マガジンのカバー画像

ショートストーリー

86
短い物語をまとめています。
運営しているクリエイター

2024年2月の記事一覧

理想と好き

理想と好き

 「ゆで卵」と「焼いただけのオムレツ」、両方にケチャップをかけて食べる。わたしは幸運にも、この二つの味の違いが分かる。でも、理由は分からない。
 熱を加える前に混ぜるか、それとも混ぜないかの違いだけ。それだけで大きく変わるこの不思議に、決着をつけること無くここまで生きてきた。たぶん理由なんて、赤ん坊の頃にみんな通るであろうテイスティング行為(とりあえず口に入れる行為)をしっかりと行ったからかもしれ

もっとみる
〔ショートショート〕        シャボン液のような

〔ショートショート〕        シャボン液のような

 その日、4才のボクはシャボン玉をはじめて見たんだ。
 ストローで変な匂いのする水を膨らませると、風に飛ばされていった。
 まん丸に見えるシャボン玉の中身はボクが吹き込んだ空気で、シャボン玉の外側にはみんなが吸ってる空気がいっぱいある。だけど、同じ空気なのに変な匂いのする水は、ボクの空気だけを丸くしてどこかに連れて行こうとするんだ。母さんは、どこにも連れて行ってくれないのに。
 
 それから一週間

もっとみる
〔ショートショート〕        未来よりも明るい時間

〔ショートショート〕        未来よりも明るい時間

 アイマスクをして眠るキミを見るのが好きなんだ。キミの寝顔を見ながら、一緒に行った旅行先で見つけた振り子時計を思い出す。

 その時計があったのは古い小さな旅館で、駐車場にボクらの車が入るとすぐに女将さんが迎えてくれた。隅々まで掃除が行き届いている庭と、木の葉を風が撫でる音が気持ちが良かったのを覚えている。
 そして玄関を入ってすぐのところに、それはあった。「調整中」と書かれた札が貼ってある大きな

もっとみる
故障じゃない、今日は壊れた。

故障じゃない、今日は壊れた。

 心の壊れる音が聞こえたから、エアーマネキンを買った。
 浮き袋みたいに空気を入れたら膨らむ、その人形に文字を書く。
 とりあえずは、手の辺りに初めて繋いだ日付を書く。それから、一言、「あたたかい」と付け加える。
 顔には、何を書こうか。
 瞳の色、ちぐはぐな歯並び、好きになった笑顔、花粉症。思い付くことを手当たり次第に書く。そして、書き終えたら次の場所へと移る。
 背中は広い……。足は毛深い……

もっとみる
本命のキミへ。

本命のキミへ。

 片思いの相手から義理チョコを貰ったあと、少し話す時間がとても嬉しかった。不思議と焦りも緊張もなく、僕だけの片思いが滞りなく進行中だ。
 その日も何人かが、「しょうが無いから、あげるよ」と僕のところにやってくる。そんな男も女も関係なくチョコを食べる義理チョコ交換会が始まると、滑り込むようにキミも僕にチョコをくれた。
 その時はまだ、キミと余り話したことがなかったら、ドキっとした。
 でもその日から

もっとみる
プライドの価値。

プライドの価値。

 日曜日の午前中、男が風呂に入っている。
 「上半身が、少し肌寒くなってきたな」と、バスタブの中に座ったまま思い、それと同時に視界に入った自分の胸元をぼんやり見ていた。ぬるくなったお湯に、乳首のそばから生えた毛が一本、揺れている。
 自分はこれと同じだなと、男は思う。
 人知れずここまで育ち、これが何に必要かもわからない。そして、流されるまま、「わたしも大勢いる毛の一員さ」といった顔をしているのが

もっとみる
晴れのち曇り。

晴れのち曇り。

 折角のよく晴れた午前中を見送り、軽い昼食を済ませると、「眠いな」と思う。机の上のデジタル時計は、14時と表示している。
 間違いなく、ボクは馬鹿だ。
 昨日の夜に眠気と過ごしている時には、連休初日に行くべきところは先にかたずけよう、そう決めていた。床屋の開店時間にあわせて自宅を出発して髪を切り、返却期日の図書館へ行く。それから、昨日買い忘れた牛乳を買って帰宅する。ホットケーキミックスと卵があるか

もっとみる
透明なルールに従う。

透明なルールに従う。

 スモークフィルムを貼ったみたいに凍った車のフロントガラス。外は、今朝も寒い。
 いそいそと車内に身体をすべり込ませて、すぐにエンジンをかける。それから、暖房を「FRONT」に合わせてから助手席に放り投げてある雑誌をパラパラとめくった。

 週末の予定を決めようかと思ったが、気になる記事無く、ページをめくる自分の指先がざらついている事のほうが余程気になった。
 ダッシュボードにあるハンドクリームは

もっとみる
なにがどうなるかなんて、分からない。

なにがどうなるかなんて、分からない。

 写真に撮られるのが大キライなのに、その写真だけ持って出た。
 それは、保育園のときの写真。友達が九人と、その真ん中に園長先生が並んでいる。みんな笑顔だし、私が記憶する限りその笑顔は本物だった。笑顔にニセモノがあるなんてまだ知らなかったときの、わたしが写真をキライになる前の写真だ。
 そんなものを一人暮らしを始めるという日に、御守りみたいに持って家を出る。困ったときに悩みを聞いてくれる、なによりご

もっとみる