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2022年の制作を振り返る
あっという間に一年が過ぎていきます。
何もできずに終わったようで、振り返ってみると「あれはまだ1年前のことだったのか」と思うことばかり。
2022年も、やっぱり製本から始まっていました。
1月
前年から引き続きご依頼いただいた初めての装丁依頼に全力で取り組んでいました。
2月
3月に出展するMOTOYAさんの『BOOK LOVERS』出店準備を行いました。
3月
喫茶frameさんで行わ
「春一番盗んだバイクで走り出す そんな俳句を昔作った」
枡野浩一 さんの短歌が好きです。
以前、又吉直樹さんのYoutubeチャンネルで、枡野さんの「本人が読む場所に書く陰口はその本人に甘えた言葉」という短歌を紹介しているのを見ました。そして、一瞬で心を掴まれました。「ああ、意地悪なことを言うのは、確かに本人に甘えているなぁ」と、妙に反省しました。
後でその短歌のことを調べたら、なぜか西荻窪にある書店「BREWBOOKS」さんのページに行きつきまし
生きることと働くことについて考える
最近、「働くこと」について考えることが増えました。
「将来、何になりたいの?」というのは、暗に具体的な職業名の回答を促していて、広く将来を考えるには的確な質問ではないのかもしれません。
職業や労働は、ありたい自分やその生活を実現するための手段の一つに過ぎず「人は、働くために生きるのではなく、生きるための手段として労働を選択する」ということを再認識しています。
「とにかくお金持ちになって、物
2021年の活動を振り返る
2020年12月末、あるアーティストさんとご一緒した際に聞いた「『上手になったら出す』と言っている人は、いつまで経っても出さないから大丈夫」という言葉が心に残ったまま、2021年の明けを迎えました。
厳しいけれど、その通りだと思ったのを覚えています。この言葉は今でも私の中にあって、とても大切なものになっています。
そんな2021年を、少し振り返ってみたいと思います。
1月
平日は1日8時間以
「ワケあり雑がみ部」というワンダーランド
「雑がみ」というゴミの分別区分があります。
厳密には「資源」で、リサイクル意識を高めるため、わたしの街では名称も「紙ゴミ」ではなく「雑がみ」とする工夫がなされています。
人は物に対して、その名前にふさわしい扱いをするもの。ゴミはゴミとして、紙は紙として扱われるようになる。不思議。
そんな廃品をアート活動に昇華したのが、「ワケあり雑がみ部」です。
https://twitter.com/art
zineの価格について考える
zineというのは、個人が自分の思いのままに発行する印刷物で、その交換や販売を行うイベントは全国で行われている。
その中で「zineの価格」というのは、これまでも色々なところで話題になっている。この半年で、4つのzine関連のイベントで出品・購入した経験から、今後のzineイベントへの参加スタンスを考えたい。今回は、本人がその場にいない展示販売形式のイベントを前提として考えてみる。
<基本
感想文『手製本始めてました!~約10年のざっくりした備忘録~』永都りすさん
魔術書工房 永都りすさんの『手製本始めてました!~約10年のざっくりした備忘録~』が届きました。思ったよりずっしりしているのは、紙へのこだわりからというのがよく分かるzineです。
こちら、ミシン綴じでなく手かがりなんですよ(!)。
前書きの記載は、まさに私も思うところで。私がもごもご言葉にできずにいたことを、すっきり言葉で表現していらして、すごいなぁと思いました。
前書きだけで、こんなにド
なんでもない私の10年前の日記~東日本大震災のころ~
2011年09月11日23:16
タイトル:「平成23年3月11日」
携帯の未送信ボックスに、アップ予定だった当日の記録日記を見つけました。
震災から12日後、電気と水が復旧して、やっと日記が書けるようになった時に途中まで書いて、なんだか更新する気になれず今に至っていました。
6ヶ月の節目。
私も少し思い出してみようと思います。
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被災当日のこ
『ワタシのトリセツ』裏話
『mariのトリセツ』/『ワタシのトリセツ』という、2冊組のzineを作りました。
このzineは、私がコミュニケーションですれ違ったことがもとでできあがりました。
その人は、連絡しても返信はくれないし、約束の期日も守ってくれない。送ると言っていたものも、いつまでたっても送られてこない。どうにも嚙み合わなくて、最終的に私は怒ってしまいました。
でも、よくよく話をきくと、お互いの感じ方(ものの
なんでもないわたしの10年前の日記 東日本大震災のころ(はじめに)
東日本大震災から10年の節目を前に、少し書き残しておこうと思います。
これまで、あまり震災については言及してきませんでした。それは、自分に当事者性が薄いと感じていたからです。
震災当時、私は津波被害の酷かった東北の小さなまちに住んでいました。ただ、私自身は津波の被害は受けず、お葬式に出るほどの身近な人は亡くならず、地震の揺れによる被害とライフラインの復旧以降は通常の生活に戻れました。
震災か