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エッセイ・ノンフィクションマガジン

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作家、アーティスト、大島ケンスケによる実体験に基づいたエッセイやノンフィクションをまとめたマガジンです。
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17歳の少年。

今回は、自伝的ノンフィクション小説です。少し長いです。自分自身の懺悔のような気持ちもあります。 * 高校生の頃。日曜日の日中は大抵、俺は母の入院する病院にいた。その病院は地元から車で1時間ほどかかる、札幌市の外れにある総合病院だった。母の病気が難病なので、地元の病院ではなく、その札幌の病院に入院するようになった。 日曜日はいつも憂鬱だった。遊びたい盛りの高校生が、毎週、陰気臭い病院で、半日過ごさねばならいのだ。 残念ながら、当時の俺は“母親想いの息子”、なんていう少年

ああ無情

7月29日(月) ああ、無情なんて聞くと、この歌を思い出すあなたは、 多分もう若くはないでしょうけど(笑) 世の中って「無情」だなと思うことありますよね? 人の世の冷たさ、儚さに、あなたもこれまで何度も枕を濡らしてきたことと思います。 今日はちょいとくだらない話を踏まえ、僕の体験談をシェアします。 ****** 高校生の頃、バンドをやっていた。 定期的に地元のライブハウスでライブ活動をしていたんだけど、当時はバンドブームで、たくさんの同年代の高校生バンドがいた

憧れの野球帽

「昨日のナイター、阪神戦観た?」 なんて会話が時折、小学校の教室で繰り広げられていた。もちろん、男子生徒だけの会話だ。 僕が小学生の頃だから、1980年代の話だ。当時はサッカーよりも圧倒的に野球が人気があった。 漫画やアニメでも、サッカーは漫画の「キャプテン翼」くらいしか情報なかったけど、野球は「ドカベン」「キャプテン」「タッチ」など、有名なものが多く、ナイター中継が毎晩のようにどっかのチャンネルでやっていて、野球チップスも人気だった。 (ちなみに上記に挙げた漫画、す

「おい! 小池!」 後編

前回の続きです。 「おい!小池!」 後編 僕は小学校高学年から中高生、大人になっても「反体制」なロックな生き方をしてきたと思う。 もちろん今は違うけど、以前、特に20代の頃くらいまでは、常に学校とか、教師とか、社会に対して、アンチな立場であり、そこに従うことは「自分を殺すこと」とさえ感じていた。 前回の冒頭に書いたけど、僕は素直な子供だった。しかし、どうしてそんな風に見事にひねくれたのかと言うと、小池の影響は大きかったと思う。 もし小池がいなかったら、僕は多分、その後

「おい! 小池!」 前編

まず先に、これを読んでいる全国の“小池さん”に謝っておきます。 あなたのことではありません。 そして最近ちょっと話題になった、「おい、小池!」のポスターの指名手配犯が実はとっくに亡くなっていた、のニュースとも関係ありません。(こちらの記事) これは僕の超超超個人的な手記であり、ここに出てくる「小池」という人物は、僕の人格形成に大きな影響を及ぼした、小学3年生の頃の担任だったクソ教師です。 クソ教師…。僕はあまり口汚く人様を罵ることは好きではありませんが、あえてそう言わ

パワーストーンな女

24、5歳の頃に、初めて“スピリチュアルな人々”に接触した。自分の健康回復のために、あらゆる健康法を実践していた時期で、坐禅や気功などの東洋的なものから、「ヒーリング」とか「手かざし」のような不思議世界の門を叩いた。 著作にもあれこれ書いたが(人生をひらく不思議な100物語)、子供の頃からその手の感度とか霊感はある方だったし、なにより呼吸不全でやられてた時に、徹底的に「自分の体を感じる」事をやっていたせいで、エネルギー的な感度はかなり高くなっていた時期だったので、エネルギー

温泉宿のアルバイト その2 「ちょっと切なくて、甘酸っぱい」

けっこう時間が空いてしまったけど、こちらのnote、 の続編、のようなものです。 ここの温泉宿のアルバイトは、(上記のnoteで書いた)ヤクザがらみのちょっとしたトラブルというか、おかしなこともありつつも(それはどんな職場にもあるだろう)、個性的な面々に囲まれていて、基本的には楽しかった。 前回も書いたけど、特に難しい仕事でもないので、人手がいない時は友人を誘ってバイトに連れて行った。 だから、仕事終わりに友達とこっそり酒を飲んだり、修学旅行生をナンパしたり、悪ふざけ

父と息子

「オレがお前に教えられることなんて、麻雀くらいかもな…」 父はふっと鼻で笑いながらそう言ったけど、それは決して自虐的でもなく、なんだか楽しそうな雰囲気だったのを覚えている。 高校生の頃、僕は仲間とよく麻雀をした。 我が家には雀卓も牌も揃っていて、駅から近かったし何かと溜まり場で、暇があると麻雀をしていた。 仲間には中学生からやってる連中もいたけど、僕は高校生になってから覚えた。自分で本を読んで“役”(決め手の組み合わせのこと)を覚えたりしたけど、基本ルール、そして応用

父と2人でジブリの「紅の豚」を映画館で観たんだ。

この世の中には2種類の人間がいる。 それは「映画が好きな人」と「映画にさほど興味のない人」だ。 もちろん、それは“小説”でも“音楽”でも“美術”でもなんでもそうかもしれないけど、今回は映画の話だ。 いや、そうじゃない。訂正する。「なんでもそうかもしれない」なんて曖昧なことを書いたけど、例えば“マクドナルド”とか“スマートフォン”とか“パイナップル”とか、そういうものになると、そこにはもちろん「好きな人」と「そうでもない人」がいるけど、そこにはほぼ確実に「それを嫌いな人」

温泉宿のアルバイト その1 「シコシコしてるか?」

先に言っておくが、このタイトルだけでこの話を何か「卑猥」だったり「エロ」な要素がないことをお断りしておこう。ただ他にうまいタイトルが思いつかなくて、今回の物語のひとつの核心である「シコシコしてるか?」を題した。 ☆ 僕は色んなアルバイトをしたことがある。 おそらく多くの人がパッと「アルバイト」聞いて思いつくような業種、例えば「コンビニ」とか「ガソリンスタンド」とか「飲食店」とか「引越し」とか、その辺のテッパンのものはもちろん、「テレアポ」「データ入力」のような事務系、や

故郷

僕には故郷がある。 それはつまり「生まれ故郷」を出て、離れた場所に暮らすからこそ生まれる概念。 僕は生まれた土地を離れて生活することを選択し、おかげで故郷ができたというわけだ。 北海道の小樽市が僕の生まれ故郷。20歳の頃に単身東京へ行った。進学でも就職でもない。夢を追って、自分の人生を切り拓こうと、前のめりで飛び出した。 里帰りをするようになったのは、結婚して子供が産まれてから。(それまでは多分2回しか戻ってない) 以来、北海道へ行かない年はない。 両親は2019

麒麟が来た 5

麒麟が来た 1  麒麟が来た 2 麒麟が来た 3  麒麟が来た 4 の続きです。 麒麟が来た #5(何者でもない。大いにけっこう) そう思った。 そして、そこに「わたし」がいた。 それは全体に溶けていくような私であり、同時に、確固たる、唯一無二の『わたし』だった。その『わたし』は、この世界と、この五感、この体、この感情、この思考から、完全に超越した『わたし』だった。 何者でもない。私は、わたしに成れた。 いつか瞑想の深みで気づいた「わたしはいない」という、非二元

麒麟が来た 4

麒麟が来た 1  麒麟が来た 2 麒麟が来た 3  の続きです。 麒麟が来た #4何者でもなく、何もできない自分。まだ、それを受け入れられず、立っているのもやっとなくらい、打ちのめされて、重力が増したかのように体は重く、気圧が変化したのかというくらい、空気が重く、呼吸も苦しく感じられた。 そんな時にまた、麒麟が現れたのだ。 ☆ 鳥取砂丘には、長い時間滞在していた。 初の鳥取県訪問。予定としては色々と行きたいところに目星をつけていて、なんとなくのタイムスケジュールは

麒麟が来た 3

続きです。 麒麟が来た #3 人は一度「本物」を知り、それに触れてしまうと、もうそれ以外は受け付けなくなるのでは? 例えば、ルイ・ヴィトンの“パチモン”を、ずっと本物だと思ってた人が、ある時から本物との質感や仕立て具合、触り心地、色合い、丈夫さなど、それらの違いを明確に理解するようにあり、その価値や良さを味わってしまったら、その人はその後レプリカを使い続けるだろうか? 一見そっくりだけど、細部が雑なパチモンを好きになれるだろうか? 本物を知るとは、この世界である意味残