▪️価値の相対

価値は、相対的なのです。人は、ある特定の人に恋をすると、その相手は、その人にとって、特別な意味を持つようになる。
それが、心の正体であり、心は変換器なのです。本来、人間の肉体に美醜はなく、自然界に貴賎、貧富の差別はない。知的な部分だから美しく、排泄期間だから醜いなどという事はありえません。
そう考える人がいたら、そう考える人の問題であり、対象の側の問題ではないのです。貧富、貴賎、美醜は、対象界が本来持っているものではなく、人間が生み出した観念の属性に過ぎないからです。やがて、人間はその観念に支配されてしまうのですが、しかし、自然は本質的に平等なままなのです。

元々、対象には位置も、運動も、関係もなく、意味もない。
そのままでは、ただ漠然と対象ととらえ、ただ漠然と行動する以外にはないのです。 それでは単細胞動物のような受動的な生き方しか許されないし、又、過酷な自然環境の中で、脆弱な 肉体しか持たない人間は、その種を保存することすら不可能です。

故に、人間は対象と自己との間に任意の基準を設定し、位置、運動、関係、意味を見いだす事によって、対象界の背後に存在すると思われる法則を見出そうと試みたのです。
そこに人間の思惟が始まり出すのです。

意味は諸々の関係の中で生じる認識なのです。 真理は対象と対象との背後に隠されている関係を見出し、観念と観念の間にあるとぎれた脈絡を繋ぎ合わせる事によって、その全体像を表し、個々の概念は混沌の海に浮かぶ島であり、真理は、その混沌とした世界総体なのです。個々の概念をとって、 それのみを真理だとすることはできません。

しかし、一旦真理の本質を認識するや、真理は、全体でもなく、部分でもなく、その物自体であることに気がつくでしょう。故に、人間の思索は、現象として現れる対象と対象との関係に限られており、その物自体の存在に対する認識は、 直感によってなされる以外にはないのです。その上、で諸々の法則を知り、その中に自己を位置づける事によってのみ、人間は、自己の価値観を形成し、主体的判断に基づく能動的な生き方を可能とするのです。個々の現象は、一回限りであり、故に相対的です。

しかし、その現象が起こった事実は絶対であり、また「対という関係」によって発生します。その現象を引き起こした世界の存在、それを認識した自己の存在は絶対なのです。何かと比較する必要などないものなのです。愛は、いろいろな姿で現れる幻想であり、その送り出している想念は事実です。その一つをとって、これが愛の全てだとは言えないですし、 又、だからといって、それが愛ではないともいえません。

人が愛を知るのは言葉ではなく、実際に、愛する人が限前に現れ、「ああ、これが愛だ」と感じた時からです。そしてその愛が真実なのか、否かは、現実のかかわり合いの中でしか確かめられはしないのです。一つ一つの事実を言葉で積み上げていったとしても、愛の真実を人に伝える事はできませんが、人を愛すれば愛の真実を 我物とすることが可能となります。

なぜなら、愛は現実であり、言葉は観念だからです。愛の実相は、その人その人が見いだすものであり、人を愛する事を知れば、それがどのような姿をしていようとも、その人自身にとって愛の全てなのです。百万言を尽くそうとも、愛のすべてを言い尽くすことはできないですし、それは増幅していくモノなのです。

しかし、人を愛することを知れば知るほど、愛の真理を知ることができるのです 。それが、真実。真実は創造していくものなのです。
そして、正しい認識とは、生命の持つ実相的な目的へ向かう為の必要不可欠な情報の凝縮。人間の生き様、死に様は千差万別です。

しかし、人間が生まれ、死んでいく事実には変わりがないのです。意味のない対象境界のない世界に、意味を持たせ、区別を持ち込んだのだから、人間の思惟は、最初から矛盾しているのです。故に、そこから人間の苦悩が始まりです。しかし、苦悩から逃れようとして、意味や区別を否定してしまう事は、人間の価値観をも否定することになり、結果的に自己の主体性を喪失させてしまう事になるのです。

だから、たとえ、いかに自己の対象認識が矛盾に満ちていて、頼りないものだとしても、この不確かな現実に対し 、主体的な意志や信念を持って生きていく事を望むならば、つまり、自由に生きていくことを望むならば、我々はやはりその頼りない自己の観念に頼らざるを得ないのです。

だから、人間が、苦悩から解放され、自由に生きていけるようになる手段は、観念によって生じる。矛盾を恐れる事なく、自己と外界とのかかわり合いの中で、外界の在りようを辛抱強く観察する一方、自己の内面のあり方を謙虚に反省し正す事によって 、内面の現実と外界の事実を一致させる方向に持っていく忍耐力と勇気を持つ以外にないのであるからです。


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