▪️善と悪

個人主義は、善悪の境を不明瞭にしたというが、私は逆だと思う。 確かに、個人主義は紋切り型の倫理観を否定することによって成立してきた。しかし、それは、既成の価値観を否定することによって、個人相互の価値観を育成する目的においてである。それまで公共の占有物であった道徳観を、各個人一人一人に解放したのである。つまり、以前は、自分の与かり知らぬところで、既に決められている価値観を唯一方的に強制され、それに拘束されていた個人を、各自それぞれの経験や知識に基づいて、新たな価値観を創造する事によって、より自由なものに解放したのである。それが近代と近代以前の善悪のあり方の大きな相違である。

 個人主義的な善悪で一番問題なのは、自己が善悪を知り得るか否かである。そして、それが個人主義的社会においては、一人前の社会人であるか否かの基準にもなる。故に、個人主義的な社会では、個々の価値観よりも、その人間の創造力の方がより重大な問題なのである。
仮に、善悪の判断が曖昧だと思うならば、それは、その当人の価値観が甘いのであって、個人主義が善悪の境界を曖昧にしているからではない。むしろ、個人主義的な捉え方の方が善悪の差をより見えるに捉えることができる。近代の歴史は、近代以前の古い倫理観の崩壊と、それに替わる新たな倫理観が形成されていく歴史でもある。

だが、それはまだ過程である。過程であるために、善悪に対する見解は不統一である。
その為に、諸々の矛盾が生じる。
本節の目的は、善悪の定義を明確にする事によって、それらの矛盾を解消するところにある。


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