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本能寺の変1582 重要 ◎第59①②話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

重要 ◎第59①②話 

9光秀という男 4教訓 

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
その一因 目次大 目次中 
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【 重要史料 】 【 人物 】 
*加筆修正 

◎第59話① ◎小59①    第59話

 光秀は、土岐の歴史から教訓を得た。
 
 光秀は、土岐の一族。
  我が家、我が先祖を誇りに思っていた。
  知れば、知るほどに。
  輝ける栄光。
  そして、一転。
  崩壊へ。
  「将軍の罠」
  光秀は、教訓を得た。

 一、主君ならばこそ、油断すべからず。
   先祖たちの、血と汗の結晶。
   土岐氏は、頼康の代に、最盛期を築き上げた。 
   それを潰したのが、将軍足利義満であった。
   土岐の栄光は、無惨にも、主君の手によって打ち砕かれた。

 一、頼むべきは、己の力ただ一つ。
 
  土岐の一族は、盟主を失った。
   結果、「土岐の桔梗一揆」は崩壊した。
   諸家、それぞれ、生き残る道を模索する。

 一、打つ手を違えれば、明智は消滅する。
   これすなわち、油断。
   義満は、そこを衝いた。
 
  以後、土岐氏は衰退への道を歩む。

 光秀の脳裏には、常に義満と信長があった。
 
 将軍 足利義満、・・・・・。
  主君 織田信長、・・・・・。

 光秀は、自身と光慶を土岐頼康と康行に重ね合わせた。
 
 油断すれば、全てを失う。

 そして、将軍 義満を 信長に置き換えた。
 
 光秀は、信長よりも先に死ぬ。
  光慶を残して・・・・・。

 光秀は、戦国の世を生きぬいて来た男。
 典型的な戦国武将なのである。
 信長を信用していない。

   【参照】4光秀の苦悩 1嫡男光慶 ◎第7話  ◎小7
   【参照】8光秀の苦悩 1守るべき者 ◎第47話

◎第59話② ◎小59②    第59話

 光秀は、新参者。
 
 光秀が信長と出会ったのは、おそらく、永禄十一年1568、 信長が、
  義昭を擁立して上洛する少し前の頃。
  したがって、家臣になったのは、それより後のことである。

   殿内にあって彼は余所者(よそもの)であり、外来の身であったので、
   ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、
   自らが受けている寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを
   身に備えていた。

 光秀は、信長の性格を知り尽くしていた。
  
光秀は、洞察力に優れていた。
  信長の性格・性分を知り尽くしていた。

   彼は誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、
   その親愛の情を得るためには、
   彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、

   彼の嗜好や希望に関しては、
   いささかもこれに逆らうことがないよう心掛け、
                           (『日本史』)

    【 重史 001 】 ◎第52話① 
     殿内にあって彼は余所者であり、 『日本史』

 信長は、合理主義者。
 
 信長は、無駄を嫌う。
  「狡兎死して、走狗煮らる」
  用が済めば、捨てられる。 

   【 重史 009 】 ◎第14話 狡兎死して、走狗煮らる、「史記」

 光秀は、この様な緊張感の中で、信長に仕えていた。
  信長は、恐ろしい男。
  一瞬たりとも、気の抜けぬ相手。 
  「油断」、すべからず。
  「隙」を、見せるべからず。

 光秀は、用心深く、疑い深い。
 
 言い換えれば、慎重かつ堅実。
  失敗せぬ男。
  出来る男、役に立つ男、なのである。
  信長の期待に、見事、応えた。

   【参照】9 光秀という男 1フロイスの証言 ◎第52話②

 光秀は、典型的な戦国武将。
 
 激動する戦国の世を生き抜いてきた男。
  目的遂行のためには、手段を選ばず。 

 光秀には、先が見えた。
 
 戦国武将ならば、こそ。
  先が、見えた。

  残り時間は、少ない。
  光慶は、若すぎる。
  明智は、大きくなりすぎた。
  ・・・・・。

 信長は、光秀を信用してない。
  
信長は、恐ろしい男。
  猜疑心が強い。
  用心深く、隙がない。
  家臣ならば、こそ。
  表の顔と裏の顔。
  肚の底では、光秀を信用していない。 

 光秀もまた、信長を信用していない。
 
 光秀も、それは同じ。
  気取られれば、殺される。
  心の奥底に、その思いを封印していた。

 相互不信の時代。
 
 それが、戦国時代なのである。
  絶対専制君主と、新参者の家臣。
  恐ろしい男と出来る男。
  天下布武と立身出世。
  その結末が、「本能寺の変」だった。

 光秀は、忠義心が薄い。
 
 光秀は、少なくとも、二度、下剋上を行っている。
  一、元亀四年/天正元年1573、将軍義昭の追放。
  一、天正十年1582、「本能寺の変」。
  主君への忠義心が薄いのである。

   【参照】9 光秀という男 1フロイスの証言 ◎第52話②

 光秀は、自立心が旺盛だった。
 
 言い換えれば、そうなる。
  独立心が強かった、ということである。
   これもまた、戦国時代ならばこそ。

 なれど、信長は、自立を赦さず。
 
 赦すわけがない。
  それが、信長。
  絶対専制君主。
  自立=裏切り=謀叛
  波多野秀治を見よ!!
  松永久秀を見よ!!
  荒木村重を見よ!!
  光秀は、その渦中に身を置いていた。

  これらについては、後述する。

 信長は、不意を衝く。
  佐久間信盛を見よ。

  【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ
   ◎第10話①  ◎小10①
   ✓           
   ◎第11話    ◎小11 
   ◎第12話    ◎小12 
   ◎第13話    ◎小13 
   ◎第14話    ◎小14 
   ◎第15話    ◎小15 

 光秀は、粛清を怖れていた。
 
 今では、ない。
  だが、いずれ、「その時」は、来る。
  ならば、いつ・・・・・。
  「天下布武」の成った後、・・・・・。

  【参照】4 光秀の苦悩 4粛清の怖れ ◎第14話 ◎小14

 時は、戦国時代。
 光秀は、典型的な戦国武将。
 先手を打った。
 それが、「本能寺の変」。



 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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