▪️自己の概念としての科学

正しい主張をした者が必ず勝つとは限らないし、核兵器を持つ国が持たぬ国より文化的に優れていると思えない。
古くても良いものはいいし、新しくても駄目なものは駄目だとはっきり言える意識を持つことだと思います。

本当の正義は自分の心の中にあるものでしょう。だから 他人の行為は結果において評価されますが、自分の行為は動機によって評価されるものなのであり、その功績は「役に立った」この一言に尽きます。

哲学を生業とするものは、時として、現実の政治や経済・道徳に対し、冷ややかに、批判的であろうとする傾向があります。 世俗的なものに対し、超然とし、睥睨(へいげい)とした態度を取ることによって、自らの優位を誇示するるかのように。

それが、いかに空しく、白々しいものであるかを彼等は知っているだろうか。自己の哲学は、外在する世界に現実として表現される表象によって実体化されはじめて、その信憑性が立証されうる性格のもので、あるかぎり、現実の生活と無縁でいられるはずがなく、むしろ、それどころかより強い自己表現の場として 、より積極的に彼等のいうところの世俗的で、現実的な世界と深く関わり合っていかなければならないのです。

理想や哲学は、世俗的で現実的な世界にしかないのです。
哲学とは、何も目新しいものを生み出していく事を目的としているのではありません。日常的な、ごくありふれた現象の背後に隠された諸々の関係を発見し、より洗練する事を本来の目的としているのです 。

我々が、気がついているかいないか、意識しているかいないかは別として、人間の行動の背後には、必ず、何らかの価値観があります。人間がまががりなりにも生きていく為には、一つ一つの判断に対する尺度や基準・方針が必要なのです。その尺度・基準方針が、その人の価値観を構成しているのですから 。その価値観を論理的に体系化し、文化に適応させようとする学問が哲学です。

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