■人生の意味

私たちは、人間により上り詰めた後も数々の人生体験を積みながら、今日ここまで成長してきました。しかしその間にあっては、言うの言われぬ数奇な人生を送ったことも少なからずあったでしょう。

例えば、ある時は戦争で傷つき、ある時は病に倒れ、ある時は事故で負傷し、己の人生を呪ったこともあるでしょう。
あるときは失恋に涙し、あるときは三角関係に悩み、あるときは夫に(妻に)裏切られ、もん絶の日々を送ったこともあるでしょう。また人に騙されたり、裏切られたり、陥られるなど、散々な目に合わされたこともあったかもしれません。
あるいは、富と名誉をつかみ喜びに気炎したこともあれば、すべてを失い自らの命を断ったこともあったかもしれません。

その一つ一つの人生ドラマは、宇宙生命にとって一体どのような意味があったのでしょうか?
単なる映画の一コマにしか過ぎなかったのでしょうか?

宇宙生命から見ればそれらの人生は分身が故郷に帰る便法的な体験にしか過ぎませんでした。どんなに苦しい人生を送ろうと、どんなに楽しい人生を送ろうと、ドラマそのものには何の意味もなかったのです。

なぜなら、それらのドラマは続編のない一回限りのドラマだからです。登場人物も、ドラマの内容も、一回一回違うのです。
受け継がれるのは、人生体験で付けた心の傷痕です。意識の高揚と理解力の高まりです。

どれほど自分を知ったか?
どれほど宇宙の仕組みを知ったか?

それだけが実績が残るのです。 といっても人生劇場での体験は、人格を磨く必要不可欠なドラマであり、また宇宙生命が望む究極の幸せのよりどころでもありますから、疎かにして良いと言うものではありません与えられた命が尽きるまで、一生懸命生きることが大切です。

人生航路というものは厄介なもので、前進しているか、後退しているか、停滞しているか、見づらいところがあるのです。
だからうっかりすると、道に迷ったり、堂々巡りしたり、 脇道にそれるなど、無駄な時を費やすこともままあるのです。道に迷わないためには、人生を点として捕らえるのではなく、線として捕らえる必要があるでしょう。そうすれば全容が見え、欠点を修正することも容易になるからです。

要するに私達の人生は、生命核(魂)が綴る歴史の1ページページであり、それはとりも直さず数万回の人生の総決算であると同時に生命核(魂)自身の総決算でもあるのです。
だから言われるのです。今の自分を見れば、ここまで築いてきた人格の高さが推し量られると・・・その意味では、数万回の人生は1つとして途切れていないということです。
(6月8日)

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