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ただのブログを書いてみた
うちの田舎は、
夜はエアコンなしで、自然の風が心地よく、窓を開けて寝ていたら・・・
夜中の3時過ぎに
ものすごい、地鳴りのような雷がしたかと思うと、
次の瞬間、大雨で両足が濡れた。ひぇー!
慌てて、窓を閉めて足を拭き、布団を拭く。
嘘だろぉ!
せっかく、心地よく眠れるところだったのに!!!
寝るのやめた!
そこから起きて家の中の掃除を始め、整理整頓をする!
朝の5時半には、学問を追求する人か
▪️意志こそ、愛と勇気そして希望
意志は、善や美に対する志向を意味する。
つまり、意志とは、善や美を成就させたいという願望であり、要求である。善は、状況に応じて目的を自己に与える。
目的は、自己に目標を与える。自己は、目標が与えられる事によって、自己を制御する事が可能をなる。
善は、 自己に自律性を生じさせる。そして、目標に向かって自己を調整しようとする力が意志である。善は、自己内部に基準、つまり、判断の中心を与える基準を与えら
▪️価値原点:前進価値と最終価値
価値原点は、強く自己を拘束するものであるから、価値原点のあるところに、事故の存在を強く意識する。
本来、価値原点は自己自身である。
その為に、価値原点を自己外に設定する場合、その対象をなるべく明確で、安定した存在に置く場合が多い。
例えば、国家とか思想とか神、時として、自己に向けられることもある。神とか思想は象徴的なものであり、抽象的なものであるから、 それを信じた当人にとっては、普遍的なもので
▪️我執(がしゅう)
自己に対する認識が外界を媒介している事実は、自己をおあやふやで頼りないものに錯覚させ、不安を生じさせる。
そのような不安が自己を直接、認識したいと言う気持ちを起こさせる。しかし、これは事実上不可能である。
そこで、自己の代わりになる対象を探し、その対象を自己と同等に扱う事 いっぱいによって、その対象に自己の代表をさせようとする。つまり、自己の価値を対象に転移させてしまうのである。
当然、自己の
▪️生きる力は「生命力」生きていく力は「命の力」
ホスピスと言う終末期ケアを行う病棟では、患者さんが「痛くて、辛くて、もう生きる力がありません」とよく口にされ、精神科の外来では「もう生きていく力がありません」と言われるそうです。
もっと生きたいのに、自分の生命が終焉を迎えている人の「生命」の感じ方。生命的にはもっと生きれるのに、精神がもう生きたくないと思っている。人の「生命」の感じ方。
病気によって人生の終焉期を迎える人は、「もうすぐ死ぬかもし
▪️視覚によって脳は出さまれている
「 錯視」は、私たちの脳が簡単に騙されていることを知る、手っ取り早い方法の1つです。「正常な判断力があればだまされない」というのは思い込みで、人間の脳はとてもだまされやすい性質を持っていることが、よくわかると思います。錯視は目で生み出される現象のように思いますが、脳の情報処理と関連していることは間違いありません。少なくとも、人間の知覚がいかに曖昧であるかがわかります。
よく「この目で見たものしか信
▪️ やる気と学習能力を上げる新しいことをする。
新しいものは、脳の快楽中枢にあるドーパミンレベルを上げる傾向にあります。ドーパミンの役割は、快楽を求めるやる気を出させることで、新しいことをしようとする衝動を上げます。
また、 上がる新しいことは記憶力を向上させ、脳が新しいことに適応することで、学習能力も上がることが証明されています 。
快適すぎると生産的にはなりません。快適でなさすぎても生産的にはなりません。暑すぎず、寒すぎない場所を探すので