■道を極めるための準備と計画

何度もいうように、自分の真の目的は「本当の自分を知る」ことです。子孫繁栄のためでも、良い家庭を築くためでも、地位や名誉を勝ち取るためでも大金持ちになるためでもありません。
それらの目的は、あくまでも肉体を維持する伏線的目的であって、真の目的では無いのです。といっても私は、この世の生活を否定しているわけではありません。「この世の生活に目がくらまされ、人生の目的を 見失ってはなりませんよ!」といっているのです。

これはどんな道を極める場合にも当てはまることですが、挑戦するには、事前に様々な準備と計画が必要です。
たとえばスポーツや芸術を極めるには、まず基礎体力や精神力を養う必要があるでしょう。また、強い意志力や感性やイマジネーションを磨かなければならないでしょう。さらに、肉体を維持する経済的環境も整えねばならないでしょう。また、鍛錬する道場(環境)も探さねばならないでしょう。そして、一番肝心な指導者も見付けなければならないでしょう。これらの準備が整って、はじめて挑戦できるのです。本当の自分を知るにも、同じような準備と計画が必要なのです。

幸い荒野といわれるこの厳しい社会は、悟りに必要な道具を磨く格好の舞台になっています。私がこの世のどんな体験も否定しないのは、この社会で体験した伏線的 目的が、後に本線的目的を達成する足場作りになっているからです。
つまり目的を達成するためには、この伏線的目的で、もまれ、叩かれ、強くなる必要があるのです。

・最後までやり通す強い意志力
・向上心
・忍耐力
・努力心
・集中力

どれも悟りに必要なものばかりです。それを養う場が、荒野といわれるこの社会です。では伏線的目的と本線的目的はどのように違うのでしょうか?

たとえていえば、 急岐な氷壁に挑むための装備や心構え等の準備が伏線的目的だとすると、実際に氷壁にピッケルを打ち込んでよじ登る行為が本線的目的といえるでしょう。
具体的には生命の実態を知り、さらに理解力を深め、生命の自覚を高めていくこと・・・
そして、一瞬一瞬、一刻一刻、一日一日欠かさず生命を意識し、 生命を自分として生きることです。

このようにいうと、とてもできそうにない!
と、たじろぎそうになるかも知れませんが心配いりません。
そこまで行くと、ちゃんとした指導者に巡り会え、また、悟りやすい環境も用意されるものです。遠くから見ると大変そうに見えますが、近づいてみると案外そうでもないのです。

人生の目的はあまり深刻に考えないでください。
どんな体験も、それなりに目的に適っているのですから、 案ずる事なく今、与えられた環境で精一杯生きたら良いのです。

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