SOICHI SATO(空風瞑想)

真我探求の瞑想伝道者|悟りへの道|本当の自分を知る|空風瞑想|瞑想説明会|瞑想法の伝授…

SOICHI SATO(空風瞑想)

真我探求の瞑想伝道者|悟りへの道|本当の自分を知る|空風瞑想|瞑想説明会|瞑想法の伝授|瞑想個人セッション| 小説|詩|エッセイ|電子書籍|オンデマンド出版|ジャプーヒーリング|タイ古式マッサージ|ルーン|お問合せ|https://www.sorakaze.com

マガジン

  • うつしおみ

    真実を求めてこの世界を旅する魂の物語。

  • 空風瞑想

    空風瞑想のご案内

  • 瞑想の道

    真我を探究する瞑想において、自らの内に真我を実証していく。それは知識と瞑想が重なり合って深遠なる真我を理解する道。

  • 真我の軌跡

    この世界における真我の証について

  • 空風登山部

    登山記録。公共交通機関を利用して山に出かけています。基本的にソロ。山行で撮影した写真を掲載しています。ヤマレコ会員(nainoa)

最近の記事

真我の軌跡(10)無垢

真我を貶めることも汚すこともできない。 汚物や悪意を投げつけられても、真我には曇りひとつ付かない。 世界の変動に影響されることもなく、ただ無垢のままでいる。 そうして世界を拒絶したり無視したりしているわけではない。 そう在ることが世界の本質たる所以なのだ。

    • うつしおみ 第59話 青空と呪い

      魂は生きる辛さや苦しんで死ぬこと、 失敗したり不幸になることを恐れていた。 いつでも何かに恐れていたため、 それは魂にかけられた赤黒い呪いとなった。 魂はその呪いに水を掛けて落とそうとしたが、 それを手放すことに躊躇してもいた。 恐れのその痛みによって生が際立ち、 魂に生きている実感が与えられていたからだ。 そのため呪を解きたいという気持ちと 呪われたままでいたいという気持ちが渦巻いていた。 心に深く刻まれた呪の放つ青い閃光が魂を削り、 その痛みを抱きしめて空を仰ぎ

      • 瞑想の道〚09〛真我への道

         真我実現には二つの道があるといわれている。ひとつは探求の道であり、ひたすら自らが真我であることを目指す道だ。もうひとつは、すべてを真我に明け渡す道であり、熱烈な信仰によって真我到達を目指す道だ。結局はどちらの道でも真我実現に至るのだが、はじめに難しくあとで楽になるのは探求であり、はじめに楽であとで難しくなるのが明け渡しだと感じる。明け渡しの道がそう思えるのは、自我の問題をどうやって解決するか曖昧な点にある。修行者はすべてを真我(あるいは神や聖者)に明け渡したと言うかもしれな

        • 真我の軌跡(09)巨大

          真我はこの世界よりも巨大だ。 世界の始まりの前には真我だけがあった。 その真我の海に発生した小さな泡がこの世界なのだ。 そのことを世界は知らないかもしれない。 それでも真我はいまも世界をその懐に抱いている。

        真我の軌跡(10)無垢

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        • うつしおみ
          59本
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          0本
        • 瞑想の道
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        • 空風登山部
          4本
        • ピルグリメイジ(巡礼)Ⅳ
          3本

        記事

          うつしおみ 第58話 小さな光

          魂は春の浅い眠りの中で、 心の奥で光る小さな金色の光を見つけた。 それは魅せられるほどに美しく、 見つめているだけで幸せな気持ちになった。 さらに近づき触れてみると、 その輝きは魂を包み込み、眠りから目覚めさせた。 その目覚めは強烈な印象を刻みつけ、 それで魂は誰とも違った存在になれたと思った。 だが、魂はその光を眺めたり触れたりするだけで、 それが本当は何かを知らずにいた。 金色の光はただ美しく輝いているだけで、 魂に特別な何かを与えることはなかった。 魂は次第

          うつしおみ 第58話 小さな光

          瞑想の道〚08〛思考の意味

           瞑想中の思考を問題視する人は多い。多くの場合、瞑想者は思考を邪魔な存在だと思っている、瞑想中に思考がなくなれば、いい瞑想になると思うのだ。そう分かっていても、思考をなくすことは困難を極める。しかし、瞑想中の思考には重要な役割がある。瞑想中に思考がなくなることは、実はあまり良い状況とはいえない。例外的に、真我自体になっているときには思考は起こらない。真我には活動がないため、そこで思考は起こりようがないのだ。ここでの問題は思考ではなく、焦点ということになる。焦点とは何なのか。瞑

          瞑想の道〚08〛思考の意味

          真我の軌跡(08)純粋

          真我は何も付加されていないため純粋だ。 混じり気が一切なく、わずかな曇りさえない。 無色透明で何の性質もなく、特色というものもない。 それをこの世界では純粋性という言葉で説明するかもしれない。 だが、純粋な真我が自らの純粋性を主張することはない。

          真我の軌跡(08)純粋

          うつしおみ 第57話 自由と運命

          魂はこの世界を自らの意志で生きていて、 その運命を変えられると信じていた。 自由意志は眩い希望であり、 人生模様を紡いでいく原動力となっている。 ときには絶望し生きる気力を失うが、 自由意志でそこから立ち上がることもできるのだ。 魂はその自由意志を自分だと思ってたが、 それがどこから来るのか知らなかった。 どこからか心に浮かんでくる意志を、 自分の意志だとして信じて疑わずにいた。 それは緻密に編み上げられた世界の意志であり、 魂の中で掘り起こされる未来の記憶だ。

          うつしおみ 第57話 自由と運命

          瞑想の道〚07〛私と真我

          「私は誰か」の探求の結果として、「私は誰でもない」という答えに行き着くことがあるが、これは半分正解で半分間違っている。「誰でもない」という言葉の意味が、どんな自我でもないということであれば間違いではない。しかし、自分とはただ自我を失って存在しているだけということであれば、もう少し探求を深めていく必要があるだろう。問題は「私」という言葉の取り扱いだ。「私」という言葉には、どうしても自我の匂いがつきまとう。そのため、あえて「私」という言葉を排除しようとする方向になりがちだ。実際に

          瞑想の道〚07〛私と真我

          真我の軌跡(07)主体

          真我を対象のように見ることはできない。 唯一の主体が主体自身を見ることはできないからだ。 それは誰の心の奥にも見る者として確かに存在している。 目に見えるものだけを信じる者は、この事実に戸惑うだろう。 だが、それは誰もが主体だということの証なのだ。

          真我の軌跡(07)主体

          うつしおみ 第56話 正当と真実

          魂はこの世界で何が正しいのかの答えを探して、 長い間さまよっていた。 正しいものを見つけてつかんでも、 それは摘み取った花のように萎れていく。 魂は変わり果てたそれを悲しい目で見つめ、 答えのない旅を思い途方に暮れた。 この世界に正しいものはないと結論づけるのに、 多くの人生を費やしてきた。 正しいものは確かにないのだが、 この世界にはまだ知られていない真実が在るように感じた。 魂はこの世界に正しいものではなく、 世界を世界たらしめている真実を探し始めた。 それは

          うつしおみ 第56話 正当と真実

          瞑想の道〚06〛自我の場所

           悟りの修行において自我を拒絶する方法があるが、これには疑問がある。自我を消し去ろうとしたり、忌みすべきものとして排除することによって悟りが得られると考えているのなら、それは再考する必要があるだろう。自我というものは、身体であり心であり、パーソナリティーであり、その記憶などによって成り立っている。人々はそれを自分だとして生きていて、その個々人によって社会が形成され、社会活動が営まれている。それを一括りに拒絶し排除しようとすることは無理があることであり強引過ぎるきらいがある。た

          瞑想の道〚06〛自我の場所

          真我の軌跡(06)現実

          真我だけが現実だ。 世界は常に移り変わり、そこに確固たる現実というものがない。 真我には動きがないため、変化するということがない。 いつも同じで、そのあるがままに在る現実は変わらない。 世界が逃れられない変化を超えて、真我は存在しているのだ。

          真我の軌跡(06)現実

          うつしおみ 第55話 真実への旅

          真実を求める蒼き魂は、 身を切る冷たい風に耐え忍びながら荒野をさまよっている。 真実を求める朱き魂は、 静かな森で暖かく澄んだ風に頬を緩ませ瞑想に勤しんでいる。 蒼き魂は血の気を失って乾いた手のひらを見つめ、 真実などあるのかと何度も疑った。 朱き魂は瞑想の静けさの中に至福を得て、 真実をその心地よさに重ね合わせていた。 蒼き魂はその厳しい旅を押し通しながら、 ようやく心の中に見紛うなき真実を見つけた。 朱き魂は真実を得て、その森にいる意味を失い、 自信に満ちた気持

          うつしおみ 第55話 真実への旅

          瞑想の道〚05〛自我の期待

           真我を悟ることは何かを得ることではない。どこかに到達することでも、特別な何者かになることでもない。それは元々の自分に気づくことだ。この話に自我は眉をひそめるだろう。自我は世界の物事同様に真我を飾り物にして、美しく気高い自分になりたいと思っていたのだ。そうでないなら、真我を悟ることに意味はないとさえ言い切るだろう。自我は悟りに何らかの価値を見出したい。そのため、真我は特別なエネルギーであり、運命を変える手段であり、恐れから解放され心安らぐ癒やしであってほしいと願う。そして、そ

          瞑想の道〚05〛自我の期待

          真我の軌跡(05)唯一

          真我はたったひとりしかいない。 世界は多様性に富んでいるが、その根源は一箇所だ。 すべては真我につながり、そこから切り離されることがない。 あらゆる善悪や敵味方、生死や過去未来を超えて、 その中心には唯一真我だけがいる。

          真我の軌跡(05)唯一