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生きることと働くことについて考える

最近、「働くこと」について考えることが増えました。

「将来、何になりたいの?」というのは、暗に具体的な職業名の回答を促していて、広く将来を考えるには的確な質問ではないのかもしれません。


 職業や労働は、ありたい自分やその生活を実現するための手段の一つに過ぎず「人は、働くために生きるのではなく、生きるための手段として労働を選択する」ということを再認識しています。

「とにかくお金持ちになって、物質的に贅沢な暮らしがしたい」「多くの人から尊敬されたい」「人の役に立って感謝されたい」「優秀な人たちと競い合って、自分を試したい」「自然の中で暮らしたい」「世界を動かしたい」など、どんな風に生きたいかということに自分の適性や興味が加わって、適職が決まるのでしょう。

「どう生きるか」は、必ずしも職業を前提としません。

人生の目的の一つに自己実現があるのなら、仕事を通した方が達成しやすいと感じています。でも、自己実現の達成にそれ以外の選択肢があったことには気付かずに来ました。


 こういうことに、もっと早く気付けると良かったな、と思っています。私は人より理解が遅れていると感じることが多いので、気づいていないのは私だけだったのかもしれませんが。

 これまで組み上げてきた自分という立体パズルのピースが、ぽろぽろと落ちていく感じがしています。拾い上げて元に戻そうとするけれど、なんだか上手くはまらない、そんな感じです。

 結構がんばって、自分なりに誇れる形にパズルを組み上げてきたと思っていました。もしかしたら、私の生活やキャリアを羨ましいと思ってくれる人もいるかもしれません。隣の芝は、青いものです。

 いっそ、パズルを全部バラバラにして、もう一度組み上げた方が良いのかもしれない、という気もしています。
 でも私も、隣の芝を青く見ているだけかもしれません。

 自己実現は、一度で終わるものではないのかもしれません。一度目の自己実現を終えたいま、再構築するタイミングなのかもなぁと思っています。これまで常識だと思っていたことが、どんどん疑わしく思えてきて、なんだか少し大変です。


そうやって破壊と構築を繰り返すことで、人として大きくなれるのでしょうか。

 ブックハンターセンダイさんのレポートを読んだら、「(制作物を作るために費やした)時間は、その人のいのちです」とありました。ろうそくを例に出すまでもないけれど、火が消えるまでの限られた時間に何ができるのか。できないのか。

最近、迷ってばかりいます。

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