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女の坊主というファッション❌㊗️手術🎉

私は人生の結構な年数を抗がん剤の副作用などでハゲか坊主、短髪で生きてきた。

だから、毎日「髪型が嫌だ」と悩んでいる人がいると、本気で「じゃぁ、坊主にしたら?」と思う。

実は、女性が坊主くらいの短髪にカッコよくカットしてもらうpixyというファッションは、欧米である程度人気があり、大ブームになったファッションでもある。

社会生活において、超ショートヘアがそこまで流行しておらず、「女の髪は大事」という価値観がまだまだ抜けない場合には、坊主に抵抗感を抱く気持ちも分かるっちゃ分かる。

けど、人生の何年も髪が無いか短いというのが当たり前の生活をしてきた身としては、「別に髪が無い生活の方が楽で快適なら、普通に坊主やハゲを自身満々に掲げて颯爽と歩く日々だって、結構イケてるんじゃないかなぁ〜」とは思うんだよね。

私の病歴も治療歴も知っている人に、「そんなに髪が嫌なら、坊主にすれば? 結構快適だし、髪型決まらないってことないよ」と言ったら、「そんなこと自分の患者さんだったら言うの? 言うとしたら、おかしいと思う」とまで言われるのもどうなのかなぁ、と疑問に思う。

普通に、国は違えど私は医療者から抗がん剤治療前に「今pixyが流行ってるから、短い髪やスキンヘッドもファッションの最前線でカッコイイじゃない😉」と声をかけてもらえて、嬉しくは思えど、負の感情は抱かなかった。

友人にも「毎日違うウィッグで、ファッションを楽しめそう😍」と言われて、気分が上がったこともある。

ましてや、病気や治療の症状による脱毛で悩んでいるのと、ただその日の髪型が決まらないのとだと、私も声をかける時の心情が違う。

初めて抗がん剤治療をした後からだろうか? それ以前もだろうか?

「そんなに髪型で悩むくらいなら、坊主も結構快適な上、見た目もカッコイイから良くない? ナタリー・ポートマンって、坊主でカッコよくて綺麗😍」とは思う。

以下の記事に女性で坊主にした芸能人が載っている。
皆、かなりカッコイイし、綺麗だと思う。

pixyはこちらの記事↓↓

私は「髪は女の命」なんて、社会が女性に無駄に変なプレッシャーかけてる以外の何ものでもないとも思っている。

普段から坊主にしていて、朝好きな髪型のウィッグをかぶって髪型を決めるのが当たり前の黒人女性も世界にはいるよ。

確かに、髪が好きな男性も多い。

職場でも学校でも髪型や髪色にルールがある所も多い。(国が違えば人権侵害じゃない?)

普通に、抗がん剤治療中や治療後の患者さんに本心で「カッコイイ」とは言ったことがある。その時、髪の毛の有る無しは私の中では、別に意識の対象ですらなかった。また、髪も眉毛もまつ毛もない男の子や男性に惚れたことも私はある。カッコイイじゃん💕 男性ハゲの10代後半から20代前半の人もカッコイイ人はカッコイイと思うよ。(個人的には、坊主にしちゃってる方が好みだしね。)

タクシーの運転手さんや医療職等、スキンヘッドは清潔感があって、私は好感を抱く。案外?、スキンヘッドの外科医や毎日カテーテル治療をしている循環器内科医や放射線科医、無菌病棟勤務の看護師等も結構いる。(以前住んでいた地域では、当時男性ハゲが始まったら頭を刈るのが当たり前だった。20代から坊主やスキンヘッドの人も間々いる。)

こういうのって、価値観だし、親しい間柄で私が「髪の毛で毎日悩むくらいなら、坊主にした方が楽じゃない?」と思っていることは、友達にはもう10年以上前からずっと言っていた。

私は今も薬の副作用で脱毛がある。まぁ、程度はさておき。

そして、本心で「坊主やハゲも慣れると快適だし、マダラだったりするくらいならば、いっそのこと坊主(スキンヘッドや完全なハゲ)の方が良くない?」と私は思っている。

毎日髪型でごちゃごちゃ言っている時に、「そんなに髪が嫌なら、坊主にしたら? ウィッグは面倒だけど、髪型は決まるよ。」という言葉は「私ならばそうするけどね」という意味で言っている。生活の質や精神衛生を考えたら、毎日悩むくらいなら、悩みの種をキレイサッパリ排除・整理することは合理的だと思っている。決して、嘲笑ではないし、別に問題を軽視しているわけでもない。(坊主にする快適さを聞きたくなければ、私に髪の毛の愚痴を言わなければ良いとも思う。何故かと言うと、私が髪の毛の悩みを理解することもなければ、坊主がかなり良い解決策だと思わない日は来ないと思うからだ。Aさんは「私は緑が好き」と主張し、Bさんは「私は赤が好き」と主張するのに似ている。どんなに赤を推されても、緑が好きならば、好きな色は緑なのは変わらないだろう。他の色でも同じだろう。長年、それも人格形成する若い時期に髪が無い生活を当たり前に過ごした私にとって、坊主もハゲも「そういうのも良いんじゃない?」と思う対象であり続けるだろう。そして、こう感じる私自身の短髪や脱毛に関する価値観を変えたくもないとは思っている。)

私は「坊主にすれば?」とその利点を列挙して、坊主の良さを語るものの、別に同意を強要するつもりもない。

嫌なら、髪の毛を切らなければ良いだけの話だと思っている。

そうだなぁ。運転免許証が無くて不便だと毎日ボヤくくらなら、免許を取れば良いと思う。

免許を取りたくないようなら、本人が運転免許を取らない選択をするのも本人の判断だろう。決定権は本人の自由意志に委ねられている。

抗がん剤治療前の髪関係の楽しみ方は↓↓の「脱毛を楽しもう」という記事から

髪の毛の話ではないが、手術の可否については患者さんに「手術ができることになって良かったね😍」と声をかけたことならばある。(私も命を守るために必要な手術ができる状況に感謝したことは幾度もある。生きるチャンスを勝ち取る土俵に立てるなんて、嬉しいじゃない。それすら叶わない人だって多々いる。)

例えば、固形ガンで、根治には手術が必須だけれども、腫瘍を縮小しないと手術ができない状況だとしよう。手術ができる状態になることを目標に抗がん剤治療を頑張ってきた人の手術の日程が決定したら「良かったね🎉🎉🎉」と本気で喜ぶ。(だって、生きるチャンスが与えられるのだから、この機会は素晴らしいと思う。手術が怖い場合もあるだろう。至極当然だ。それは、一切否定しない。しかし、手術しか助かる道がない状況下で、病気を滅する土俵に立てるというチャンスが与えられるだけでも、既に大きな勝ち星を一つ得ていると思う。土俵にすら上がれなければ、闘うチャンスも勝つチャンスも無い。まぁ、必死に治らないけどある程度効果がある治療をして、新薬が上手く良いタイミングで登場して、治療を繋ぎ、命を繋いでいる人も案外結構いる。とはいえ、やっぱり最短ルートで確実に治療ができるというのは、かなり祝されるべきことではないだろうか? 少なくとも、私は普段からこう感じている。)

似たような状況で、手術の日程が決まった患者さんが院外に外出時に、たまたま私と外でばったり出会した時に声をかけてくれたことがあった。モール裏の路地で「おめでとう❣️良かったね〜🎶💕」とご家族とご本人と一緒に喜んだことは、実際にある。今でも、その時声をかけてくれたことも、一緒に前進を喜んだことも心温まる記憶だ。

生命を最優先にしたり、快適さを最優先に考えるという、自分の中のプライオリティがあることは、別に良いことだと個人的には思っている。

私は誕生日に輸血が受けられるというのも、とっても素敵だと思う。出生のお祝いの日に、誰かの善意で命が伸びるなんて、感動的で心温まる素晴らしいことではないだろうか?

乳がんの人が乳房を切除することが治療に必要だと考えるのと同様に、未発症の家族性ガン遺伝子を持つ発症がハイリスクな人間が乳房や卵巣を切除するのもまた合理的な予防だと思う。(近年、初期の乳がんに対するラシオ派熱焼灼療法で乳房を温存する治験も出ているので、価値観や優先順位、ライフステージで自分に合った方法を選べば良いと思う。安全に組織を温存できることは喜ばしい。)

より快適な生活を求める思考が存在するから、車や電車やバスが存在している。

ほぼ全ての現代を生きる人類は多かれ少なかれ交通系の発展の恩恵を受けているのではないだろうか?

便利なものがいつしか必要不可欠な存在になって、日常の一部になっていくのは、人類史で多々起きていることだろう。

見えやすくするために眼鏡をかけることが理にかなっているのと同じ次元で、歩けない人が車椅子を利用することを自然だと思っている。散髪や治療も、車や電車、バス等を使うのと変わらないくらいに当たり前のことだと考えるのはどうだろう。必要な手段を用いるのが当たり前という意味で、普通だと思っている。

  • 今まで、私は呼吸が止まれば、人工呼吸器に呼吸を肩代わりしてもらった。

  • 嚥下(飲み込み)ができなければ、鼻から胃や腸に管を入れて、その管に栄養を流し込んだ。

  • 手が使えなければ、口にペンを咥えて描いた(書いた)。

  • それもできなければ、スマホの画面を舌で触って字を入力して意思疎通を図ったり、文字盤を用いて瞬きで言葉を伝えたりしてきた。相手によっては口パクで意思疎通をした。

  • 歩けなければ、車椅子を使った。

抗がん剤治療で髪が抜ける前は髪を切ってきたし、ハゲてる時期はハゲで過ごした。
(抗がん剤治療中に医学部の試験をハゲで受けたこともあった。当然、合格したよ😉)

問題があれば、問題を解決(あるいは、それを乗り越える方法)を淡々と実行することが当たり前だと思ってきた。(無理をしないための改善点もあろう。そして、淡々とこなす中で、自分の感情や感覚に無頓着かつ無自覚な部分も改善するベネフィットがあるならば、改善すべき点ではあろう。必要以上に自分を追い詰めないために、色々穏やかに受け止める練習も有意義なことだろう。)

もし、髪型が決まらずに毎日悩むくらいなら、坊主にして気分爽快で手入れ時間もほぼゼロの生活をしてみるのも、別に良い発想だと思うんだよなぁ。(気に入らなければ、伸ばせば良い。)

そんなに酷い発言だとは、どうしても思えないんだよね……

共感してくれる方がおられたら、読みづらい文章だと思いますが、拡散していただけたら凄く嬉しいです😊

今を大切に生きよう!

追記:髪が無いのもすっごくイケてるし好み💕と思うのは、私の個人的な意見なので、敢えて「私は〜思う」と多用している。共感してもらえたら、とっても嬉しい。けど、価値観は人それぞれだということも理解しているつもりだ。「私はそうは思わない」という読者さんもいると思うし、その意見も大切な意見だとも思っている。

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