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静けさそのものがほんとうの「私」
ほんとうのあなたは透明で、形もありません。
静けさ、そのものです。
思考や心の動きと自分を一体化しないで下さい。
気づきは思考の背後にあってただ観つめています。
最初は気づくことです。
次に、思考がわきあがっていることに気づいている存在そのものを見つけてください。
気づいたら、静けさがやってきます。
その静けさそのものが本当のあなたです。
静けさには形も重さもありません、空っぽです。
でも、それは必ずあります。
微妙な感覚ではありますが、必ず見つけられます。
ほんとうの「私」はあなたの名前ではありません。
性別でもありません。
続柄でも、親とか教師とか社会から条件づけられたような存在ではありません。
ほんとうのあなたは思考のない、今この瞬間、ただありのままとして存在しています。
もし、僕が「私」を思考を使って紹介するとしたらこんなふうになります。↓
「日本と呼ばれている国の長野県という土地で生まれ、30年間、生きてきました。引っ込み思案で、本を読んだり、文章を書くのが好きです。三人きょうだいの真ん中で、初恋は八歳の時で……」と自己紹介することになります。
でも!
でも、ですよ、これって全部思考なんですね。ぜんぶ思考で思い出しているだけなんです。
もし、すべての思考機能が何かの拍子で取り去られて、過去の記憶がぜんぶ消去されたとしたら、「私」という存在の根拠はどのように説明できるでしょうか?
説明できないはずです。
ただ、何となく「今ここに私がいる」ということだけが唯一の真実ではありませんか?
思考は時間と関係しています。思考が自分について説明する時、大体、過去形です。「私は子供の頃、〇〇だった」などです。
あるいは未来についても言及します。「来週、〇〇に旅行する」などの期待があるかもしれません。
思考は「今」のことについて何も知りません。
思考は「今ここ」ということが分からないのです。
不平不満の原因は全部、ない、ということです。
でも「今この瞬間」に欠乏はありません。
ただ「在る」だけです。
思考が起こる前、思考が止まった後、言葉では説明できなくとも、確かに「在る」という感覚があるはずです。
これこそがほんとうのあなたです。そして、「ここに在る」という感覚の根拠となる場所が他でもないハートなのです。
リラックスして、今この瞬間にある時、ただありのままが輝いていることに気がつくでしょう。
庭に咲いている花やキッチンのテーブルの上に置かれている何の変哲もないただのリンゴが生き生きとしはじめます。
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明日、一日中暇なので、14時と21時から瞑想会をやります。無料です。時間は大体30分前後です。
ご希望される方はこちらまで↓
naokifloweroftheheart@gmail.com
昼の部と夜の部のどちらに参加されるか伝えて下さい。両方参加も可能です。
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