなことになるなら、人は死ぬ、ということを知らない方がよかった。

自分が何もできない者と知ったならば、何かができる日は近いはずだ。

このメモは、役に立たない。

"会食も戦"なのが私のホームなんね。

親鸞聖人の全気さは、"どこまでも恵まれなかった経験"が功を奏しているのではないだろうか。

怒ることがかっこいいなんていう集団は間違っている。

2023年5月7日

縁に恵まれる。縁に恵まれる時は必ず来る。必ずだ。

僕はずっと恵まれなくて、報われなくて、劣等感に苛まれて生きていたんだけど、思春期の8年間ずっと成果を追い続けてきたんだよね。報われないながらも、成果というかその「才能」といえるようなものをずっと磨いてきたつもりではあるんだ。で、何をどうやって才能を磨くのかということになるんだけど、それは世に出てる一流の人と同じ結果を出そうとする、真似る、ということなんだよね。簡単に言うと、世の成果を真似る。ということなんだ。だけどね、世の一流の成功っていうのはそこにものすごい命と熱量が掛けられていてね、それを真似しようと思ったら自分も命をかけなくてはいけないんだ。で、僕は当時その「成果を追わなくては自分を保てない」という性格を拗らせている成長状態にいたから、ずっと成果を追い続けたんだ。まあそりゃ大変でね。今まで自殺するくらいに苦しいなって思うことが数十回はあった。なんでこんなに苦しいんだろうと。なんでわしはこんなに努力しているのに、こんなにも苦痛なんだろうかと。これが努力なんだとしたら、人生は苦しむためにあるようなものではないかと、よく感じていたんだよね。そこには親の期待だったり、世間からの重圧だったり、自分への不承認だったりが重なってて、その時の僕にはそう生きるしかなかったんだ。ただ今になって思うのはね、本当に危ないやり方だったなってことだね。だって死んでしまったら無になっちゃうでしょ。今までやっていた知覚・感覚・努力志向なんかがなくなるわけだから。そこまで頑張っていたら神さまが見捨てないよと言うかもしれないけど、神様なんて見てないんだなっていうところまで追い詰められる苦しみってあるんだよね。だから、本当にうつって危ないんだよ。死の危険があるからね。だけどこうして今はメモを書けてる。僕はどうしてか、この世に生き留まった。だからね、これからもその成果は続けていきながら、一方では心の安置を自分の軸に持って(このメモを書けてるこの感覚だね)、この生が尽き終える時まで、周りに幸せを与えて生きていきたいなと思っているのよね。

劣等感の先には悲哀しか待ってない。それを心のどこかで感じとっていなかったか。あるいはその破壊性を十分に経験してみることによって、こんなんじゃダメだと知れただろうか。

打ちひしがれながら、苦しみの先に、ずーっと長い間待っていた安定が出た。

あのうつが襲えば、どんな聖人君子だって泣き喚いて逃げ出したくなるだろう。

一年半、強大な人生のアイデンティティを築く源点になるには十分だ。

安定の要素を知れるという、この身の上に起きた僥倖。

年配の方の熱さや志・厚意に、母性性を感じて生きているのだと思う。

大きな夢や志を成し遂げた人には、母性性が宿るのでは

メモを見て、ああまた頑張ろう。と思えるか。

整っているとは素晴らしい。

私はストレスを激しく嫌う。最悪の日を激しく嫌う。

やってくる怒涛の仕事に、耐えられなくなったのがキャパオーバー。

一年以上、きつかった。

気づいている、じゃ解決しないことを知った。
胸が救われない限りは。

(仮定)難行道は生の否定。方便

宇宙とともに、誰よりも心に豊かに生きる。

頑張った、は1頑張った。2頑張った、は2頑張った。

残念ながら、ありがたいことに、徹底的真面目しかない

自分が「つよい人」と思っているからうつ病になる。

かっこいいセリフや運命のために生きるつもりはない。
現実にフィクションは存在しない。

不安定と安定は相容れない。

頑張ると休むは相容れないのと同じさ。

哲学の完成系は絶対矛盾である。だから完成していないように見えるのが一番正しい。しかしそれは完成されている。そのように私は聞く。

人生は長いのだ、一定期間の賞賛が何になるというのか。私に何を残すというのか。

不当に自己を扱い続けるのはよくないことだ。
周りが悲しむ。だが、周りは悲しんでくれなかっただろ?

心がやばい状態になると、見る縁全てにうつを感じるんだよね。たぶん気が撒いちゃう、だけどその水源は枯渇している、というような状態だと思う。

どの場面においても、余裕を持つということが勝ちなのさ。

2023年5月8日

報われないくらいがちょうどいい。それの方が現実にあってる。それくらいがありがたみを感じれていい。人をバカにしない。

いつだって真剣。

つまらないことに怒り、つまらないことに不平不満を言い、つまらないことで諍いを起こす。つまらない人間関係の中で、つまらない人生を過ごし、つまらないやつが人を見下し、つまらないやつが人を扱扱う。

1度はその不満を、自分に向けてみたらどうだ?

成功すること、これが人生ではない。
いつでも帰ってこれること、これが人生である。

5割の人が褒め、5割の人が謗る、それが真の賢者だと私は聞く。しかし私は8割や9割の人に褒められる、認められた方がいいのでは?いつだって帰って来れる場所もあるしと思っていた。賞賛されるなら賞賛されるだけされた方がいいと。しかし、知らされてきたのは、5割の人が褒め、5割の人が謗る人は、常に"法"といういつでも帰ってこれる場所が心に本殿としてあるんだと知った。そういう人からしてみれば、世の人の褒めるや謗るなどは"どうでもいい"ということなのだとも知らされた。

私の好きなことって、私が生まれた時から好きなことで、打ちひしがれた先にとか後天的にできたものは、好きとは言えない。

こんな僕だが、ここまで一生懸命生きた。

整っていることが一番の因と説く。

腰引く反復横跳びがウケたのがよかった。

彼女にバスケうまいねと褒められたのがシンプルに嬉しかった。好きや親密性を持っている彼女に言われたことが嬉しかった。

8割方の力で、大丈夫大丈夫、おしい!ドンマイスポーツをできたことがよかった。

フードデザインの母の日カードを書くのを頑張った。

彼とぶんちんの話をしてウケたのがよかった。

笑いは幸せな人が出す香りだから。

いいやつはいない。だって人間だから。ただ人間の底なし沼を体験して、それを堪え抜いて自分に打ち勝っている人がいるのだとすればそれは本当のいい人だと思う。

2023年5月9日

たとえお金がふえても、この生活は変わらないと思うんだ。お金がふえたとこで生活は生活の延長線上にしかないから、結局大事なのは幼少の頃から培ったもの。もし自分が何もかもが打って変わるような生活を目指しているんだったら、その思いは単なる欲望に過ぎないのかもしれない。もしそのように自分の"本来"からかけ離れていくようなことがあれば、それは気の部分で必ず体にしっぺ返しが来るし、人間としての本当の深みに辿り着くことがなくなってしまう。私はそのように思う。

ここで休め、ここで休め。そこに休んで、その上さらに休んでいけー。

人の本来が活かされる未来がゴール。

到底辿り着けないモノを見させられるのもいい経験。

なんせ部品の数が多くて創るのにとっても時間がかかる。だけどその部品たちはどれをとっても高級品。

鬼の努力をやり抜いて、周りに全くの敵意なし。

謙虚に、素直に、控えめに。努力と情熱で裏打ちする。

この尊い人生を投げ出すわけにはいかないんだ。
尊い人生だから、やめるのは愚かなことだ。

だが尊い人生と全く思えない人たちもいる。

不完全燃気でしか過ごせない日々もあるだろう。

自分を攻めることでしか改善できない日もあるだろう。

名誉の果てに取りつかれることもあるだろう。

そこを抜け出して、本当の幸せを手にする。

どんな仕事を任されても、俺は生きていていいんだってなるから嬉しい。

仕事がミスるのが怖くて、うつになる人間だった。今もそう。

あれはトラウマだったんだなって。
そういうトラウマが何個もあるんだなってこと。

寝つきにつくときに、ゆっくりしてなければいけない。

慈悲蒔けば、愁苦の悩み崩れ去る。
手がどうだ、目がどうだ、歯がどうだ、肌がどうだ、イボがどうだ、体型がどうだ、視力がどうだ。

きっと改善する時が来る。

精神的遺産はいくつになっても磨くことができる。

中学時代は顔が歪んでいる。

他人に迷惑をかけないをマスターしたら、いいハングリーさになる。

他人に迷惑をかけるハングリーは劣等感である。

ある時"予感"はするのだけれど、その予感は、この手によって変えていくことができる。そしてそうして手に入れた未来もいい未来だと思う。

誤解は必ず生まれる。

学校行く着く前、行った途中は息もできない感じだったが、終わったらふぅ〜〜と一息ついた。

縁に恵まれるだけでその前が嘘みたいに恵まれることはある。

一番やりづらいところが、道理・真理。

怒りで頭に血がのぼったら、言ってはいけないことを言ってしまうという、そういうものを持っている、という状態が悲しい。

頭に違和感があればそれは違うよ。

そういう時は忘れます。

ずっと成果しかなかったのが、やらないっていうことが増えた。

すごい成果を出せることが、そんなに誇れることだろうか。親密性を持っている人からしたら、そこは論点にならないのではないだろうか。

人より強い名誉欲は、著しく成り下がる危険性を秘める

私に苦しみを与えたように思う人が、悪意を持っていたことは事実。

2023年5月10日

今日は革靴だぞ。革靴忘れずに。

アイデンティティとアンデンティティ拡散は相容れない

安定と不安定は相容れない。

完全と不完全は相容れない。

アイデンティティは完成で、拡散は不完全。

自利利他と我利我利。

仏と鬼。

二種深信。

いくつになっても技は磨きたい。

地球を頭の上に乗せて、クルクルと遊びたい。

私には宇宙があるからいいかなって。

楽しくて楽しくて仕方がない。私にも見つけられるかな

子どもが自立できるように支援してあげること。そのためには親と子の心の繋がりがなくちゃいけない。親密性なくしては、子どもは自立し得ない。

親の妙なプライドは、子どもの人生を壊す。

仕事を頑張っている、これでいい親には成り得ない。

子どもはよく感じないというけど、私はハッキリと、私自身が顔も性格も父親に似てきたなと感じる。

子どもは本質的に親の言うことは聞かないが親のやることは真似て育つ。

紙500枚もメモ一年半も全部内面のことだな。

見た目の醜さとその人の行為の素晴らしさでは、行為が勝つように知らされる。

誰も認めてはくれないし、誰も褒めてはくれない、今日この頃だ。

父は恥の意識がつよく、体裁の意識がつよい。

全スポーツも、感じなくていいよ。

子どもと親の過ごす時間は違う。それを引っ張ろうと操作するから子どもは事故る。

私が努力を語るか。気弱で、繊細な、私が。

安藤忠雄さんを尊敬している。

今Googleを見れてることが、びっくりする。

苦しすぎて自殺しようかという事が数十回あったし、明日が来るのが怖くて眠れない夜が数百回あった。

私は不完全燃焼自己不全感の出身だ。何をも創れぬ者の出身だ。

早めにこの世(上を目指す風潮、志向)という煩悩まみれのところから降りてしまうことだ。

常に余裕を持っていけ。

私は守られている。

しっかりと育った子には世界が夢と希望に満ちているのだと思う。

ピシッピシッとやる父性原理が嫌いなんだ。所詮人に厳しいことを押しつけたい子供が。

夢に目を輝かせて、生きてられる未来もあるんだなって

わたしはとても禁欲的に生きていた。

他人と差をつけたいんだったら、自分の持っているもので切り詰めなければならない。

自分の可能性を拡げておくこと。

肌荒れが一週間続き、肌荒れが、一週間続いている。

時代の不遇を努力で補う。
不遇を努力で補う。その努力で周りに幸せを与える。
人間としての深み、本当の夢と希望。

嘘でもいいから布施はしといた方がいい。

要は自分のアイデンティティや能力ができたら、それを余すことなく他人に伝えることだ。

誰に向かって言ってると思ってんだ

幸せにする光

私はあんな小説が生み出されるのが信じられない。

子育てには優しく包みあげる部分と、熱狂、狂宴的な部分があると。

私がこの世の終わりのような怒り方をするのも、母親からかけられた熱狂・狂気的な部分だったと後に気づいた

鬼ですね。鬼です。

子どもにやることじゃない。

まあでも人の3倍のエネルギーで生きるってそうだと思いますよ。

まだ、出会う前の君へ。

だって僕の努力は、諸々を過ぎてのものだもん。

私が今努力で苦しむのは、この先の未来で遥かなる楽を得るため。

これ以上は、まずい。

道はいくつもあるぞ。

色んな授業あったけど、そのどれをとっても面白かった

自己不全だったけど、これから私は幸せになる。

なんで私は助かったのか、何が私を助けたのか、まだいまいち分かっていない。それゆえエリクソンも理解したとは言えない。だからまだ死ねない。

友達とすぐに繋がれること、これを育ちがいいと言う。

何かが出来るとか、習い事やってたとか、そんなのは違う。

最初から過去と向き合う人生。

気合で勝負する気はない。

まあ色々あるんだな人には。だけどそこにあたたかみもある。

机が散らばっていたのを、恐い不満で押さえ付けられたのだ。それから私は見せかけでできるようになった。

過去の鬼のような親には、死ねばいいと正直に思います

頑張って野球のリハビリをしたところから巻き起こる波瀾万丈を語っていき続ければ、世界を泣かせられるかな。

"誰も助けてはくれません。"涙目で言う。

私は何もいらないんだ。この日がずっと続けばいい。
この日がちょびっと変わる、それくらいの変化でいい。

大きい夢は大きなストレス。

人は2成果で、死ぬ。

2023年5月11日

悲しみの量が比じゃない。

どんな動画も見てて喜べない、心のどこかでつまらないのならそれは成果が強すぎると言うこと。

恵まれて恵まれてそれでも至って慎重に行け。

休んで、1人で。そんな日々を続けててもいいよ。みんな生きるのって大変だから。

問題にぶつかったとき、その問題に真正面から向き合って悩まないと、いずれ同じ問題で悩むことになる。

有っても無くても同じく然り。

じゃあその圧倒的才能を披露して、人は幸せになれるだろうか。

私の能力以上に、私は私を生きられた。

今度生まれたら、今みたいに努力できる人間に生まれられるかも分からない。

満面の笑みで笑えない人はかっこわるい。

私はこれが好きだって言える幸せ。

私はもともと努力できる人間じゃないし。

子育てに正当な怒りはない。怒りに捉われるのだとしたら、それはあなたがまだ整理がついてないのだ。

無理していたんだし、忘れよう。

整理がついていない状況で、抱えきれない仕事が舞い込み、自己不全感がただただ続く。キャパオーバー。

先生がどこにもいないから、自分が先生になるしかなかった。

自分も解決できてる先生が、本当のいい先生でしょう。

複雑的思考を持ったまま、完全的智恵を得る。

答えが出ない中で、答えが出ない中でぐじゅってやるのが文系だろうか。

第三者が私の情報を見るなんておかしな話だ。

えぐいて〜は、第三段階 最下層に位置する。

2023年5月12日

好きで好きでやりたくてしょうがない、それを見つけるために大学を過ごす。

本当に心がワクワクするか、本当に楽しいのか、しっかり見つめ続けなければならない。

お金を稼いでる稼いでない関係なく、才能と実力は磨ける。

自分が解決して安定して答えが出て対応して過ごせているんなら、他人への布施もしていいんだと思うよ。他人を活かす道を言ってもいい。

真剣に自己を見つめてれば、他人をも活かす道になるんじゃないか。

どうしてもやりたいことが見つかったのですがどうしたらいいでしょうか。
20歳〜24歳。

ああ、こんなにも満たされて。ああ、こんなにも安定で。この世界の素晴らしさと美しさを胸に。君たちの美しさを胸に私は今日も生きていく。変わらず今日も生き続ける。人は真理に到達すれば、もう変わらずに美しい

子どもたちが夢と希望を胸に、世界の素晴らしさを感じながら生きていけることだって本来できるはずなんだ。

難しい言葉を使うのは、強い道理を知っていることにポイントがある。

それは小さくて細く、それでいて強い一筋の光。
一鮮の光の筋。

70歳でも衰えぬ技の練度。

自分はそんな病気になっていないから恵まれているのも事実、しかし自分なりの病気で死にそうになったのも事実、これからの未来が少ない子に、それでも私たちと変わらない価値って伝えられるのだろうか。そもそもその子と私たちの変わらない同じ価値って何だろうか。

真の平等感覚は仏教から来る。

本当にそんなのってあるのかな。

1日1日を乗り越える。

次はどんな病理が来るのかな。
弱い自分で、強く生きる。

仕事は万とある。はずなんだ。

私は二宮尊徳さんが人にお金を貸す時、お金を貸すと同時にその稼ぎ方、道理と努力を教えてあげていたのがなんとも優しい人なんだと思った。これはすごい人だった。

与えるに与えるのだ。これは努力が違う。気合が違う。

断食修行をしてたなんてことも、恐ろしい自己を感じた

自分の中の鬼と仲良くなること。(仮定)

お金を稼ぐために仕事はするんじゃないと聞くけど、お金を稼ぐことを求めてしまうよな。お金を稼ぐために稼ぐ、そんな状態にもなると思う。

本当があるんだとすれば、そんな不合理なものじゃないだろうといつも疑問に思うんです。無理が生じるようなものではないだろうと。

そんな未来に足枷ができるような頑張りというか機はそれはワクワクではないと思うんだ。

やっていて自然なこと。やりたいこと。

死んでしまっては話にならない。

とてもじゃないけど私は企業に所属なんてできるようには思えない。

死ぬことは愚か。その理由は主観がガラリと変わる可能性があるから。

未来に絶望する。そんな人が溢れている。

休憩するときに、休憩する。

俺はいつまで経っても劣等生や。

整い続けている。

恵まれなかったとき、ああここからやって常にワクワクする。

一方で生きていけるだけの仕組みをつくれたら、もういいとも思う。

自分のためにも、人に優しくする。これは見返りを求める思想だけど、それでもいいと思う。

親に恵まれなかったということを、25歳までに終着する

ただ甘えたかった。十分に甘えたかった。それだけだったりするんだよね。

心の内は甘えたい、褒めてほしい。認めてほしい。私には価値があるんだと言ってほしい。十分に優しくしてほしい。休みたい。自由にしたい。

それも、課せられたものだろう?
ゆっくりして、息をして、生きていてもいいんだよ☺️

私が努力を語るか。この私が。

今日も蒔きに蒔いた種を。
ゆっくり休もう。自分を大切にしよう。

進撃の巨人 これはワクワクする。
地獄楽 変な妙な生き物を見ちゃう。
鬼滅の刃 リアルで見ちゃう

恵まれなかったら、それで楽しもう。

実力を出ない範囲で演舞すべき。

豊かに生きられる。

気持ちがなくても、ありがとうって言っとけ。

20年ものの凝りが取れたわ。

牢獄に比べたら世界は自由だった。

こうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろこうしろああしろ。

20年ものの凝りが取れたわ。

父親の顔を見ると死にたくなる。

自分の主権を奪って、価値観を押し付け、こうしろああしろと指示をして、コントロールしてくる輩には、感謝なんてできないでしょう。そこを感謝する人がいるとしたらそれは、恩ハラスメントですね。

不自由に生きてきた身、世界がなんともありがたかった。

私は嘲笑が出てくる。これが運命。

私の父親は破壊です。

澤野弘之さんの曲にはその大部分に"悲しみ"があって、あるものに救いを求めた人の愛があるような気がする。

人生の休憩・勉強期間として3年くらい時間を取ることも大事だと思うんだ。

グーグルピチャイさんと桜井政博さん。松下幸之助さんに安藤忠雄さん。HSP繊細な感性。

人生の歓喜を得たいが、欲の歓喜に生きたいと思ってしまう。ずっと欲の歓喜がなかった身として、欲の歓喜を知ってみたい気持ちがある。心がなぜだかワクワクする。胸が高鳴る。私の進む道は何だろう。

終着的に親鸞聖人の世界観をゲームに落とし込めないだろうか。

生きてられてる身、お金とかはどうでもいいんですわ。

天狗、慢心、それを打ち破る慎重。
浮かんで驕らず、沈んで屈するな。

あまりに最大化した手が回らないところは、トラブルが生まれる。

本当の夢と希望を届けたいんだ。

この気を撒くっていうことも、修行期間に使えるかもしれないね。

こうあれ、というのは存在の否定です。

本当に楽しくて、ワクワクして、"楽"ならやれ。

自分が蒔いた種を忘れて、ひたすら種を撒き続ける。

自分たちの正義を振りかざしてモノを言う。

ムツゴロウさん、佐々木正美さん。

人間はそういうものだという強さがある。

子どもはそれはもうとても繊細に、敏感に親の顔色をうかがってものを言いますね。

世の悲しみですね。これは。

自殺しようかと言うくらいに苦しいことが数十回あった。明日が来るのが怖くて、暗闇の中、狭く、暗く、ただ1人で眠りにつかなければいけない夜が数百回あった。

心の自由がなかった。

時間はある。

2023年5月13日

そうだ、私はあんなことを思っていたんだ、それを思い出すだろう。

私はこの番隊の稼ぎ頭。その程度さ。

命まで奪われることがない。それがこの現代の利点でしょ。

世界に追って、追って追って、その先に打ちのめされるのもいいだろう。

不器用ならそれでいいし、器用ならそれもいい。

貴様の正論など邪論。

貴様の正論など価値はない。

180行で教えてやろうか。

親のこうあれ、それは自己愛。

不満の権化。

鬼に始まり鬼に終わる。私はあなたの後生が心配だ。

悪縁から離れる。

私は笑わない、私は笑わない、私は笑えない。

心の自由がなかった。

死ねばいいと思う。

鬼など死ねばいいと思うのだ。

エリクソンを縁として仏法を伝える。

仏法を伝えられたとして、あなたに人を導く力なし。
これはもうハッキリしている。

ただその繋がりのみが、私をただ縛るモノ。

呪縛。

自由にさせてもらえない。子どもが自殺する。

私は地獄を因とする。
それは私の因が、地獄でできているからですよ。

名誉の果て。
本来のやりたいこと。 心が踊る二つがある。

私はよく父に似てきたと感じる。
でも別にそれもしょうがないと思う。

HSPの繊細な子どもを、その才能を、自分の分身にさせるそんな親。

母には無理だよ。父には無理だよ。

子どもの気持ちを汲み取って、子どもを活かしてあげることは。

この子はもう私の手に負えない。近いうちに訪れるだろうな。

最初からそうだよ。
最初からそうだ。

苦しみの先に、周りを不幸にした悲しみに気づくのさ。

それを分かってからが菩提。

何が恩で、何が情だ。子どもを嘲笑し、自殺に追い込んでおいて。それは単なる名誉だろ。

私は世界に出て手続きを身につけたら、本当の自由になる。

今は力がないから自由ではないが、力さえつければ自由の身だ。

その力は地獄の中磨いてきた。8年間磨いてきた。私の人間としての最初の一歩を踏み出すのだ。

神々と菩薩に守られる。自分もしっかり分かっている。

あの押しつぶされるような思いは、なんだったのだろうな。

あの押しつぶされるような成果は、なんだったのだろうな。

結局縁に触れないから、何がいいのかも分からない。

だけどずっと因を磨いていればいいんです。

熱烈なポジティブシンキング。17歳。

なぜ私は生きたのだろうか。なぜ。

この尊い人生を投げ出すわけにはいかない。
この人生がこの人生としてここまで来ることにもまずもって不可能としか思えない。

生あるからこそ、やり直せる。

親は悲しむだろうが、それ以上に私は悲しんでいる。

親は悲しむというが、それ以上に苦痛がある。
小さいころから、16歳17歳ころ、18を過ぎて192021。

悲痛なる悲哀なる苦痛の悲しみの叫びが張り裂けている

だから私はもうここから離れる。

3度の父との会話があるが、それで死ぬくらいの苦痛は襲うが、必ず人生生き延びろ。そしたら遥かなる楽と未来が君に待っているのだから。

父親が上に見える、これが小さい僕の業。

軽く扱われるのは運命である。

少なくともこの親子間の因果律は捻じ曲がっている。

最初からそうだよ。

父は父の方に持っていこうとするが、どうしても子どもは持っていけないだろう。

世間からはみ出さない仕事。
企業に守られるんだ。

あれは立派な慎重を確固たるものにする最後の締めくくり、だったのかな。

「変わらねぇなお前だけは」。

私はいつでもここにいます。私はいつでも待っています。いつでも帰ってきてくださいね。帰って来れる実家

仏教のブログを続けて、講師としていつでも帰って来れる実家を用意する。これから80年かけてそれを続ける。

節制を身につけよ。さすれば、富む。

この世の謎が解けない。

この世の謎が解けるまで、私はメモをし続ける。

経験が欲しい。

スポッチャで出す、くらいがいいよ。本当に。

人生の美しさを、彼女に伝えたい。

人生の面白さを感じながら生きたいんだ。

声を上げて面白く喜ぶか、慎重に控えめに佇むか。私は前者の方が人間らしいと思う。でも後者も尊いと思う。要はそれを使い分ければいいのだと思う。

これじゃあいつか鼻高々になるぞ。

どこでだって根をはって生きてやる。

雨と曇りの日の方が多くないか。

2023年5月14日

母の日、お酒買え。

じゃあ、なぜ自分を奮い立たせなければならないのだ?

20年因を磨かせて下さい。

1日1日を乗り越えて行く。

自分を壊さない程度にやれ。

耐えればいい、なんてことも誰も教えてくれはしない。

もう、あんた十分自由だよ(笑)

はっはっはっ‼︎(笑)

苦しみが突き詰めると聞こえてくるんだ、笑いとユーモアの声が。

第一流 本当に大切なこと 理論 法
第二流 人生観・アイデンティティ・考え方・心の磨き
第三流 技術や能力の鍛錬

創意工夫が止まない。

やさしさの極み

プレゼントボックスのようなブログ

オーバーハピネス

ブログ1万4,000通
経営 カフェ・バー ピアノ 

いやぁ、それは誇るべきじゃないよね。慎重

全部やめようとは思わない、かといって全部掴もうとも思わない。

ピンと張り詰めるもよくなく
だらんとしすぎるのもよくない
丁度よく張っているのがいい まさにゾーン

緊張したら、良い結果は出ない。

試合は試合前に決まっている。

必ずホワイトニングするんだ。私が生きるために。

果たしてそれで幸せになれそうか?

さらに遥か先の未来で、恵まれない子に神を見出したところで、それはただ私の自己満足なのではないか?

頭の回転が早く、すぐやるべきことがわかる。

やさしさを胸に持っていきたいんだ。

エリクソンの発達課題は法である。
これを大切にしていきたい。

要はエリクソンに沿えば、なんの経験でもいいんだと思いますよ。

安心した者の声は、不安心の者の胸を貫く。

寂しさ、が形を持って現れたのが性的倒錯だと思うんだ

父親が幸せになれる道 それを遺して死ぬか

でもそれなら私が生きて、たくさんの人を幸せにした方がいい。

なんなら、父も私も幸せになることこれが一番いい。

ただ今はそれくらい自分でやれよ、と腹が立ってしまうがな。

それくらい自分でやれってのは、自分の人生の満足を早いうちに自分で終着つけとけやってこと。それができてから子どもを持てってこと。

ただこれを言ったとこで分かんねえだろうな。

欲と不満の権化には衆知は絶対集まらない。

孤立・停滞・絶望、嫌悪 このどれもが父を現しているように見える。

今なら思える。今日こうやって、なんの気無しに動画を見れていることが幸せなことなのだと。

全力でふざけるとはこうやるのだ、見てろ。
はぁ〜ッテレビもねえ‼︎

私の鬼気を、現実世界で認識するだけの時間なのだと思うよ。

このメモは鬼気である。

生きていけるだけのお金がありゃいいだろう。

狩野英孝はお笑い界の宝だろう。

変わらねえなお前だけは。

ああ背脂醤油うま😋幸せ😊

ヒストリアに共感する。

仕事して生きてられたら、もうそれで十分じゃねぇか。

不満を持っているべきだ。若者というのは。

私からの恩など意識してやるものではないから、大丈夫だ。

ゲームとか仕事とか関係なしに、自分が1人の人として生きた過程と変化を繊細な感性でしっかりと傍観するのだ。

気が滅入ると深刻になる。深刻になると、抜け出せなくなる。でも、時折思い出すんだ心が軽い日々を。

まあちょっと早起きして、コーヒーでもゆっくり飲もうや。

人生の安楽を感じて生きたいんだ。

肌荒れ、視力低下、歯の黄ばみ、眼窩脂肪、体系の太り、いぼ痔、首の寝違え、日焼けの手荒れなど。

すーぐニキビできるんだから。すーぐ。

私が苦しくなくならない限りは夜食はやめれない。それによるニキビの最悪は誰にも止めれない。

家では座らないでおこう。

30代、未だ手を動かすのみよ。
80代、手を動かすのみよ。

ちょっと恵まれなかった、こんなに発揮できるものはない。

究極的には死んでも後悔がないを目指すべきなのだと感じさせられる。

燃えるゴミみたいな気持ちで勉強してる時が8年あった。

強大なアイデンティティを築く。そのための大学・20代。

創意工夫。これをずっと続けられること、だと思う。

(仮)スマァァアアアッシュ‼︎ プルス・ウルトラ‼︎‼︎

私は自分が優れたものであるように感じてきていた。だがこと生死の一大事においては、それは全て霧散してしまうことであることも知っておかねばならない。というように賢しくあるということにも気をつけねばならない。キリがないからこの一次でやめておく。

このメモがなくなったら私は悲しいが、それでもまた一から書き始めよう。

彼女のような方がいて、嬉しい。

君がやったその努力は、誰にも奪えられないんだよ。

ロックフェラーの出納帳が、私にとってはこのメモ帳だ

このメモ帳を自分で自分で納得して、本質を得る。そうすれば忘れ去るも心に脈歴あり。失い気はないが。

あまりに過酷な環境に身を置いてると、気づかなくなるんだ、"自分がやばい"ってことに。

あの時、"もう誰にも負けない"と誓った。

コテンパンにやられるのもいい経験。

これからも、一つ一つ、丁寧に丁寧に、気をつけていく

次はどんな病理が襲ってくるのかな?

1つ1つ乗り越えていくんだ。

1日1日を乗り越えていく。

多分1番と落とし穴は、誰も気づいてくれないということ

変わらぬ日常がある。だから日常に帰られる。

2023年5月15日

HSP 深く感じる。いくつものことを計算する。色々なことに気づく。繊細。

土曜日 彼と行けるのが嬉しい。1人は心細かったから

明日の電話 緊張するなぁ

一つも出来ない自分だった。

多分今後の問題のことが、不全・全気として表れているのではないか?

何もかもがむしゃらに。不全が起きる。

整っていること、最上の因と説く。

誇れないとこは誇れず、誇れるところは誇れる。

できないことは、できなくていいんだよ。人生

まだ自分のアイデンティティが分かっていない。

これはかつての母である。

話すと安心するんだ。

過度な期待はせずに、一個一個経験。

できない、と分かってそれでいい。

ワクワクは別物。ワクワクを仕事にしなさい

考えるな。ギラギラ要素は予期せずできるのがいい。

ただでさえ生きるのって大変なんだから、子どもに過度な要求を押しつけてはいけない。

談笑のうちにをモデルとする。

語れるものも、なんもない。

心に染み透る力を持ってせねばいい作品は作れない。

人として良い選択をとってると自然と自信になってるんだ。

まだ死にたくないな。死にたくないな。

張り裂ける悲しみの先に待っているものは何か。

何もできない自分だった。

仏教の聞いた量とこのメモの1年半

すべてを忘れて、寝ること。

寝て起きると、あれはなんだったのだろうと感じる。

ハンドボール投げなのに筋違い起こしたぁ‼︎
けど下手に追わなくて良くなったか。

電話を受けよう

会社に、企業に保護されるんだ。

世界の方から要求を呑んでくれた。

武田友紀さんの繊細さんと仏教の合致性が分かった時が仏教を理解した時で、それはともに繊細さんを理解した時。

やっぱり人間的な善は、生をかけて何かことを成し遂げた、あるいは挫折した、人の心をよく考えたという経験がないと身につかないものなんだね。

もうあの頃の私には限界だったのは紛れもない事実だ。

私は死んで天上界に行くが、あなたたちは下に落ちていく。それが私は心配だ。

憤悶と慚意

次から次へと衆禍がやってくる。

ネガティブを言ったらポジティブな言葉を言えっていうけど、それを毎度毎度やること自体がストレスで、結果的にネガティブになるだろ。

自分が人生でもう避けられない苦しみと向き合って、その苦しみの本質を理解して、必ず喜びに転じて見せるんだ。自分を突き破るんだよ。

あんなことを言える大人になりたい、と心の底から願望を願い続けた。それが本当に実現してできるようになった日もあって何回かまじかこんなこと言えるのかという日もあったが、それも日常を過ごすにつれ意識しなくなった。なぜかっていうとどこにも評価してくれる縁がなかったから。

分単位で動く商社マン・サラリーマンに本質なし。
好きなことやってりゃ、分単位で動くのさ。

仏から迎えに来てもらえるような、種をまけ。

こっちか、あっちか、仏教。

結構クソみたいな環境だったけど、ようやく抜け出せたかな。

佐々木正美先生を学んでみな。そうすれば、分かる。

世の中の方はいったいぜんたい、「自分が世界のすべてではない」ということに気づいてないらしい。

予想しているものとは、違うものになる。

私はその経験のどれもが新鮮で楽しかった。

すべてが自分の思い通りに行くと思うなよ。

父親は心がない。心が薄い。布施が弱い。じゃあなにがあるかというと自己愛が強く、期待がつよい。

誰だって人間人だから、どんなにすごい才能を持っていたとしても、それは貯金のようなものだと思うのよね。

賞賛は私に残るどころか、私の体調を悪化させるものになり得る。まったくもって殺しと名誉では満足は得られないことを証明する。

演舞技術対応。第二

親の不満そうな顔、これほど子どもに応えるものはない。応えるなんて言い方では生ぬるい、"破壊"する。親の不満そうな顔ほど子どもを破壊するものはない。

父性は父性で返せばいい。父性自体に悪いことはない。

2023年5月16日

親密性さえ獲得してしまえばなにをやっても面白いぞ。

世界が私を必要としてくれる限り、私は仕事をやめないわ ニセコイのちとげのママが言う

ああ、なんとなくわかった気がするわ。

なんで、こんな心の底が笑ってない、薄暗い人を見なきゃならんのだ。顔が死んでいるぞ。

あと2時間は付き合ってもらうぞ 2030

著名な人とは会わん。

不有名がいい。

聖人君子など語るな。av観てるんだから。

人の改善率を私は知りたいよ。それはこの世の布施だ。

妥協してはならない。こと己の道に関しては。
他人の道には妥協ありだ。

いつでも帰ってこれる実家を提供しよう。

いくら空から流形を見渡そうと、どんなに一旦離れたように思おうと、私たちは日常に還るのよ。日常からは離れては過ごせないのよ。

自分が幸せになりたいんだったら、目の前の1人を幸せにしてあげれ。成果もそれのために使え。

要は才能と成果をどう使うか、コントロール出来るという点に要点がある。

ふぅ。気分転換できたわ。

感じないということは無理ですね。

可能性は0じゃない。

5.17 まだストーブ。

早い段階で社会のレールから脱落したやつは、面白いねん。とことん面白い。

あれもいい経験だったな。

ただ死にそうだったのも事実。それは変わらぬ歴史。

見るもの全てが不全をあらわす時もある。この不全は完全と相見えない。

自分が経験を積んだなら、配信の見方も変わると思うよ

結果が出ると、楽しいですよね。

対応策か分からないけど、圧倒的実機や成果を溜めてそれを放してる状態のとき、母親と話すのも深いものを感じる。

小人は死ぬときに恥をかいて死ぬと決まっている。

苦しいときにあたふたする。小人のこれは世の定め。

色々仏教説く人いるけど、苦しいときに取り乱すどころか、悠々としている方が本当の先生だと思うよ。そうじゃないのはだいたい飼われる。

言うことは言わないとダメだと思うんだ。
曲がってるものは曲がってると言わなきゃならないと。

非常に、弱い。脆い。

「俺の息子だから失敗するはずがない」その思いが、いかに子どもを失敗に導いたか、ハッキリしただろ。

仏教を伝えるはエリクソンを伝える。
エリクソンを伝えるは仏教を伝える。

父親に仏教の理解はできない。と思う。

仕事をすることでアイデンティティを確立することは困難なことではないか?

アイデンティティを確立してから、仕事をするべきではないか?

私がいまだ鏡を凝視するのは、"自分"というものが分かってないから。アイデンティティが見つかっていないから。

整っていることを最上の因と説く。

人として大いに伸びる健全な期待。

自分のアイデンティティが見つかんないのは、父親がアイデンティティの形成途中だから。

彼女がなんで育つか。父親からの精神的距離が離れているから。毒がない。

有害。猛毒。ハッキリと知る。それが分かれば踏み出せる。

私は闇が深い。だけど正統派の正統派だ。

不全感は事故である。

私は夢追い人を応援する。

夢を追うのは何がいいかってね、「そこまで生きてみよう」と思えることなんだよね。生が許されるからなんだ視野が広がるんだよ。

楽しんでいる人、その精神に神が宿っているのかな

これはまずい完全に睡眠時間に登校だ。

何もかもが効かなかったが、何もかもが効かない状態だったんだ。

うつ病は永遠の困難。

逃げて、逃げて乗り越えるんだ。1日1日を。私は逃げてもいい。人生には全力で逃げるべきときがある。

縁は生かさない手はないだろう。

子どもの成長日記を動画に上げると言うことに疑問を感じる。本来そんなものなどいらないから。

あなたに近いものがきっとある。

親密性を獲得してる人なら誰だって偉人じゃない

世を追って、世に追われるのも、人としての一興なのか。

要は使い分け、なのだと思うよ。

不安定になってる。今日大変だったしな。

礼儀は必要だけれども、あまりに礼儀正しすぎるのもそれは何か違うでしょう。

生が瓦解することを知れば、誰だって自分のエリアなど持てないことが分かるのに。

人間そんなにやわじゃないでしょう。だけど、人間そんなにやわじゃないと言うことを認識しなかったら、人間はやわになる。

自己愛の人でも仕事ができるんだ。

魂を売らないと仕事人にはなれない。

名誉の成れの果ては仏道に向かえ。

精神領域を開発する。これが負荷。

努力と修養で楽と富を生む。

話すことは貰ってる。聞くことは与えてる。話すことで与えてるとしたならそれは布施を話してる。

チャンスを今回見逃した。だからといって責められるわけではない。

深い業によって上下関係が構築される。
故に阿弥陀仏。などと言っているが。

予感がはたらかないときもある。

自分で自分を救おうとしている。

言葉に意味を見出すようになったら勝ち。(価値)

幼少期からの業でえ、あんなに力を持つことを初めて知った。

ああ、自殺の意味が分かった。

常に法を感じ続ける。

俺はこのどこまでも苦しみを与えてくる運命を、殺してやりたい。殺し切るぞ。涅槃に入れ。

複数の顔を持ち過ぎたら、手が回らなくなるんじゃねぇか?

ストレス過多の全気は防ぐべきだぞ。

経験がないからといって、少年と老人の価値は同じだと思うんだ。その時間の等しさは同じ。

君のショックは私が操作するものではない。

言っただろう、誰にも負けないって。私は14才で誓ったんだ。

何も一つに道を絞ることはない。道は十も百も千もある。

だから真面目にやろうって言ったじゃないですか。

躁鬱病、強迫性障害、自己愛性パーソナリティ障害。

なんで俺が俺の人生で強迫されなければならないのだ。

深い深い悲しみを感じるんだ。そして怒りに変わる。

俺の、俺の人生なんだ。

そんな注目は日の雑事。もちろん命は懸けているが、その成果は第4下層の因果に過ぎない。

尊い命を投げ出すな。まだ縁が来てないだけだ。

大学を第二目的とする。

ココヨワを読んでも意味が全然分からなかった。

意外に父を論破する。

日常が折れる日を待っている。

大谷翔平を再現できれば一段落だ。だがそれもできないと知らされて、いいだろう。

完成しているが、壊れる可能性もあるぞ。(人間的な話)
まだそれは完成していないのだ。

偉人の因は、縁を掴まえたことじゃない?

縁に恵まれれば楽ができるシステムが形作られる。

でも決して忘れてはならない、人は何もできないものだと。

死ねない宝になっちゃえ。

世の中の第一流成果を出すためには必然的に分単位・秒単位のアスリートスケジュール、仏道修行に近づくと思う。

無意識に耳に痛い言葉はやってくっから、大丈夫だ。
その時にはちゃんと対応してるんだよ。

嗚呼、私に生がまだ許されるのなら、このもらった慈悲を世界に広めたいと思う。

不祥事は起こすな。気をつけて行け。

私はエネルギー放散型。

名誉出身の私にできたんだ、君にもできるさ。

被害者は自分の人生の主人公になれるが、加害者は何者にもなれないで終わる。これは私が下すものでもなく、ただ自明に明らかな法である。

2023年5月17日

信じれるのかな?と何度も思ったが、信じれなかった。

虚像を追うより現実に生きる方が楽。

ミッションにしないでね。

危険な生き方こそ面白いというが、それは死なない範囲での話。死んでしまっては生き方自体がなくなるぞ。

腰激重人間の私にとって、その大量のアニメ作品を見るというのが信じられない。量より質から抜け出せない。

人間はそんなにやわじゃない。だが人間はそんなにやわじゃないと心の底でカチッと噛み合う瞬間がないのであれば、人間は本当にやわになってしまう。

彼にパワーを。実力を。

これから忙しくなるさ。ゆっくり待っとけ。

一つ一つの重みを理解してないと、その先の重みには進めない。

3回くらい行けば何もない期間よ。

全ての経験は仏教を理解するためにあるのではないか。
それなら意味が出る。

悲しみに暮れるのと懺悔は全く違うものか。

俺はここで死ぬかもしれないが、もし生きていたとしたならば世界を変えていたのかな。

4年間はゆっくり過ごしたいんだ。
レポートもやりたいし、勉強したい。
仏教を学びたい。しっかり生きていきたい。

とりあえず明日、やり過ごそう?乗り越えよう。
一日一日。

マッチングアプリをバカにしていたが、マッチングアプリが社会に馴染み、社会を構成し始めたら誰も疑問を持たなくなった。欲に忠実に再現されたこのモデルは、もはや文化となった。

残念ながら仏教を伝えようも自己愛になる。

子どもは私がコントロールするものではない。ほんとに、子どもを先生と呼ぶのはいい試みだと思う。

親の意見はなににしろ、意見である限り全て自己愛である。

子どもに意見を持たないこと。

本当の仏道修行と同じものがある。

エリクソンは仏道修行と似ている。

この世の宝になってやれ。

洞察力 共感力 胆力
   好奇心

本質的な努力を現す読書は長期投資。20年〜40年くらいの。

この人を失うと、この世の損失だと言われる位の人になろう。

そこで大切な心得は
 談笑のうちに
 慎重に
 笑顔 この3つ。

布施マシーンになろう。
エネルギー供給マシーン

異熟因異熟果をスポーツでも持ち込め。そうすりゃ勝てるし、勝てなくても勝てる。

歴史的盲点が私だ。残念だったな。

客観がどんなにすごいからといってそれで死んでいい理由にはならない。客観に入っても最後は主観に帰らねばならない。

悪が溜まり、心の繋がりがないと、見た目が気になるようになる。

幸せになると、見た目はどうでもよくなる。

シンプルでかっこいい服を選ぶ。

虚像を追いすぎてうつになる。
虚像はトレーニングみたいなもん。トレーニングして、現実がそうでもなくなるということ。

考えすぎ、本気すぎ、自分が外れてる、無理、負荷。

現実を見よ。現実を見よ。

その場で有難みのある大きなものに守られる、演舞ができれば、あとはそれを続けていくだけ。

仕事は演舞。その場その場で恵まれるだけの力があればいい。

負荷はトレーニングなんだよな。

苦患と苦及を味わいながら、今日も笑顔でやり過ごす。

親が苦しみを助長させる悪縁であったことは事実。

どうにかして苦しみを抑え、喜びを広めることはできないのかな。

この弱い私たちが。

中学生の頃から勝つことを求めた。それが精神衛生を悪くした。

名誉を求めた。優越感と劣等感。

親がそうであったから。

自因自果。善を積めば楽に、悪を積めば苦になる。

やっぱり社会がなかったら、自分は保てないよ。

私の年配の方々は世渡る僧になることを応援してくれるんだよ。それはなぜか、世渡る僧にすらなれない人がほとんどだからだ。

この子は壊れるだろうと、見る人が見れば分かっただろう。

精神の脆弱性を教えてやろう。

親より世界は優しい。

コーヒー牛乳をこぼした時、ああこれでいいんだって思えた。

たとえもし地獄に堕ちるんだとしても、君が夢と希望を伝えようとして懸命に生きたことは本当だし、なんならそれがどこかで転じて君を救うんじゃないだろうか?

俺の、俺の人生なんだ。
ホワイトニングにも行くし、ずとまよのライブにも行く。

そしてきっと自分の好きな人(自己愛)に出会っても、それは慎重で謙虚に親しき中に礼儀あるのが本当の幸せ。

幸せを掴み取る嗅覚を磨いてきたんだ。

米津玄師さんを見て感じる感動は、成熟不全でもここまで人と関わって世の中で愛を持って生きれるんだということだ。

私は米津玄師さんと仕事をする。

堕落した先生。

10億稼ぐ。今に見てろ。

学校をやめてもいいから、生きれ。

みな死ぬにはまだ早すぎる。

強くなろうとしなくていいんだよ。

地獄も嵐も過ぎ去るさ。

人じゃない指針判断は、人じゃない種を蒔いてきた人にしかできない。

地獄を勘違いしてしまうことの利点はどこにある

2023年5月18日

仕事なんて、個人の都合。

実地の経験の総体に法が貫いてる。

何も取らないでください。何も課さないで下さい。生きていくだけで大変なのですから。

私は悲しみを背負えない。と思っていることが悲しみ。

仕事って弱い人がしているものだと思います。

弱い人がその人の尊い心ざしで強く見えているというのがこの世の偉人ではないでしょうか。

その仕事でなけりゃ、彼は生きていけないのです。

因縁和合

すぐに賢しい顔で気取ってしまう。ちょっとうまくいくと。

本当は生きていけない存在なのに。

俺の、俺の人生なんだ。

1人の時くらい、ゆっくりしてもいい。

なんであんな中学生や高校生が多いのか分かった気がする。学校が楽しいものではないからだ。

全世界に比べたら私はよく頑張っている。

幸せに豊かに生きたい。

幸せのオーラを掴んじゃえばいい。
幸せになっちゃえばいい。

ニッコリ笑って、穏やかに、ゆるやかに。
平和な人。

恵まれている人たちの一番の功績は縁を掴んだということにあると思うんだ。チャンスを掴む。

正直に話せば大丈夫だよ。

社会の流れがありがたい。

好きじゃないとしても関わっていける多様性ってあると思うんだよね。多分その多様性を獲得してるから好きも出てくるんだと思うんだよね。

生きのびろ。生きのびろ。生きのびれば必ずいいことがあるから。

親密性のある友達の中で、その友達よりもちょっとできる、という時最も自分に価値を感じるのです。

何かを犠牲にして代償を払ってやるものではないと思うんだ。幸せというのは。

それをやんなきゃ、自分が壊れちゃうんでしょ。

彼女、彼からお話を聞いてもいいかな。

信楽に沿う生き方をする。そのためにはずるく手を抜く

奨学金は第二期にする。

私の親は厳しいではない、虚しい。これが正しい。

こんなうつ病を患うなら、何も知らない方が良かった。

何も知らずにのんきに生きている人の方が幸せに見えてしまう。

元気に、自由に生きたいよな。

苦しみが少なく生きたいな。

彼であれなのだから、現実に悲しみは存在しない

信心決定していないのに、人は危機感を持たずに死んでいけるということはどういうことなんだろう。

自立調節機能がなくなる、苦しみや苦患はある。

規模が大きかろうが小さかろうが、布施の精神の強さに変わりはない。

果たして苦しみに苦しみが及ぶ学校に、行く意味なんてあるのか?

やるべきことは早くやらなければならない、と言われるが、じゃあ早くそれを無理してやったらうつ病になるだろ。

苦しみが突き詰められる、学校に行けない。

少年団に部活に部活、浪人機に定時制仏教。積み重ねが違う。

逃げているから、苦しいのかな?私、逃げているかな?

何もやってないことは弊害。

なぜ俺がそれによって苦しみを味あわなければならないのだ。俺の俺の人生なのだ。勝手に入って来んなや。

ナメた口聞くなというが、お前も気をつけろよ。経験しかないくせに。威張ってんなよ。

彼が成長したのが私の父か。なんとなく分かった。

人生万事塞翁が馬。
禍福は糾える縄の如し。

彼と行けると知って嬉しかったのが、行くのが苦痛に変わった。結局金曜は休み、土曜は一人で行くようになった。そして一人で気が楽になった。

親密に話してもらったこの予定と、このチャンスは逃さない。

一予定が入ると、もうきついです。

人はみな上の心ばかりを見て、下の心をちっとも見ない

恵まれるか、恵まれる予感がしない限り、尊い人生だとは思えない。

下の心5段を開発しているからか、上部に着手できない。

深淵を覗いて深淵を覗いて、苦しみを突き詰めた先に、親の怒りがあった。

彼は、どうして正気を保っていられる。

街と自然はいつだって変わらず美しいのに、歩まねばならない人間の旅路だけがどうしても醜い。

だいたい威勢のいいものは、寂しい。

穏やかな人は嬉しい。

あまりにも感受性が鋭いと、この現実世界で生きにくくなってしまうのではないか?

私がゲームで評価されるのも、ただ不足していて受けられるべき運命を取り戻しているに過ぎない。

私の諸問題を、私1人で理解するのはとてもとても難しい

エリクソンはそもそもまず深く考えないと難しい。

どう考えても、どうやっても、結局そこに辿り着く。

親より世界の方がやさしい。

全人類のそれぞれの形に眠る、本当の幸せを希求する。

早くでもいいから時間を経たいよ。

プレッシャーで身動きが取れない。
だけどそのプレッシャーで実力がついた場合、とんでもない力を発揮する可能性も秘めているのではないか?

総決算をここに書いてるから、このメモを書くには体力を使う。

たくさんの方から無理せずに。

自分の何がよかったのか、自分の何がわるかったのか。

考えすぎて言葉に出る。

苦しみが張り詰めて、緊張しながらオープンキャンパスに行く。何もし難い。何も得難い。

苦渋を耐え乗り越えていく。

緊張で安心感がない。

事故に事故みたいのを重ねんでほしい。

今日も明日も結局どうなるかは分かんない。

いじける、が許されないとさらにいじけます。これを分かる大人になりましょう。

何も分かってないんなら、死ね。

すべての人を活かす光と、特定の者への恨みが心の中に混在している。

疲れた、疲れた。

変わってないね昔から。

私は闇が深いですけど、正統派の上の正統派なんです。

いつも結局辿り着くのは、"親は良い縁ではなかった"という事実。

ただ忘れているだけで、その時は深刻だった。

時間が経ったら幸せになるだろうという気はするが、そこまでに自分の力が尽きてしまいそうだ。とても超えられる気がしない。

うつ病を患っていまして。

苦しみが少なく乗り越えていけること、そこに価値がある。

弟が指示をする、私が頭で使われる、それが丁度いい関係性。

エリクソンとは慈愛。

ああ、こんなことが知りたかった。才能や成果などの「できること」にはさして価値がなく、それを「どう使うか」という、君の大元の大部分の方が大事なのだということ。そして君が幸せになればいいのだということ。私はこれをとても知りたかった。わたしは人生をかけてでもエリクソンを学びたいと思う。仏教はその後に学んでみないと真意が分からないと思う。

難関の難関に対峙する。

こりゃあ、彼も味方になるかもしれない。

大きな悪が転じて、大きな善となる。

彼 忘れない

心の自由がなかった。
私に選択権がなかった。
ここまで生きる人権のない私を、これからも苦しませるのですか?
自分の思いを押し込んできた。
自由に生きたい。
俺の、俺の人生なんだ。

ゲームを成長に使わせてもらう。アイデンティティの形成のためにゲームをつくる。それくらい世界を駒扱いしてもいい。

私は最終形態の宝を、無縁遠方の上に授けられている。すべてのものごとは繋がると見る。

他人から絶望される、というこの地獄みたいな気持ちをもう経験したくない。僕は毎日それを感じている。毎日だ。こんな僕が成長はできるのか?甚だ疑問だ。

生きづらい、生きづらい。

自分にとって、ほんとうに必要なことはなんだろうか。

親はただ悪縁であるのだから、離れることが先決。

そのために話さねばならない日も少し繰り越して、"いい気"が溜まっているときにやってみよう。

死んで、とか生きて、とか別に思わない。ただ僕から離れてほしい。

先生方に直接お話を聞くことができない害を受けている

広くバリエーションに富んで依存できる場所を持っておく。

親に死ね、と言っていい権利がある。
押し殺すことは間違っているよ。君と社会にとって。

自分は嫌われた、絶望されたと思った時、いやちょっと忙しいだけじゃない?少し考えすぎじゃない?と自分で気分を転換できること、これを親密性や自立と言う。

自分で自分を調節できること、これを自立という。
自立できていない子は自分を調節できないから。

街もお店も彼女も全部君の味方。

人間愛に満ち満ちた熱い情熱を撒き散らす。

君が考える全てのことに、救いの全要素が込められている。

2回うつ病になったんだから、休みたいよ。

悲しみの極みを感じる、それがうつ病。

親が子どもを殺す。だから子どもに殺される。

大元の心の大小脈略羅列原理の表層部の分子移動に過ぎない、学校というのは。

一瞬の救いなのに理解するまでに時間がかかるのはなぜですか。

頑張ったけど、苦しみに転じてしまった、その因果律もあるだろうか。意味はあるだろうか。

逃げなさすぎ。

2023年5月19日

このゲーム企画だけで、必ず終わりにすること。

私はうつを患っており、計画性のある日常を過ごしていくことができない。

一流の作家には自殺するくらい苦しんでいることが必須であるという論理は断じて間違っている。

自殺するくらいの苦しみを乗り越えた、経験が人々の胸を打つ、これなら合っている。

苦しんでいることに価値があるんじゃない。苦しいことを乗り越えたことに価値があるんだ。

縁に触れて世界が拡がる。そしてその世界が拡がるのも仏教を理解するためにある。

極論、仏教を理解するまでは死ねないのだ。諦められないんだよ。

一回壊れろ。壊れてみりゃ、同じことをできなくなる。

仏説父母恩重経の理解に何か誤解がある。

多分、優しい人は痛みを知った人。

優しくない人は痛みを知らない人。

彼女に会ってみりゃ、何か分かる。

真剣にはやってるんだ、真剣にはやってるんだけど、真剣すぎて死にそうだ。

仏教を理解する道に進む。だから大学に行く。

事は生死の一大事にある。

束の間、掴めぬような日常。ありがたみ。

生きてられるから、人生を語れる。

誰も助けてくれる人がいないから、自分で自分を助けようとしたメモ。

苦しみの中に虐げられて才能が眠ってる。

相対的に努力がトップ。

相対の幸福にも恵まれます。

まあ、君はどこまで謙虚なんだよ。

予感は信じてもいい。

街からの疎外感、これがきつい。

とても私は働けると思わない。

浮かばないものは浮かばないし、浮かぶものは浮かぶ。

なるほど、と。これはいけるなと。

あの時引き笑いしてた彼を"話したいと思ってた"と言わせたのは勝ちやんけ。

この世の中に、価値を作れるさ。

うれしかった。

企業や利益に関係なく、教えてくれる。

必ず成功しようと天地に誓う。

どうして一体全体、平気な顔でいられるのだろう。さも自分のもののように人生を歩んでいるのだろう。それはその人が欲しかないからだと言える、もう言えそうだが、私は言わないでおく。

いくら見た目をかっこよく整えたとこでね、中身まできれいにはなれないのよ。そして結局は中身がきれいな人がね、見た目もかっこよくなるんだよ。

ある部分が優っているというのは、2年も経てば分からないもんだよ。

配信者と経営者、そこのちがいはわずかだろう。

仕事だから楽しいんだ。堕落した生活に満足はない。

本質的な部分で、仕事を全力でやらないでプライベートは充実するだろうか。それで幸せな生活は築けるだろうか。

何の価値もないと思っている自分の価値観が、か細い少女の助けになる可能性を秘めているということを学ばせてもらった。

世界の価値は多様だ。

わしはおじいさん、おじいちゃんの価値観を学んでいるのよね。

有象無象に付き合う気はない。
早い段階で人生から降りてしまう。(祝い事のように生きる)

整っているという因 成果を出せる 人生の法則

お金を稼ぐためにやってるんじゃないんです。

売るためにやってない、は売ってから言う。

だいたい子どもにキレること自体が間違っている。お門違いだ。

2023年5月20日

機能として不全があって、不足を抱えて受け入れられなかった子は、どこかで人としての部分を捨ててしまって生きるのかもしれない。捨てた自分で生きてる。そう考えるとなぜあの人が保てているかのように見えるかが分かる。保てていないんだな本当は。

19歳で生命を懸けるという経験ができたのは、尊い経験だった。

元気に、明るくなる。ゴールの形☺️

元気で明るく、他者への分別がつく状況。

こりゃあどうやっても成功してしまうわというだけのアイデンティティと実機を揃えておく。

もちろん失敗してもいい。

失敗ってひょんなことからできるから。心配せんでええ

大切な人生じゃないですか、明日も生きてられるか分からない。だから今の仕事を価値あるものにするために、丁寧に、手厚く、熱意を持って、そして結果として喜びが生まれてくるように過ごさなきゃいかんのではないですか。

人は客観の成果などという見栄や名誉のものではなく、主観の青春と言うものに住んでいるものなのかもしれない。まったく持って生きてる世界が違う。

社会は広く、どうやっても特定の一部の人としか関われない。だけどその一部の人が私の全ての世界を構築する人たちとなる。どんな人と付き合うかはとても大事。

もうしばらく夏までは予定入れないぞ

母親は薄い。父親はない。 自利利他が。母性性が。

それは父親がアイデンティティ止まりだからですよ。アイデンティティで停滞しているから、自分の夢を追っかけてますな。自分の夢を追っかけてますから子どもに期待してしまいますな。んで子どもに期待して、時には子どもを見捨てるようなひどい冷たい言い方をしてしまうでしょう。そりゃあそこで育つ子どもはたまったもんではないですな。ある意味事故です。そして、精神的うつになるのも納得が行きますな。

どうすんねんこの結末を。

基本的信頼があれば、この苦渋はなくなるのではないだろうか。

どう転んでもいいんだと。どんな自分でもいいんだと。

なにかに自分の生命を懸けてやる経験がないんじゃないですか。そういう経験がないから他人とも本当のとこで繋がってないんじゃないですか。

やっぱ生命を懸けた経験じゃないかな。自殺する危険性はあるが。

彼に身の安全を確保しながら、生命を懸ける方法を教えれないだろうか。

親が仕事に満足しているかどうかじゃない?

世の中には二つの壁がある。一つは苦しすぎる衆禍の壁、越えられないもの。もう一つは自分の力量の壁、越えられるもの。この二つがある。能力さえ磨ければ、壁は壁にならない。

全て記憶するぞ。彼女が落ちてそれで他の大学で頑張って、よくわかんねえなって求人探してそれでも今こうして立派になれてることも。

父親と何かやってて楽しかった日はなかった。

彼女が専門学生としてやっていることや、彼女が恋愛に困っていること、彼が仕事を追っていること、彼は進んでいるけど。そういうの諸々、もとは考えれたタチではない。もしそこまで進んだとしたら、それはその期間がえぐい。

いうてまだ4年。雑務だけ追う。

仕事という関係性が好き。相手の懐に入り込んで気に入られるんだ。多分仕事の方が楽なんだろうね。

世界を駒で扱っていい。

40、50にまでなって自分の過去にしがみついててはいけないのよ。

なんでも勉強すれば身につけられると思うんだ。初めの段階から自分にはできないと決めつけてしまわないこと。あと、命を落とす必要はない。命を落とす必要はないが、それ以外でなら十分に命を懸けて学んでいっていい。

父親が自己愛だから楽しくなかったんだなきっと。

私にその気持ちが湧いてくるのは当然のこと。いかにここを抑えていくか。もちろんそれが湧いたままでゲームをすると、必ずうまくいかない。できるときでいい。やろうと思っているんだから。それが偉い。

尊敬する方の心配は、自分も同じようにやってみてから。

ペンが出てきた。

明るく元気に、他人への分別もあり。

親の不満は死ね。

時節が到来すれば親も分かる。

一生の不自由か、70年の自由か。
私が生きて世界に輝き、この世の宝となって本当の夢と希望を伝えるのだ。それまでの1年くらい、耐えてみせる。

俺は成功したうえで、世の中は成功じゃないと説く。
私は成功したうえで、人生は成功ではないぞと説く。

辛い時にこそ、謝るんだよ。

ありえない。まあありえないだったから。

芥川龍之介の心をもちながら、全力でやる人。

死んでも楽の未来を掴み取るからな。

基本的信頼 自律性 積極性 勤勉性 アイデンティティ

こいつを死なせたら、この世のチャンスがなくなるぞ。

このアンネ・フランクでも、地獄行きなの?それじゃあ生きる意味ってなんなの。

悲しみに悲しみを負い、悲しみに悲しみが生まれる。

喜びに喜びを誓い、喜びに喜びが生まれる。

全人類を活かそうという希望と、特定の人物に対する恨みが私の心の中に混在している。

虚心にして頭を下げ、ひたすらひたむきに取り組む。

幼い頃の悲しみと不足は、たとえ周りが変わっても、その子の人生に長い尾を引く。

自分の人生の歴史において、彼に「そういう時は助けてくれ」と言えたのはある意味私の人生の中で大転換点だったのではないだろうか。

私の人生は苦しくて全てに虐げられるけど、よかった、乗り越えてまた明日彼や彼など共感できる友達の前に行ける。学校に行くことだけ、なら私は得意だ。何の予定もつくらないこと。

めんどくさい仕事に耐えて、"笑う"力さえあれば、君を支えてくれる仕事仲間ができるんじゃない?

あまりにも脳への負荷が大きくて、縁がとても少ないと、人間の深淵と虚像に入ってしまうけれど、順調に仕事や社会に馴染んでいく練習さえできればその人は実地の経験と感覚という光を胸に抱きながら企業に守られ、親密なあたたかい日常を送れるのではないだろうか。

このメモで、「大変なときに立ち向かう大切な心」さえ磨いておけば、あとの日常は光りになる。

家の中で動かずにじっと考えているよりも、何か仕事に向かって熱中して体を動かしてふっと一息つく時の方がいいアイデアが湧くんだよな。

2023年5月21日

多分、荒野が楽しくなる日は来ない。

あまり切り詰めないで。

優しさは奥が深く、優しさを持つ人の人生はさまざまな程度に奥深い。それでいてしっかりとした喜びがある。

何か思うことがあったら、私はこう思うんだけどって言えばいい。

知らないわ。現代の人の生き方なんて。

余力でやればいい。そして余力でやるのも立派な努力。

想像したものがはね返ってくる。

主観をガラリと変える。

何も予定を入れない。それを一ヶ月続ける。

物理的に量を減らさないとダメなんだな。

心に余裕がなくなると、苦しみの苦及も出てくる。

この学生の心理臨床をする。

知らぬわ現代の人の生き方なんて。

全員幼少期からの延長線上で小学・中学・高校の延長線上のような人が大学生になっている気がする。

大学生って、ハードルは低いかもしれない。
そんなハードルが低い大学生だから自由で軽い。

努力が足りないんじゃない、努力をしすぎだったんだ。
そりゃあ、分からないですな。分からない。

行ってみりゃ、分かる。

私は強い人にはなれないと感じている時、もしその強い人を越えてた場合はどうなる?

私はずっと坂本龍馬さんのような言葉を言いたかった。だけど坂本さんが強すぎて、勇ましくて自分はなれないと思ってた。だけどひょんなことからなんだか言えそうな気がしてきたんだ。それは楽をするということ。楽をすることで、能力が開花していくということ。

全てをやろうとしすぎでは。

要は事は自己愛なんかを越えたとこにあるのでは。

エリクソンと自利利他が、もっと頑張らねばを生んでいた。積極的に人と繋がらなくては。だけどそれは本当の意味で繋がってはいなかったか。仕事量を減らす、それで一年継続していく。そんなんで、自己の確立がなっていくのか?極端には堕落してしまわないか?と思っていたけれど、堕落するどころか、自分を輝きのあるものにするために必要な事だったのかもしれない。休むこと。これによってエリクソンと仏教を知れるかもしれない。

努力もしないで、なにをのさばる。

優越感と劣等感は学習能力とは程遠いとこに位置する。

家庭の影響が大。

要は見栄があり、愛がない家庭。

人の数は多かれど、精神の域は少ない、これが大衆社会か。とびはずれた、頭の狂った、面白いやつはなきか。

ココヨワHSP仏教 主観・空間を提供するサービス。

努力は1人でやっているのがいいのよ。

2023年5月22日

彼の自分の気というものも学べる点があると思うんだ

絶対、誰にも侵されてはならない個人的尊厳があるのだ
おそらくそれを持つことが人間関係を円滑にする根源。

彼女の不機嫌によって自分が心因的うつになるのは違う

どうしても大丈夫じゃない日もあるけど、そういう夜は、「大丈夫だ大丈夫だ」って自分に言い聞かせてやるんだ。自分すらも敵になるこの世界で、形だけでも味方になってあげるんだよ。

私が欲しているのは、苦しみの波に激しく飲み込まれている、余裕もなく、助けようの気持ちさえない、不安定だけの人が、打って変わって自分のエリアでどんなことにも対応可能、健全な意味で世界を駒扱いでき、至っていつまでも日常・恒常の人生を歩めるという願い。この何も持たぬ人が、ただちに変わらない安心になるという究極的なありえない救い。こうでもしないと人は救われたと言えないと思うから。

見つけられないで発掘されないままになる可能性もあるけど、大切なのは将来性や大変なときの立ち向かい方ではないだろうか。親密な仕事を一緒に創れるだけの人柄、大変なことになった時の立ち向かう姿勢。そういうのが大切なのではないだろうか。そして最終的には、そういう人が楽しい日常を過ごすのではないだろうか。

悲しみに悲しみを負い、悲しみに悲しみが生まれる。

最悪な日々が最悪な日々を生み、最悪な日々が最悪な日々を生んだ。

辛すぎて、言葉が出ない。

なんとしても悲哀は避けたいんだ。だってそんなおばあちゃんが1人でいるなんて、この世の極みじゃないか。泣いてしまうんだ。私は悲しくて泣いてしまうんだ。

優越感と劣等感生まれのわたしができたんだ。君にもできるさ。

少なからず私よりも安心したまま、信心決定する人もいると思うんだ。

水木には脱落しそう。今の感じ。

動画に"救い"はないように思われる。日々の日常に怠惰にながれるだけでは。

「あなたのとこに生まれ落ちたのが事故」ではなくて、「あなたのもとに私が生まれた時、あなたが親として成熟してなかった」のが事故なのだ。つまり、やり直せるということ。そしてやり直させるために誤ちは伝えねばならないということ。

父親の心をよーく分かった上で、違う進路を取る。

現代の方が色々生きてる中で、差別化をするのが父親。

悲しかったら、泣いてもいい。泣くのが自然に止まるまで、思う存分泣いたらいい。

そのうち、そうそう笑い事ではなくなってくるぞ。
だが、私は世界は多様だと知っている。有名にならなくてもいいのだと応援してくれる人たちがいることを知っている。

努力なんて1人でやってるのがいいんですよ。だってそのうち密かにやってたことも評価されちゃうんだもん。そのうち見つかるんだから、別にわざわざ努力してるものを見せるまでもないでしょ。

優越感でする勉強は余計に事態を悪化させる。

ではなぜ私は抜け出せたのか、抜け出しに近いのか。
苦しみを長らく耐えた時期に何かがあった。

私が気をつけなければならないのは、予定。これを操作しろ。必要最低限でいい。貯金が莫大すぎるから。

ちょっと今日は頑張りすぎたな。少しは、休まないとな

プライベートな事も書かれてるから、このメモは私物にする。

地味に一つの服と一つの靴で、やっていく。節制。

私の両親は鬼だった。人ではなかった。

自分の中の鬼と仲良くする。

私は謙虚に淡々とやる人。

拡大と収縮を繰り返している人生はその成長率がえぐい

気が莫大すぎて、頭がくらっと来る生活を、一ヶ月続ける人は、きっとその結果は光明の結果になると思う。

英語と理科課題研究が面白く、国語と数学と現社がつまらないかな。だけど国語の設問と作文は面白い。

ありがたいな。ありがたいな。学校があるのはありがたいな。

人生50年をかけても、持戒は難しいものだと見る。

人は見られない面を見ると、薄暗いものを持っているというが、おかしなことに私の場合は裏に行けば行くほど努力が出てくる。真面目が出てくるんだ。[名誉第一観定〕

ビジネスに必要なのは才能じゃない。ビジネスに必要なのは優しさだ。そしてそこから湧いてくるアイデアだ。

その人の生き方や生きやすさは、社会の認識の仕方によるのではないか

うまくやる、も所詮才能。できるというのは実地の経験

一つ一つ積み重ねていくことでしか、道はないのよ。
でも、一つ一つ積み重ねればできるようになるのよ。

反省をするときに、人生全体を眺めてみないといけないことは、初めて知った。

子どもは最初から親のことを死ねとは言いません。もし子どもがあなたに死ねと言ってきたとしたら、あなたが過去に子どもを何度も殺したのでしょう。考えてみたら分かる。

子育ては責任を持ってやらねばいけない。責任とは人間としての強さのことをいう。

私の父は人間として弱い。

私の父は見栄や体裁としては強いかもしれないけど、優しさや懐の深さという人間としての価値は弱いですね。

見下す。というより、下に位置する。

友達や彼女や先生によって助けられた。

父親は死ぬときに満足できないで終わる人。

何も言われない父親が可哀想だと。

別に父親が今死んでも、やったことが返ってくるだけだから、自分のやったことが分かるんじゃない。死んだ後に。

子どもが優越感や劣等感の塊になって、ましてや強迫性障害や躁鬱病、自殺未遂までしていて、鬱病になって現実感消失症になってるんなら、深刻な機能不全があるんだろう。

家庭にいることによって害を受けてしまうこと。これがいけない。

事は本気とか全力とかそんなことをとうに越えているのだ。どう取り返しをつけるのだ。この結末に、この悲劇に。

小学生の頃からずっと、スポーツをするとき、何か強烈な不安感と疎外感が共にあった。それは高校の部活まで続いた。部活はそこで終わったが、浪人期、オープンキャンパスまでそれはずっと続いている。

この世界の盲点が私。残念だったな。2100年

過去にされたことがただ重いんだろうね。それだけショックで強烈で、人格形成を阻害する素因だったんだ。

自己愛にしか興味がなくて、ただ他人の欠点をあげつらうだけが取り柄の、何の人生の満足も喜びも知らない、不可解な精神的情緒を保っている、苦しいときには逃げ出すような、何も持たぬ人なんかに、自分の人生の時間をかける気は、最初から微塵もはなはだないわ。

人間的な魅力を持つ人になれる人って、辛いとか悔しいを人一倍感じて、それを乗り越えた人なんじゃない?

一度会わねば。住職が死んでしまう前にー。

世渡る僧となるぞ哀しき

中一の頃からその元凶があったか。

大人が戒められてるんですよ、彼女に。

世渡って、ふふんとなる気持ちが働かなくなるようにしろ。焦点はそこに置くな。

辛い時は全力で休む。

2023年5月23日

自分は何も変わらないままで救われるのだろうか。好きなものは好きなままで。

あまり多くを語らない。あまり多くを語る必要もない。

彼女には彼女の顔を、それぞれの人を使い分けるのってとても大事。

彼の自分がない感じが当時は引き合ったのだと。

虐げられてる人が不幸とは限らない。虐げられてる人を見下げてしまうことが不幸である。もっとそして究極的に言えば、そういう人間の平等な価値が分からないことが不幸である。

自分に尊厳がなかったら、自分を大切にしようとはもう思えない。

結局、崩壊しては生きてられないのよ。

だから慎重に謙虚に行かなくてはならない。

寝言からなんとなく分かった。

夢の中で、マインドフルになれるか?

気づいたけど獲得できなかった人も多い。

1の安心と70の非安心。この1の安心を伸ばして拡げよう

先生とだけ、話させておくれ。

あの自立機能が失われるうつ病を経験したら、日常が愛しく見えるよ。

私は気をつけて、気をつけて行け。本当の信楽になるために。

彼女の持ってる親密性を分かってみないで、彼女に努力が足りないとは言えないだろう。

成人して名誉を追うようになってしまった人を見ると、小さい頃の不足・可哀想が傷として残っている気がするんだ。幼少期や小学生時代にまったく見てもらえなかった、親の見栄に付き合わされた、激しく教育された、それが根底にある気がするんだ。

人は旅路が違えど、それが順調な過程なのだとしたらみんな安定という山の頂に向かって進んでいるのではないか。

彼が釈迦のようになってるのを見る。
動じない。

何か私は夢と希望拡がる親密な熱中でたくさんのことをやりたいのかな、だけど本当は家でゆっくりしてたいだけなんじゃないかな。

YouTubeの高評価はリラックスできるものだけでいい。

安藤忠雄さんでさえ、自由だろう。若い頃から。

この大変すぎる世界で、経験を積んだ方が謙虚な時代に、なぜか我が物顔で生きてる男は、ただたまたまうまくいっているだけの人なのだろう。

夢を追わないと生きてられないから。

碍りが碍りとならない状態、生きてその喜びを伝えたくなる。死にたいとはもう思わない。

サーモン寿司セット、うまかったな。

人が死んだのかもって深刻に心配になる場合、自分が相当まずい。今日も危なかった...。

今日は比較的なんもやんなかった。ここの意味はデカい

相対的に愛情が足りてないんだろ。

彼女が自分を大切にしているから、わしも自分を大切にしていいのだと分かった。

何かに動かされている。プレッシャーに。

乗り越えていくこと。その手前で、忍耐すること。

自分を韜晦していられるを30年続ける。

大学に行ったら稼ぎがよくなるとか、高卒を抜いていくとか言ってるけど、それは一般企業に勤めた場合の話だろ?

小学校に思うことの総体が、中学の優越・劣等に結びついてたわけでしょ。

私が反省する時に、親との関係は切っても切り離せないのよ。

みんな何らかの形で問題が起こる。

9年間、心の繋がりがなかったんだ。鏡を凝視して自分が見つからないのも当然だろう。それにその前の小学生が希薄であったことも確か。ここからだ。ここから一つ一つ取り戻す。

自分の反映へ怒っているようなもの。

この3日間気持ちいいな。

見た目だけで人を決めるのだったら、その人の人生はとてもつまらないものになるだろう

力を持ってない人が力を持てちゃうんだなあ。

もう壮行会の後は待たねえわ。

みんな自分の話しかしない。

このメモは私物にする。

彼の話を聞けているか とも思うけど、限界的に話を聞けないときもあるさ。色々話を聞いた日も多かったんだから、それは五分五分でお互い様だ。

この世の悲しみの極み、極みの悲しみを感じる場合、あなたの親があなたに対して大量の不足があったことが予感される。

心の奥での平等を理解してないと本当の分かち合いは生まれない。そう聞かされるが、はたして差別意識を持ってしまう私たちが本当の平等を理解することなんてできるだろうか。悲しき業を持ってしまう私たちに。でも私たちは諦めない。それを理解するまでの研究・創意工夫・努力は怠らない。恐らくそれをすることが私たちが年をとったときに「笑えるか」「笑えないか」を分けるものだと思うから。自分の人生を決めるものだと思うから。

一瞬の瞬間で、自分の体調を調節してあげる。

考えてしまうことは人であるかぎりしょうがない。考えたとしてどう行動するかを選んでいくことはできる。

苦しい生活を乗り越えて、今日も変わらず友達と笑う。

人としてよくない部分をしっかり見つめて、人としてよい選択を取る。

私が気をつけなければならないのは、全気修行を持っていることと予定が組み合わさってしまうこと。だから予定を入れずに、自分の力をセーブすること。逃げて、逃げてやり過ごす。逃げる経験もしてみよう。

友情と黒閃を併せ持つ。

夢見る大学生活へ向けて。

虚像で現実に立ち向かってるから辛い。
現実に現実で立ち向かっていれば易い。

何もかも手にする人は、何もかも手にしなくていいという思考を持っている。

ほしいほしいと欲すれば渇き、
与えよう与えようと出せばモノで溢れる。
心が豊かでありたい。利他を意識したい。

稲盛さんや安藤さんや松下さんの心配は、自分もそれをやってから。

心の健康は、利他からくる。そして利他を実相で思えるための縁に触れる経験から来る。

持戒できなくたっていいじゃないか。自分も1人の人間なんだから。まだ若いのだし。

心の自由がほしい。

ひどくなっちまったら、まだ大丈夫。まだ大丈夫。って納得して生きてくしかないでしょう。

私は必ずホワイトニングする。生きること。

もうコーヒーも控えないとな。実質、本当の喜びにはなってないし。

これからなにを飲んで落ち着けようかね。

時期が来た時に君のその思ってること、それを話せるようになるまでの忍耐が必要なんじゃない?そこさえ耐え続ければ、道はひらく。

彼女が簿記とか資格試験をやるなら応援する。

3日間体調悪い。予定がないから悪化することはないけど

月曜気の高まり。火曜その引き継ぎ。水曜は何もなかったが具合悪し。

実力はあるわ私は。そりゃあるわ。変わらぬわ。

2023年5月24日

運命を消滅させる。入りゃせんわこの本気に。打ち殺す覚悟だ。誰も邪魔はさせない。死んでも、恵まれるぞ。有象無象に興味ないわ。私は私だ。

彼女たちのような生活は私には許されなかったもの。

鋭い指摘はできても、自分への刺激はできない。だから他人のことは言えない。

夢のある大学生活に向かって。

私は本職で本気出す。バイトは下っ端でいい。

全てが演技になる気持ちがわかるか?

エリートマンなんていう職業はなくて、あるのはある企業の特定のニーズ、またそれのための作業なのだと観る。街にいるのは過程であって、結局作業が大事。多分そこに目指すとこはない。

作業をして生きさせてもらえるのならば本望。

70歳まで生きられたなんて幸せだねえ。

俺なんかヤバいかもと思ってきた。これがアイデンティティなのかもしれない。

思想的に、今に満足すること。それしか方法はない。

反発せられるのも、ココロヨイ空間が生まれるのも現時点で決まってるのではないだろうか。

「道草、ゆとり、遊び」

仕方ないから親と付き合ってるだけです。

ありがたいな。ありがたいな。20年我慢すれば、いずれは自由になれるのはありがたいな。

厳しさは不安と不幸だったか、と観る。

頑張って疲れ果てそうに倒れ果てそうに綴るが、"頑張るしかない"仕事はするべきではない。究めて、"頑張る"仕事はするものではない。リラックスできるものをするべきだ。ただリラックスするというものも、努力の先にしかないものだろうかというのが今の疑問。

思想を持ってることによって、いらない苦労をしなくて済まないかという点。安心して過ごせる点。

放射型の二元宇宙論。

自然はなんで美しいか、無私だから美しい。厳然と。ただ因果のみがあるから。

結局は欲に飼われるか欲に飼われないかが精神安定剤なんじゃない。

このメモに何度も救われてきた。

ここまでしとく。仕事ではそれが大事。

大人の方が気にも留めないことを気にする人がいかに多いか。

長い長い、夜が終わった。

命を懸ける部活もしないで、何を我が物顔でのさばる

今は考えなくてもいいか、と見る。

心を開発するエリクソン 30代40代

高校は居場所があって楽しかった。あぁ大学作らなくちゃなぁ...。

早めに人生から降りてしまうこと。早めに人生を完成させること。

稼いだお金とそのお金で体験できる経験の量が、比例してない状態となる。経験が低コストで大きすぎる。

バイトが扶養に満たしてしまいそうな時、バイトがない平穏な日々は余力で実力を磨くのに当てる。もちろん休む。

仕事を一つ一つ覚えて、色々やる中で、アイデアが湧いてきてそれがうまく仕事に落とし込めて、自分のアイデンティティ上でゆっくりとキャリアを形成できるように、韜晦する。そこまで行けば一流で退屈、の状態が来る。らしいけど、それは一つの仕事だけの話。縁に気づけばずっと楽しい。

果たして私が想像したものと同じになるか?未来が。疑問に思ってきた。だが、まだ考えなくてもいいか、まだ猶予はある。6月中はね。

生きることが、許されてないんです。私は。

無意識で、子供を道具のように扱ったんだろう。

最初からそうだよ。

このメモを一旦置いて、人としての安穏の日々をまず手にする。楽になる。

打ちのめしてやろうか。別に打ちのめしてやろうと思わなくても打ちのめすだけのパワーはあるぞ。それを教えてくれたのはお前だぞ。

打ちのめしてもいい。押された百分の十を返す。

私の努力は尊いものだが、急を要するものではない。

楽して生きてやる。業務でいい。10年間は放しててもいい。

私はこれから降りかかってくる問題に、降りかかってくる運命に、立ち向いたいんだ。そこくらいにしかあまり興味がない。

努力を打ち続けた人の、何の気なしの一言(対応)が面白いんじゃない?

努力はやめない。やめるわけない。

学習能力はずっと続けていくよ。ずっとずっと。

子どもに期待ばかりをかけた不幸の結末として、子どもが劣等感を持ち、人の道から外れる、または人を下に見るための行動を一生懸命取るようになる。期待をかけた不幸の結末。

弱いやつほど、人を許さない。

いつも頑張っている、私だもの。いいじゃない。

当たり前だ。そんなやつと同じになるか。

なんで一つのことで窮しなければならないのだろう。
心の転換が出来ないのだろう。

健全に恋愛をできる可能性だってあるはずなんだ。

自分を厳しく痛めつける反省はやめよ。

いつからか、苦しみしか感じなくなった。

企業や学校に育まれて創るはずのことを、1人でやって、それでいてこの世界の考察を続け、学校生活も送っているのだから、人一倍疲れ、人一倍気負うのは当然だ。

2023年5月25日

彼女からライン来てなかったからよかったけど、もし来てたら具合悪くなってたと思う。

世界の悲しみの極みと、人間の悪意を感じ続けるのがうつ病だ。

自立機能もない人がよくよく自分を保てるようになるまで。

自立調整機能

縁が触れる前に、自殺してしまうのも仕方ない。

何も予定を入れないぞ。何も予定を入れないぞ。

落ち込みがひどい。
なんとかなんとかやりくりするしかない。

20頑張り、80リラックス。

100リラックス

世界の人の心配をするな。自分の心配をしろ。世界の心配をしてる時点で、自分がやばい状態なのだから。

1人の人間があこんな仕事をを信じられないよう。

何も感じず、フラットに、世界を見てみよう。

月曜日から大変、火曜日過酷、水曜日残酷、木曜日地獄。頑張ってるよお。頑張ってるよお。

死ねと思っても大丈夫だよ、って受け入れられるから、死ねっていう気持ちが長続きしない。

抑えつけられると返って統制がとれなくなる。

今日はうまくいかなかったなという日でも、しっかり休んで、自分を癒して、ちゃんと寝て翌日気持ちよく起きたら、謙虚にまた元気にやりなおせばいい。

世の中はそんなにそんなに君に課さないさ。
世の中はゆっくりしてもいいんだ。

周りを見てごらん、君より気が小さいのに日々生きていけてる人がいっぱいいるでしょ?

ゆっくり、のんびり、小さい努力。これでも日々は生きていける。

今を幸せに生きてる人が、来世で地獄におちるのか?
それは何か、大根からスイカが生まれるようなものではないか?

やっぱり自分の体調を良くするという面ではセルフプレジャーは悪じゃない。

悪を解放したら善に変わる。なぜだ?

幸せに生きるHSPさんの後生は守られているのでは?

幸せ=守られているとしか言えない。

リラックスして生きよ。生き方を変えよ。

自分の話ばかりする友人にイライラする。
もっと打ち破ればいいのに、と思う。

大愚。笑い・センス 南無阿弥陀仏 ココヨワ生き方

地方で幸せに生きて、その幸せをみんなに分けたい。みんなで笑い合いたい。どんな悪でも包容していく。

狩野英孝

現在で幸せだから、別に人の興味ないんだよねえ〜

HSP繊細さん×仏教 阿弥陀仏の真似をさせていただく

オタクで一位、気弱でか細いんだけど鮮烈な一筋の光をモデルとしています。

自分らしく生きる。

先生にそのままでいいんだよってことを、伝えたかったんだ。

みなの心を胸打つゲーム作品を一つ作ってみたい。

ゆっくりやっていきたいと思えた。

私が休むことで、むしろ周りが喜んでくれる。

努力も自利利他もその深い意味を、まだ私は分かっていないのだと思う。

中学生と高校生の、心の向きがよくなかった。

生徒会は統制が体育会系だからダメだった。メンバーも悪意のある人が多くてダメだった。

引越しは完全に体育会系でダメだった。教育システムも杜撰だった。やってる人となりも7割がダメだった。

ブログ、人を助ける仕事は自分が助かってないからダメだった。自分が助かってないと人を助けられないと知った。

学校生活、なんでも本気で取り組んでしまう、手を抜けない、それは美徳かもしれないけれど、11月から連続で7回自殺級の苦しみが来てることを考えてると、頑張る、という対応ではどうにもできないことだと知った。

これからの未来も何が起きるか分からない。多分受験ですら大学ですら、オープンキャンパスですら自分の想像とは違ったものになる。経験してみなければ分からない。経験や業務はどうなるか分からないけれど、良い経験と良い環境に恵まれるための種は分かる気がする。

経験への確信=安心感

エリクソン発達課題的に善の心が開発されているか、それが大事だと思う。

私は中学から心の向きが良くなかった。それによって人間的の成れの果てを経験した。

答えを言うことに一生懸命になっていて、肝心の疑問については何も触れていない状態だった。最初の聴聞は

友達と彼女と先生によって善性を回復した。

20年間の牢獄。20年間の監獄。呪縛、毒。

肩こりがひどい。22年間の。

親といたから病気になった。

ああもうくだらん!私を悩ますな!!
私に入ってくるな!!!!

努力をそこまでしない努力とする努力。

差別しないように差別しないようにと必死になると差別になってる。でも最初から差別すると、平等になる。

何もしなくてもいい。業務だけでいい。それで元気。

人に負けるなという発想を子どもに押し付けている時点で人として負けている。

そういうの全部めんどくさいから、突き抜けちゃえばいいと思うよ。

その人その人への顔が大事。人間関係を円滑にするために。

暗い気持ちで5日間通った。暗い気持ちが一貫していた。

余裕がなくなると、イライラしやすくなる。まあそれも耐えたのだが。余裕があるに越したことはない。

煩悩からは誰も逃れられない。

イラつくこととか、大変なこととか自分にいっぱい起きてるけど、変わらず何もなかったかのように笑うんだ。

自分が打ち滅ぼされてもいい。世間に敵わなくてもいい、そこからスタートだろ。というが、世間に何か価値を置くまでもないし、気持ちもない。

メモに書けないなら、心の中で思えばいい。

俺は成功する。誰も邪魔はさせない。

語る気もない。

2023年5月26日

このうつの記録は、機能不全家庭にいながら欲を廃するという聖道仏教の教えに触れて、浄土真宗でいう機責め、的なノイローゼに陥ったものの記録である。

しかしそれでいながら生きる希望を取り戻そうと、なんとかもがいた記録である。

創造的な力、創造性を外界に向けるのではなくすべて内面に向けて発揮されたような、記録である。

親鸞が阿弥陀仏信仰に目覚める前、救いを求めていた頃に霊夢(れいむ)を見たと聞く。その霊夢は本当の師法然上人のことを伝えるもので、余命宣告は迷いの寿命のことを言ったという。分かりやすく言えば「お前の命はもう少ない、明らかに本当の仏法を聞け」というお告げだったと聞く。

私はその霊夢からインスパイアを受けて、これを霊夢的メモと1年ほど前に命名した。しかしながら私は霊夢、に対しては懐疑的である。科学的な姿勢で持ってしっかりと向き合わなければならないと思う。決してよく分からないからすごそう、で神格化をしてはならないと思う。

機能不全で自分の欲を生かしたことがなかった。そこで自分を変えようと、あるいは強化をしようと欲を捨てる仏道に向かった。それ故に強烈なノイローゼに陥り、2年間の後遺症を残した。これはそのうちノイローゼに陥ってから1年半ほど経った時点での記録である。

数年後の心理学の分野で、一つ有益な資料になるかもしれない。そう思ってこのメモを公開した。

何度も繰り返すがこのメモの特質は、「機能不全家庭に育ったことによる自愛をできない人間が、欲情をコントロールするという聖道的な仏教の教えを聞くことによりノイローゼとなり、死の不安と生の絶望に苛まれながらなんとか生きる希望を見出そうともがいた記録であり、そして年齢を経たことによって出てきた身体的な体力あるいは創造的知性がその内面的な欲情を抑え込む修行的な教義によって、すべて内面の中で発露され、その結果名言や格言と言われるような未来予知にも似た現実世界への洞察と考察が生じ、それがさも親鸞が見た霊夢のような働きをしているように見える、という構造をとった記録」である。

心理学的な機関を私は知らないし、たまたま友人がノートをやっていたこともあり、ノートに公開した。

しかしこれはぜひ心理学の専門機関の方々にも見ていただきたい内容となっている。

自愛をできない青少年の病理に、何がしかの示唆を与えることができるならば望外の幸せである。




私は17歳の頃、孫正義さんに憧れていました。ソフトバンクの創業者です。孫正義さんに憧れ、生き様を真似ようとしました。しかし孫さんを真似することは現代的には死を意味しました。少なくとも、私には。なぜなら孫正義さんが生きていた時代はハングリーモチベーション、つまるところ自己実現の欲求で生きることが可能だったからです。それは成功者になってやる!とか、大きな家と幸せな家庭を築いてやる!と言ったモチベーションです。それがハングリー、ということです。しかしながら現代を見てみますと、そのハングリーさは最早消えかかり、人々はこんな自分が生きていていいのだろうか、という今にも消えそうな蝋燭のような生き様をするようになりました。おそらくそこには現代を構成する"大人"の精神の低年齢化、が潜んでいることと思われます。私も機能不全の出自ですし、今や日本は非常に危機的な状況にあると思われます。人々は最早自己実現ではなく、生きていていいのかという自己疑惑の生活を送らざるを得ない状況です。私はそんなことではこの日本は日本ごと死ぬと思っています。だからこそもう一度子どもたちに情緒を取り戻させ、そしてもう一度"生まれる"体験をしてもらうことで、はじめて自分というものの人生を生きていってほしいと思います。私はその助けになれるかどうかはわからないですが、そのために心理学・哲学・文学などを学び、実存的な苦悩を解決する道標を示したいと思っています。

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