人は世界を認識して、頭の中でそれら情報を構成しなおして、それを客観的世界とするため、どうしても世界の間に乖離が生じてしまう。頭の中の世界に執着して思い込むと、現実世界との乖離に深刻な悩みを抱えることになる。そうならないためにも、ただ認識する真我に立ち返ることだ。
無常で無情なる生と死について、真剣に考えるのも、享楽で日々を埋め尽くすのも、本質は変わりはない。皆行き着くところは死だ。その選択を下すのも摂理の内であり、人は生き方を選べない。ただ認識するだけだ。悩もうとも楽しもうとも、真我は認識するだけ。その真実に気づくか否かだ。