MANA マインドコーチ

わたし達は「心」、「身体」、「精神」で成り立っています。 どれか1つでもおかしくなると…

MANA マインドコーチ

わたし達は「心」、「身体」、「精神」で成り立っています。 どれか1つでもおかしくなると、全部が崩れます。 絶妙なバランスのコツをお伝えしています https://mentalist1089mana.com/

最近の記事

▪️自己の概念都しての科学

正しい主張をした者が必ず勝つとは限らないし、核兵器を持つ国が持たぬ国より文化的に優れていると思えない。 古くても良いものはいいし、新しくても駄目なものは駄目だとはっきり言える意識を持つことだと思います。 本当の正義は自分の心の中にあるものでしょう。だから 他人の行為は結果において評価されますが、自分の行為は動機によって評価されるものなのであり、その功績は「役に立った」この一言に尽きます。 哲学を生業とするものは、時として、現実の政治や経済・道徳に対し、冷ややかに、批判的で

    • ▪️自己の目指す夢

      家を建てる為には、家を建てる目的、家を設計する為の設計思想、そう、夢が必要なのです。そういった目的、思想、夢があってはじめて家を建てる意志や情熱が生まれ、家が建つのです。しかも、その目的や思想や夢は、そこに住む人のものでなければ、意味がないのです。 同様に、国を建設する為には、その国を成立せしめる哲学が必要なのです。しかも、それは、その国に住む人間たちのものでなければならないのです。 現代の日本には、自分達の国家を絶えず再生し、新たにしていくに足る哲学や理想がないのです。

      • ▪️自己の対等な存在

        大自然に生息するすべての生き物は、皆、平等です。 世界は、自然本来の姿なのです。故に、人間が、平等な世界を実現する方向に向かって進む事は、自然への回帰に他ならないのです。 しかし、それは、文明や科学を否定して、原始的生活に逆戻りしていく事を意味するのではないのです。人間の進歩を否定する事は、自然が本来、人間へ与えてくれた能力を否定する事であり、不自然な事なのです。 真の平等は、自然を正しく認識し、現象の背後に隠れている自然界を支配する法則を見いだし、それと、調和していく事

        • ▪️価値の相対

          価値は、相対的なのです。人は、ある特定の人に恋をすると、その相手は、その人にとって、特別な意味を持つようになる。 それが、心の正体であり、心は変換器なのです。本来、人間の肉体に美醜はなく、自然界に貴賎、貧富の差別はない。知的な部分だから美しく、排泄期間だから醜いなどという事はありえません。 そう考える人がいたら、そう考える人の問題であり、対象の側の問題ではないのです。貧富、貴賎、美醜は、対象界が本来持っているものではなく、人間が生み出した観念の属性に過ぎないからです。やがて、

        ▪️自己の概念都しての科学

          ▪️無という世界は、有を生み出す究極の無限小の世界

          宇宙そのものがビックバンで始まったという、宇宙誕生論理には、賛成しかねる。宇宙が始まりは、静寂からゆっくり始まったのだと思う。ビックバンは、もっともっと先に起こる現象なのである。はじめは、何もかも混沌としている。何事も最初は無意味であり、叡智は、まだ暗い闇の中で眠っている。 故に、はじめの認識は、常に直感によってなされる 最初は、「わかるのではなく」、ただ漠然と感じるのだ。あらゆる認識は、漠然とした不明瞭な、なにもかもの力によって、対象を無条件に、無意識に受け入れていく事か

          ▪️無という世界は、有を生み出す究極の無限小の世界

          ▪️コラム▪️

          生命の核振動を阻害する、過剰な欲求 俗に言う欲望は、大別すると、二種類に分類される。 一つは、生理的欲求から生じるものであり、もう一つは、精神的欲求から生じるものである。 生理的欲求とは、食欲、排泄浴、 性欲等をさしていう。食欲、排泄浴は、自己の生命を維持するために不可欠な欲求であり、又、性欲は、種の保存のために不可欠な欲求である。生理的な欲求自体には問題ない。むしろ、不可欠な欲求である。 問題は、 生理的な欲求から生じる欲望である。ただし、生理的欲求は、精神的欲求の原

          ▪️コラム▪️

          ■コラム■

          心に思っているだけでは、だめ、決心しなければ。 決心しただけではだめ、口に出さなければ。 口に出しただけではだめ、態度で示さなければ。 態度で示しただけではだめ、相手の気持ちを確かめなければ、意味がないのです。 そして、心に思わなければ意義 も意図も、曖昧になる。 そうならないのは、それは意志の問題なのです。 自由であるか否か、それはあなたの意志の問題です。 人を好きになるにせよ、旅に出るにせよ、仕事に遊ぶにせよ、そう自分の生き様、在り方を決めるのは、あなたの意志の問題です

          ■コラム■

          自由であるか否かは、自己が行為によって表す内面の動機と、自己がその行為を表す場としての外界とのかかわり合いによって問われる問題である。 つまり、行為として表された動機が、外界の諸条件に、どこまで許容されていくかの限度によって、人間の自由は判断される。 そして、自己は行為として表現される内面の動機の究極的な原因であるから、我々が自由について語ろうとした場合、まず、自己の定義をしなければならない。 そこで、ここにおいては、独自性において、自己の定義をする事にする。 ■自己と

          ■「対の関係」三次元の秘密■

          魂のない肉体は、ただの屍に過ぎない。 同様に、理想のない国家、哲学のない教育は、ただの形骸に過ぎないんです。形骸化してしまった国家や教育は死んだものです。 教育者一人一人が理想的人間像を追求し、それを教育の場で実践していったときに、生徒一人一人に対する方針が定まり、そしてそれが教え子の中に浸透し、教え子に人間としての誇りと自信を喚起する 事ができるのです。 理想は、情熱や希望を人々の関係の間に生じさせることができるのです。それが、絶え間なく新たな発見や更新を繰り返させる原動

          ■「対の関係」三次元の秘密■

          ■自己の対等な存在■

          大自然に生息するすべての生き物は、皆、平等です。 平等な世界は、自然本来の姿なのです。故に、人間が、平等な世界を実現する方向に向かって進む事は、自然の回帰に他ならないのです。 しかし、それは、文明や科学を否定して、原始的世界に生活に逆戻りしていくことを意味するのでは無いのです。人間の進歩を否定する事は、自然が本来、 人間に与えてくれた能力を否定する事であり、自然な事なのです。 真の平等は、自然を正しく認識し、現象の背後に隠れている自然界を支配する法則を見いだし、それと、調

          ■自己の対等な存在■

          ■自己の価値は、愛の価値観■

          生まれた場所も、時間も、育った環境も違う人々が、愛し合っていこうとする時お互いを傷つけずにはいられないのです。 だから愛は闘いだと言われるのです。自らがで、自らの過ちに気づいた時、その過ちに負けて、隠したり、誤魔化したりするのではなく、自らを許し、その十字架な罪悪感を背負い続けていき、疲れ果てて後悔の涙を流すのです。 愛や自由を求めることによって 生じる苦しみ故に、この世を地獄と思うのは、生きることの真実を知らないからです。生きるという事は、その苦しみの中で、自分の不浄の魂

          ■自己の価値は、愛の価値観■

          ■道を極めるための準備と計画

          何度もいうように、自分の真の目的は「本当の自分を知る」ことです。子孫繁栄のためでも、良い家庭を築くためでも、地位や名誉を勝ち取るためでも大金持ちになるためでもありません。 それらの目的は、あくまでも肉体を維持する伏線的目的であって、真の目的では無いのです。といっても私は、この世の生活を否定しているわけではありません。「この世の生活に目がくらまされ、人生の目的を 見失ってはなりませんよ!」といっているのです。 これはどんな道を極める場合にも当てはまることですが、挑戦するには、

          ■道を極めるための準備と計画

          ■私達は本当の自分を発見するために生まれてきた

          殆どの人は、何のためにある人生か知らないまま一生を終えています。これでは、生まれてきた意味がありません。 「私達は、本当の自分を発見するために生まれてきたのです。」それは、あなた自身も知っています。お父さんも、お母さんも兄弟姉妹たちも知っています。 しかし肉体を持った途端、百人が百人ともそのことを忘れてしまうのです。これは仕方のないことかもしれませんが、仕方ないで済まされないのが人生です。 なぜ人間は、生・老・病・死に苦しまなければならないのでしょうか? なぜ人生に、苦し

          ■私達は本当の自分を発見するために生まれてきた

          ■大切にすべきものは命格である

          一回一回の人生において、名前も違い、性格も違い、環境も違い、演じるドラマの内容も違っておりますが、常に幸せでありたいと願いは変わっていないと思います。でも生命核(魂)から見れば、登場人物の幸せなど、どうでも良いのです。なぜなら、登場人物はその人生における演技者にしか過ぎないからです。登場人物と人格は別物なのです。 登場人物は今生限りの存在ですが、人格は 宇宙生命に帰るまで持ち続けられるものです。ですから正しくは人格を「命格」と記すべきでしょう。 この度の人生は、 「幸せだ

          ■大切にすべきものは命格である

          ■人生の意味

          私たちは、人間により上り詰めた後も数々の人生体験を積みながら、今日ここまで成長してきました。しかしその間にあっては、言うの言われぬ数奇な人生を送ったことも少なからずあったでしょう。 例えば、ある時は戦争で傷つき、ある時は病に倒れ、ある時は事故で負傷し、己の人生を呪ったこともあるでしょう。 あるときは失恋に涙し、あるときは三角関係に悩み、あるときは夫に(妻に)裏切られ、もん絶の日々を送ったこともあるでしょう。また人に騙されたり、裏切られたり、陥られるなど、散々な目に合わされた

          ■光を放射する瞑想

          生命に一瞬集中していると内的光が見えてきますが、その光をイメージ力を持って全世界に放射するのが、光を放射する瞑想です。 一旦イメージした光は自動的に流れますので、流れるままに放っておきましょう。その光エネルギーは、癒しを必要とする人の処に届くと同時に、地球面宇宙を浄化し、さらにエネルギーの道を太くすると言う、三重四重の効果をもたらしてくれます。与えれば与えられるの法則は、 ここでも生きているというわけです。 さて、自覚の高まりはエネルギーの高まりと比例していますので、ドンド

          ■光を放射する瞑想