心に残す。データには残る。
前回の「それはデータに残るけど、心には残っているのか?」の続きもつもりのnoteではないのだけど、ある意味続いているのかもしれない。
本来ならデータには“残す”と能動的な行為であり、心には“残ってしまう”のが望ましいのだろう。
でも現代人は自身の思考・記憶・判断基準さえても、スマートフォンと外部のツール、コンテンツに預けて、いや、もはや「明け渡して」いるので、自身の意思を持って「心に残す」という意図が必要になるという、なんともチグハグな状態の人が多いと思うのは僕だけか?