▪️苦悩

苦悩は避けて通っても解決することはできない。病患は、鎮痛剤を打っても治癒しないのと同じように。苦しみの原因を知らなければ、苦悩は克服できない。ただ感覚を麻痺させただけでは、一時しのぎをしたに過ぎないのである。

現実の矛盾から目を背けても、現実の矛盾から救われるわけではない。
自分の欠点を隠す事が、欠点をなくす事ではない。
失敗を忘れる事が、失敗を活かす事ではない。非を非として認めること以外に、苦悩克服する道はないのである 。

現実の矛盾を直視した時にのみ、その矛盾を正そうとする気持ちが起こる。その気持ちが、現象の中で、現実の矛盾を越えさせるのである。自覚症状がなければ、自分の病患にも気がつかない。苦悩は、自己内部に根ざした問題だから、結局、自分でそれを正そうとする気持ちがなければ、どうにもならないのである。

苦悩は、自己の向上の亀裂によって生じるものである。
自己の向上に亀裂が生じることによって、自己の行動に集中することができなくなり、自己を統制する事に困難さを感じた時、人間は苦悩する。自己の核心が曖昧となり、 何をしても熱中できない。自己の行動の焦点が絞りにくくなり、的確な判断が下せなくなる。自分自身で、何をしていいのかわからない。
そして、自分自身が信じられなくなる。それら苦悩している人間の典型的な状況である。

自己の構造に、なぜ、亀裂が生じるのか、原因は、自己外部、内部、両面から自己を歪めようとする力が働くからである。
苦悩は、自己の問題だけに限定されたものではなく、又、社会の問題として片付けることのできる問題でもない。
精神論のごときを持って、現象の矛盾を隠蔽する事は、できない。また、物質の繁栄によってのみ、人間の精神を救済することはできない 大切なのは、自己自省な精神と社会変革への意欲である。

我々は核心を知るべきだ。相手と話している時でも、相手が何を言わんとしてるのかを、逸早く知るべきだ。
一体何が苦しいのかについて、その原因の核心を知るべきだ。
例えば、大学の問題にしたところで、ただ漠然と矛盾を感じ、漠然と行動したところで、何も生み出しはしない 。
かといって、出来合いの思想を持ってきて、自分たちの問題に当てはめたところで、必ずしも通用するとは限らない。

矛盾とは、もっと構造的なものであり、根本的なもので構造的なもので根本的なものであるならば、まず自分いが大学を創り出そうという観点から、取り組まなければ、原因などわかるはずがない。ただ 破壊しただけでは、解決はできない。部分的な問題として処理したのでは、一時しのぎである。
原因の結果、解決とは、もっと建設的なものであり、全体的なものである核心を知るというのは、そういう事だ。

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