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今回は、自伝的ノンフィクション小説です。少し長いです。自分自身の懺悔のような気持ちもあります。 * 高校生の頃。日曜日の日中は大抵、俺は母の入院する病院にいた。その病院は地元から車で1時間ほどかかる、札幌市の外れにある総合病院だった。母の病気が難病なので、地元の病院ではなく、その札幌の病院に入院するようになった。 日曜日はいつも憂鬱だった。遊びたい盛りの高校生が、毎週、陰気臭い病院で、半日過ごさねばならいのだ。 残念ながら、当時の俺は“母親想いの息子”、なんていう少年
7月29日(月) ああ、無情なんて聞くと、この歌を思い出すあなたは、 多分もう若くはないでしょうけど(笑) 世の中って「無情」だなと思うことありますよね? 人の世の冷たさ、儚さに、あなたもこれまで何度も枕を濡らしてきたことと思います。 今日はちょいとくだらない話を踏まえ、僕の体験談をシェアします。 ****** 高校生の頃、バンドをやっていた。 定期的に地元のライブハウスでライブ活動をしていたんだけど、当時はバンドブームで、たくさんの同年代の高校生バンドがいた
「昨日のナイター、阪神戦観た?」 なんて会話が時折、小学校の教室で繰り広げられていた。もちろん、男子生徒だけの会話だ。 僕が小学生の頃だから、1980年代の話だ。当時はサッカーよりも圧倒的に野球が人気があった。 漫画やアニメでも、サッカーは漫画の「キャプテン翼」くらいしか情報なかったけど、野球は「ドカベン」「キャプテン」「タッチ」など、有名なものが多く、ナイター中継が毎晩のようにどっかのチャンネルでやっていて、野球チップスも人気だった。 (ちなみに上記に挙げた漫画、す
前回の続きです。 「おい!小池!」 後編 僕は小学校高学年から中高生、大人になっても「反体制」なロックな生き方をしてきたと思う。 もちろん今は違うけど、以前、特に20代の頃くらいまでは、常に学校とか、教師とか、社会に対して、アンチな立場であり、そこに従うことは「自分を殺すこと」とさえ感じていた。 前回の冒頭に書いたけど、僕は素直な子供だった。しかし、どうしてそんな風に見事にひねくれたのかと言うと、小池の影響は大きかったと思う。 もし小池がいなかったら、僕は多分、その後
まず先に、これを読んでいる全国の“小池さん”に謝っておきます。 あなたのことではありません。 そして最近ちょっと話題になった、「おい、小池!」のポスターの指名手配犯が実はとっくに亡くなっていた、のニュースとも関係ありません。(こちらの記事) これは僕の超超超個人的な手記であり、ここに出てくる「小池」という人物は、僕の人格形成に大きな影響を及ぼした、小学3年生の頃の担任だったクソ教師です。 クソ教師…。僕はあまり口汚く人様を罵ることは好きではありませんが、あえてそう言わ
24、5歳の頃に、初めて“スピリチュアルな人々”に接触した。自分の健康回復のために、あらゆる健康法を実践していた時期で、坐禅や気功などの東洋的なものから、「ヒーリング」とか「手かざし」のような不思議世界の門を叩いた。 著作にもあれこれ書いたが(人生をひらく不思議な100物語)、子供の頃からその手の感度とか霊感はある方だったし、なにより呼吸不全でやられてた時に、徹底的に「自分の体を感じる」事をやっていたせいで、エネルギー的な感度はかなり高くなっていた時期だったので、エネルギー
けっこう時間が空いてしまったけど、こちらのnote、 の続編、のようなものです。 ここの温泉宿のアルバイトは、(上記のnoteで書いた)ヤクザがらみのちょっとしたトラブルというか、おかしなこともありつつも(それはどんな職場にもあるだろう)、個性的な面々に囲まれていて、基本的には楽しかった。 前回も書いたけど、特に難しい仕事でもないので、人手がいない時は友人を誘ってバイトに連れて行った。 だから、仕事終わりに友達とこっそり酒を飲んだり、修学旅行生をナンパしたり、悪ふざけ
「オレがお前に教えられることなんて、麻雀くらいかもな…」 父はふっと鼻で笑いながらそう言ったけど、それは決して自虐的でもなく、なんだか楽しそうな雰囲気だったのを覚えている。 高校生の頃、僕は仲間とよく麻雀をした。 我が家には雀卓も牌も揃っていて、駅から近かったし何かと溜まり場で、暇があると麻雀をしていた。 仲間には中学生からやってる連中もいたけど、僕は高校生になってから覚えた。自分で本を読んで“役”(決め手の組み合わせのこと)を覚えたりしたけど、基本ルール、そして応用
この世の中には2種類の人間がいる。 それは「映画が好きな人」と「映画にさほど興味のない人」だ。 もちろん、それは“小説”でも“音楽”でも“美術”でもなんでもそうかもしれないけど、今回は映画の話だ。 いや、そうじゃない。訂正する。「なんでもそうかもしれない」なんて曖昧なことを書いたけど、例えば“マクドナルド”とか“スマートフォン”とか“パイナップル”とか、そういうものになると、そこにはもちろん「好きな人」と「そうでもない人」がいるけど、そこにはほぼ確実に「それを嫌いな人」
先に言っておくが、このタイトルだけでこの話を何か「卑猥」だったり「エロ」な要素がないことをお断りしておこう。ただ他にうまいタイトルが思いつかなくて、今回の物語のひとつの核心である「シコシコしてるか?」を題した。 ☆ 僕は色んなアルバイトをしたことがある。 おそらく多くの人がパッと「アルバイト」聞いて思いつくような業種、例えば「コンビニ」とか「ガソリンスタンド」とか「飲食店」とか「引越し」とか、その辺のテッパンのものはもちろん、「テレアポ」「データ入力」のような事務系、や
僕には故郷がある。 それはつまり「生まれ故郷」を出て、離れた場所に暮らすからこそ生まれる概念。 僕は生まれた土地を離れて生活することを選択し、おかげで故郷ができたというわけだ。 北海道の小樽市が僕の生まれ故郷。20歳の頃に単身東京へ行った。進学でも就職でもない。夢を追って、自分の人生を切り拓こうと、前のめりで飛び出した。 里帰りをするようになったのは、結婚して子供が産まれてから。(それまでは多分2回しか戻ってない) 以来、北海道へ行かない年はない。 両親は2019
麒麟が来た 1 麒麟が来た 2 麒麟が来た 3 麒麟が来た 4 の続きです。 麒麟が来た #5(何者でもない。大いにけっこう) そう思った。 そして、そこに「わたし」がいた。 それは全体に溶けていくような私であり、同時に、確固たる、唯一無二の『わたし』だった。その『わたし』は、この世界と、この五感、この体、この感情、この思考から、完全に超越した『わたし』だった。 何者でもない。私は、わたしに成れた。 いつか瞑想の深みで気づいた「わたしはいない」という、非二元
麒麟が来た 1 麒麟が来た 2 麒麟が来た 3 の続きです。 麒麟が来た #4何者でもなく、何もできない自分。まだ、それを受け入れられず、立っているのもやっとなくらい、打ちのめされて、重力が増したかのように体は重く、気圧が変化したのかというくらい、空気が重く、呼吸も苦しく感じられた。 そんな時にまた、麒麟が現れたのだ。 ☆ 鳥取砂丘には、長い時間滞在していた。 初の鳥取県訪問。予定としては色々と行きたいところに目星をつけていて、なんとなくのタイムスケジュールは
続きです。 麒麟が来た #3 人は一度「本物」を知り、それに触れてしまうと、もうそれ以外は受け付けなくなるのでは? 例えば、ルイ・ヴィトンの“パチモン”を、ずっと本物だと思ってた人が、ある時から本物との質感や仕立て具合、触り心地、色合い、丈夫さなど、それらの違いを明確に理解するようにあり、その価値や良さを味わってしまったら、その人はその後レプリカを使い続けるだろうか? 一見そっくりだけど、細部が雑なパチモンを好きになれるだろうか? 本物を知るとは、この世界である意味残