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ヴェーダ教典に学ぶ賢者の買い物

「買い物は、投票&投資である」

このことについて、私が日々学ばせている宇宙・人類の取扱説明書と言われるインドのヴェーダ教典で理解したことをシェアしたいと思います。

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『バガヴァッド・ギーター』第5章29節に、平和の三原則が書かれています。

・全てのヤギャ(儀式、供犠、苦行)を受け入れる、受け取る主人はクリシュナです。
・全ての惑星、全てのもの、全ての人々、全ての所有者は、クリシュナです。
・クリシュナは、全ての人の友人である。

クリシュナは、全ての人のハートの中にいます。

ところが、クリシュナは友人である、ということを理解せず、クリシュナの方を向かず、背を向けてアハンカーラ(罪、私は偉い、これは私のもの、など)の考えを持っていると、そのことが理解できません。

クリシュナの方を向いて、友人だと理解したら、私たちの恐れや不安はなくなります。

この世界はプルシャアバターラ、マハービシュヌによって創造されました。

二次的創造はブラーフマナが創造されました。

この世界の構成要素は「マーヤ」です。

「マーヤ」とは、物質エネルギー、あるいは幻影エネルギーのことで、これらは3つのグナ(性質)で構成されています。

3つのグナとは、

サットヴァ(徳性)
ラジャス(激性)
タマス(無知性)

です。

これらの様式で覆われる私たちの物質世界では、思考や行動がその様式に沿ったものになります。

つまり、色眼鏡のかけ具合で、見える現象が変わってくる、ということです。

考え方もその様式に左右されると、その様式の考え方になるのです。

サットヴァの様式の人は、神々を崇拝します。
ラジャスの様式の人は、人間を崇拝します。
タマスの様式の人は、幽霊や動物の類いを崇拝します。

サットヴァの様式の人々は、物事をありのままに見ることができます。
ラジャスの様式の人々は、結果を得ることに右往左往します。何が良くて何が悪いのか判断できない状態になります。
タマスの人々は、物事を逆に見ます。すべき事をすべきじゃないと言い、すべきじゃない事をすべきと言う。正しいことを正しくないと捉え、正しくないことを正しいと捉えます。

肉食は、タマスの様式に影響されています。
この肉はどこから来ているのかが理解できない、この肉は動物を殺して得られるということを理解できない状態です。

動物を殺す、ということが、後でどのようなリアクションを生むのかを考えていない、考えられない、ということです。

彼らはただ目先のこと、美味しいものを食べられたらいいじゃない、ということだけを考えます。
自分が満足するためには何してもいいでしょ、あなたに言われる筋合いわないわ、という具合です。

賢明な人は見えます。
動物を食べるということは、動物を殺す人がいるのだということを理解しています。

動物を殺すということは悪いことだとわかっているから、昔は、農家でも特別な日にしかしませんでした。

4本足のものは食べるものではない、ということを理解し、屠殺場で働く人たちの子どもたちがどのような状態になるのかが見えたのです。

動物を殺すということは、子孫に影響があるということがわかったのです。

人に物を施すということは、必ず巡り巡って子どもや子孫にそのリアクションが行くということを、多くの賢者は理解していたのです。

例えば鳥は、小さなスペースに囲まれ、運動が出来ないから病気になりやすい、だから病気にならないように抗生物質を打つ。早く太らせるために様々なホルモン剤を注入され、色が変わらないように合成着色料や保存料などが加えられます。

しかしこの物質界、そしてタマスの様式の人々は、ただ単にお店に売っているから買う、何kg、何g何円だから食べる。

小魚には放射性物質や汚染物質が入り、それを食べる大魚には、それらが凝縮されている。

しかしそれらを食べることで、将来どうなるかを理解しません。

賢い人たちは、肉を食べればどんなカルマが生じるか、人工、人の手が加わるものがどんなカルマを生じるのか理解できます。

近年、種は遺伝子組み換えで操作されてきています。

自然栽培の種を取ってはいけない、という社会になってきています。

健康のことは考えず、ある特定の企業を優先しています。

これらの思考や行動はみな、グナという性質、マーヤの影響、アハンカーラという罪から来ます。

この人生ですることは、意識を浄化し、至上主に身を委ねること。

そうすると、恐れや不安から自由になります。
自力では出来ない、この物資自然の3様式から逃れられます。

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と、ここまでは、大学院レベルのヴェーダ教典『シュリーマド・バーガヴァタム』(第10篇1巻 第12巻第3章12節〜14節)を解説してくださった師のお言葉を引用させていただきました。


日頃から、高いから買えない、高額だから続けられない、安いからこっちを買う、という会話をよく耳にします。

買ったその先のことを考えてのお言葉なのかはわかりません。

私は少なくとも、サットヴァの様式でお買い物ができているかなぁということを考えています。

都会のスーパーへ行けば、ほうれん草は1袋198円、青梗菜も1袋198円、大根1本198円、きゅうり3本198円と、お野菜は高騰化してきています。

無農薬野菜となると、ここからさらに高額になります。

私が普段いただいているハーブの一例を出すと、それは消化吸収されやすいように手間ひまかけてフリーズドライされていて、1本196円。

その中には、ほうれん草もきゅうりも、、さまざまな野菜19種類が入っており、世界一の基準の栄養素がバランス良く最適な割合でふんだんに入っています。

含まれる全ての野菜が無農薬栽培はもちろんのこと、単なる無農薬ではなく、完全ネイチャー、一度も汚染されていない土壌で栽培されています。

さらにその採取方法は、サスティナブル(持続可能)な社会を考え、100年先の未来にいる子どもや子孫、地球のことまで考えて、わざわざ手間ひまかけて、次の世代へと、再生可能な状態で採取されています。

そのように栽培されたハーブをさらに人体に影響がないように、一兆分の一の細かさで不純物チェックがなされています。

それらのハーブで作られた日用品(シャンプー、洗剤、ボディーソープ、歯磨き粉、クレンジング洗顔料、化粧水など)は、赤ちゃんの目に入っても痛くないことや、万が一飲んでしまっても大丈夫だといわれるほどの安全性。

水道管を流れていく過程と、その先まで考え、管を洗浄しながら99.9%川や海に還元される。

さらに、洗剤においては、それだけで食器も衣類も浴槽やトイレも野菜も果物も洗えて、入浴剤にもなる。

おかげでここにはこれ、あそこにはこれ、と、多種類の洗剤で溢れていた我が家はこの1つで済み、おまけに少量で綺麗になるので、家計費も水道料金も下がりました。

私だけではなく、他のママさんたちも同様に。

私はスーパーのお野菜ももちろん買います。
近くの農家で採れたお野菜も、しっかりお支払いして美味しくいただいております。

ただ気になることは、ただ値段だけを見て高額だと判断したり、誰かにおすすめするのを躊躇したり、購入を見送る思考のこと。

そう言っていても、化学薬品にたっぷり浸かったカット野菜のサラダひとパックを400円で購入されているの人を見ると、それこそマーヤに覆われている。

ただお店で売られているからと、目先の安いもの、化学的なものに手を出すお買い物の仕方は、サットヴァではなく、タマスの様式ではないか、ということ。

汚れや化学薬品を落とすために大量の洗剤と水を使い、さらに川は海は汚染され、土壌や野菜がその影響を受ける。

買い物、とくに日用品においては、消費という考え方で購入するから消費するようにしか使われないのです。

食材も、日用品も、消費ではなく、未来の自分への投資です。

地球で起こる自然災害の規模は年々大きくなってきており、これこそ賢者の心を忘れた過去の私たちの行動によるリアクションの現れです。

国が抱える医療費の借金も然り。
食事は健康のことを考えるのではなく、ただ目先の、、以下先に述べたことです。

私1人だけでは到底救えないものも、沢山の人が集まることでイノベーションは起こる。

これからは個々の時代ではなく、繋がること、集まること、結束していく調和の時代。

どうか少しでも多くの方が、サットヴァの思考を持って賢者の行動をし、お買い物を、消費ではなく投資の視点で出来ますように。

そうして、地球災害の猛威や、肉体・心の苦しみ、恐れや不安から逃れられますように。

Love in action.
Radhe Radhe,
Mangala Arati

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