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「自己認識のために」

【エッセイ】人生の物語は最初から最期まであらかじめ定められていて自我や自由意志では変更できない

真我とは 本当の感謝をすることで引き出される「本当の自分」

「エゴの放棄」と「菩提心」

2か月前

そうだよ。とても簡単でしょう?

4日前

私は誰としてそこにいて、誰として関わろうとしてるのか

冒頭、マハリシは、我々が持つ「自己への至上の愛」の源は幸福であると言う。また「心のない深い眠りの中で体験される(真の)幸福」を得るには真我を尋ねよと。心の深奥が幸福そのものとはありがたい光明だが、我々にこの自覚は薄い。心のない深い眠りとは、対象物が滅し、心が静寂にあるを言うのか…

P20. これら(五蘊など)が私でないなら、私は誰なのか?の問い。マハリシは「今述べたことのすべてを これではない、これではない と否定し去ったあとに、ただひとつ残る自覚、それが私である」と。思うに、私の身体、心、命…と私の○○がある限り、その対象物を観る私が別に居ることになる。

P19. 私は誰でしょうか?所謂、仏教で説く五蘊に私は無いとマハリシは言う。物事を考える心もまた然り。捕らえ所がないのは「対象物の印象のみが刻み込まれた無知、そこに対象物も働きかけもない無知も私ではない」の文言。これは事物・現象に対する感覚と動機を言うのか。真我の他は総て無知と…

【詩】真偽

1か月前

8の世界

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真我、本当の自分に氣付くのは、単なるスタート地点でしかない理由

P20. これではない、これではない…と総てを否定し去った後に、ただひとつ残る自覚。これこそが私そのものとマハリシ。而してその自覚の本性は「存在ー意識ー至福」と言う。在りてある個の原初、穢れのない属性以前、無執着で些細な動機にも縛られない幸福か。表現を重ねれば重ねるほど遠ざかる。

30代以降の生きづらさと、母親との因果関係[後編]

天編集/再編のナビゲーション

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30代以降の生きづらさと、母親との関係[前編]

思い込みを外すと豊かさがやってくる【後編】

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真我に気づく

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あなたに眠った真の力をあくびが解放する。

幻想を捨てよあるがままになろう

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